■ D R F C 復活への道のり 〜プロローグ |
’67年度 澤村達也 記 |
同志社大学鉄道研究同好会」の発足とDRFC OB会との初顔合わせ
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- 日時 2001.9.9 14:00〜16:20
- 場所 同志社大学今出川校地、学生会館別館会議室
- 出席者 現役学生 7名
1回生 (経)島内 研、(工)井爪寛之、(経)河本謙一、(経)品川 仁
2回生 (法)森 靖紘、(商)唐戸英雄
3回生 (法)櫻井 孝
DRFC OB会 8名
(88年度)志水 仁、(87年度)児玉宜治、(82年度)今道 力、(68年度)井原 実、福田静二
(67年度)小西啓文、澤村達也、(64年度)田野城喬
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これまでの経緯 |
- 2000.11.3 同志社大学ホームカミングデーにDRFC OB会が集合場所を得、集まる。
当日、場所を移して二次会を開催。 席上、現役生の再興を促す方策につき議論の末、OB会ホームページ(以下HPと略す)を立ち上げて再興を呼びかける案が浮上、
リーダーとして (67)小西氏を選出、有志がこれに協力することとした。
- その後、小西親子の努力によって当初無料サイトからHPを立ち上げ、その後専用ドメインを取得、レンタルサーバー(共に有料)に移行して現在に至る。
この間数回の編集会議を持った。
- 2001.7 唐戸氏がHPを見てアクセス。キャッチボールが始まる。 続いて森氏がHPの掲示板に登場。その後、(57)沖中氏、(61)野本氏の助言により、顧問として経済学部徳岡教授(交通論)を擁立、サークル登録を完了した。
- 2001.7.28 HP編集会議で定着した四条坊城の高級料亭「まる久」に有志が集合、緊急対策会議を開催。当面彼らの活動を静観し、必要なら側面支援したらどうかとの意見が多い中、リーダーとして(67)澤村を選出、彼らと接触することとした。
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当日の出席者(敬称略): 沖中、中林、吉田、田野城、宮本、村尾、小西、澤村、井原、今道、松山
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現役生の話 |
- メンバーは当日参加の7名以外にあと3人程度。
- 鉄道同好会に入りたかったけれど、すでにクラブはなかった、旅行研究会はあるが、鉄道にこだわりたかった。
- 今出川、田辺に別々にいくつかのグループがあり、サークル登録の時に合体した。従って当日初対面のメンバーもいる。
- サークルとしての活動はまだ行っていない。1回生は旅行好き中心の様だが、車庫の見学会も行いたい。どうしたらよいか。
- サークル登録は任意団体として登録した。公認団体(部外連もこの中に入る)となるには相当な実績を積む必要があり、ハードルは非常に高い。
- 部室もない上、今出川校舎と田辺校舎だけで4年間過ごせるので、メンバー同士の交流が難しい。
- DRFCの活動内容、方法がどうであったか知りたい。
- その他、青信号のようなスタイルの対外誌もやりたいが、当面、鉄道利用に関するミニコミ誌を作りたいと思っている。
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OB会からの話 |
- 鉄道研究同好会の活動は、あくまで現役のメンバーにしか出来ないこと。 最大限に尊重するので、
しっかりがんばって欲しい。DRFCOB会として支援はやぶさかでない
- OB会の規模、DRFCの現役が途絶えた頃の状況。
- 当時の組織や活動内容を年代ごとに説明。 オリエンテーションでの出店、例会、見学会、合宿、青信号、補機、模型運転会、写真展、EVE等々。
- 当面、場所を決めて例会を定期的に開くようにしてはどうか。 また、HPも有効。出来たらOB会のHPにリンクを張って、輪を広げることに協力する。
- 部室がないのは当面仕方がないので、学外に場所を探すことも必要。
- OBには鉄道関係者がいるので、見学会には充分協力できる。
- 16番、Nゲージのレイアウトが残っている。 利用するのなら提供しても良い。
- 青信号の余冊があるので、渡す。 参考にして欲しい。
- 今後、双方の連絡を密にしよう。 OB会のイベントに招待する。
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印象 |
リーダー格は唐戸氏、森氏の二人で、出席者全員とも結構しっかりしている。
特に森氏は高校時代から、キャリアを積んでいる。模型はNゲージ。OB会として、今後の彼らを見守って行きたい。
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