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【875】沖縄の電車(その2)
 乙訓の老人  - 07/5/19(土) 20:31 -
  
帰宅してまず国土地理院「那覇」を求めた。鉄道資料30号掲載の1921(大正10)年の経路に「むかし沖縄」の停留所など重ねてみたが、地名が分からず投げ出してしまった。今回、昭文社都市地図「那覇」にJTBキャンブクッスIIIを参考にして、ルートを探ってみたのが本稿掲載の図である。これからすると都ホテル裏の遺構は、橋桁の架台ではないように見えるのだが、ホテルの裏へ探検に行くような行為を老人はしていないので何とも言えない。また、泊高橋の東は川と街道の間を走っており、泊港から南への街道沿いは道路自体が移設直線化され、なんの面影も残していないことがわかる。久米通りは拡幅、直線化されている。だらだら坂は首里坂と呼ばれている。通堂とは那覇港で、沖縄航路の発着場であった。老人が首里坂で見たものは何だったか、よく覚えていない。
【図の説明】地図は東西に広がっているので、3分割とした。1〜3で、A→Fとなる。
太線は想定路線、●は想定停留所位置、★印は車庫と都ホテルの位置。

さて、どんな電車が走っていたか、読者氏へ返答しなければならない。鉄道資料30号には最新電動客車明細表及型式図集[昭和5(1930)年刊]から車体図(写真OP2、泊高橋の写真のもの)が転載されている。それを紹介するが、主様要目は次の様になっていた。
番号1〜10、軌間1,067mm、電圧500V、最大寸法8,090×2,134×3,419mm、自重6.3t、
定員40人、出力30Hp×2、車体製造所 梅鉢工場、1914、15年製造、制御器・電動機 GE、制動機 スターリングメーカー 手用、台車 ブリル 21−E、
電圧についてはキャンブックス「日本路面電車III」を参考とした。鉄道統計資料を須磨の大人はお持ちと思うので、車両数の変遷など紹介して頂くと嬉しいのだが。

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