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【487】三八豪雪 あれこれ話その2
 乙訓の長老  - 06/1/31(火) 18:03 -
  
盆休み明けの帰富は米原11時25分発、杉津13時25分発の昼行とした。正月の吹雪など
嘘の様な晩夏の晴天で、車窓から大人がピク誌で入賞した葉原の光景、杉津からの敦賀湾など満喫した。

この年の秋は倶利伽羅トンネル周辺に出没している。7月だったかな、北鉄バスが国道8号の整備により金沢〜高岡間で1時間ごとに急行バスを運行する様になった。加越能鉄道と共同運行で、石動〜津幡間は各駅停車となる。金沢へ出る時はよく利用したが、その時に倶利伽羅トンネルを中心に複線化工事に着手しているに気づいた。
これは面白そうだと、ウォッチングの対象とした。東口は安楽寺停下車(P3)、西口は九折(つづら)停下車となる。そして倶利伽羅駅上り方の築堤が開けており、見晴らしが良い。これだ、駅から歩くこと5分で暗渠を潜れば小さな社の参道だ。ここはお立ち台(P4)だな、と思った。

1962年は暖冬で富山の積雪5、60cm位だったと思う。暮れ29日、正月休みで帰京。福岡発14時32分611レ米原行に乗る頃から軽く吹雪いて来た。明けて三八年、正月のテレビは北国の大雪を伝えている。気になり富山の同僚に電話したら「スコップ担いで初詣に行った。」との事。帰富は「白鳥」である。DRFC見学会の敦賀機関区(P5)では除雪作業中だが1961年程の事は無いように思えた。高岡到着は15分遅れ位だったかな? 道路の雪もゆるんでおり福岡へのバスは順調に走った。

10日の朝、起床すると吹雪いている。11日も。12日は収まり晴れ間あり。14日から再び吹雪。15日(成人の日)出勤。このところ毎日、昼休みに福岡駅下り方の踏切へ行っている。踏切番とも仲良しとなった。12時45分過ぎに「立山」が通過するのだが来ない。しばらくして吹雪を突いてやって来たが、福岡駅で停まってしまった。何事と思いホームへ出向いた。車掌も駅助役も牽引機のDF50の所に集まっている。助役に聞けば雪が機関室に吹き込み絶縁不良となり、再起動不能となったとのこと。やがて後続の貨物列車が来た。中線に入り牽引機のD51が「立山」の頭となり、1時間遅れ位で発車した。助役は製品出荷で顔なじみであった。積雪は1.5Mを超えラッセル車も出動していた。

そこで旦那に打電。「ゆきはふるふる、まけず にきしゃ、はしる」      (つづく)

《筆者注:文中「まけず に」と1字分空白としていますが、当時の打電方法では濁点は2字に勘定していたのを思い出してください。今も一緒かな? 》

    
    


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