第4日目 3月17日
今日は当初再度阿里山へ向かう予定でしたが昨日のロケハンで明日本番はここで撮ろうと撮影場所は決まりました。今日の阿里山は日曜日で込み合うことは必至ですので再度のロケハンは諦めて温泉でも浸かりに行ってゆっくりとしようと予定変更としました。
温泉は初めて台湾鉄路を一周した2009年5/26に訪れて以来の関仔嶺温泉です。台湾の4大温泉の1つで泥湯温泉としても有名で、嘉義駅前からは路線バスに乗って約22㌔、所要時間は1時間20分ほどです。
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第4日目 3月17日
今日は当初再度阿里山へ向かう予定でしたが昨日のロケハンで明日本番はここで撮ろうと撮影場所は決まりました。今日の阿里山は日曜日で込み合うことは必至ですので再度のロケハンは諦めて温泉でも浸かりに行ってゆっくりとしようと予定変更としました。
温泉は初めて台湾鉄路を一周した2009年5/26に訪れて以来の関仔嶺温泉です。台湾の4大温泉の1つで泥湯温泉としても有名で、嘉義駅前からは路線バスに乗って約22㌔、所要時間は1時間20分ほどです。
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第2日目 3月15日
【 太平山森林鉄道 】
今日は念願だった太平山森林鉄道に参ります。この鉄路は羅東森林鉄路終着駅の土場駅と太平山地区を結んでいた森林鉄道で、軽便鉄道とロープウエイ(索道)を組み合わせ、太平山林場の森林資源を外部へ輸送するために1921年に建設されました。1912年全通の阿里山森林鉄路との最大の違いはロープウエイによる輸送があったことです。路線総延長は、36.4 ㌔です。
今まで行きたかったのですが、宜蘭からのバスが毎週土・日曜日にしか、それも1往復だけが運行しているだけとのハードルがありました。乗りたいトロッコもオンラインでの予約発売はなく当日の7時から現地で窓口発売のみ、行かれた方の記事にも既に売り切れていたとの絶望的な内容でした。
でも行きたいと調べていましたら台湾でツアーを企画している地元の旅行代理店KKDay社から一人でも参加できる太平山ツアーを見つけられました。
台北発着のツアーですが途中からの宜蘭発も受け付けOKと分かり申し込みました。ツアー料金は、オンライン日本決済で納得の 4,747円でした。ただトロッコのきっぷ購入だけはご随意ということで、乗車できる保証はありませんでしたが今回は運まかせとして行くことを決めました。
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昭和45(1970)年9月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影 ③
ダラダラ続けて来た本テーマもやっと最終回、今回も同じような写真が続きますが“全記録”と銘打った以上、ご容赦いただき、先を急ぐことにします。前回(13)は、午前は小屋浦、昼は広島機関区で写し、そのあと、また列車に乗って呉線へ、晩は再び広島へ戻って夜間撮影。そして駅の待合室で寝て、翌日は一番列車に乗って、再び呉線・広島機関区と、昭和45年10月改正の呉線電化を前にして、最後の乗車・撮影を行いました。今から50年以上前、気力・体力も充実した時代ならではの行動力あふれる別れとなりました。
▲この日は広島駅の待合室に泊まり込むことにして、夜間、広島駅を発車して行く呉線の列車を写すことにした。C62 15の牽く「音戸2号」。
昭和45(1970)年8月 電化工事の完了した呉線へ最後の撮影①
わがクローバー会の写真展も連日、賑わいを見せています。一段落したところで、通常の投稿に戻って、まずは「西のC59・C62」に掛かります。
前回、DRFCの合宿で呉線を訪れたのが昭和44(1969)年3月のこと、すでに昭和45年10月を目指して進められていた呉線の電化工事はポールの建植工事が進んでいました。それから一年余り、三原~海田市87kmの電化工事は順調に進み、昭和45年8月3日からは架線試験車が走り始め、初めて電気機関車が呉線に入線しました。各種試験が行われたあと、乗務員の練習運転も8月23日から行われました。ちょうど、夏休みのこの時期、例によって九州へ行く前後、最後の呉線訪問としました。▲呉線は、昭和45年10月改正を前に電化が完成していて、線内では電気機関車の乗務員訓練が、営業列車を使い、この時期恒例の“電蒸運転”が行われていた。626レ、EF58 18+C59 164 (昭和45年8月30日、安芸幸崎~忠海)
【 シェイと桜 】
阿里山に桜が咲いて、シェイ31号機が走行する、一度は見たい撮りたいと思っていたシーンが今年も3月11日と18日に実現するとのニュースが入りました。これは逃してはならないと行くことを決めましたが、問題は桜が満開になるのはこの両日のどちらなのかです。毎年春には桜前線を追いかけていますが天候と桜満開時期の把握には苦労しています。
昨年12月4日の阿里山に行く前日、阿里山鉄道に勤務する友人達と夕食を共にした時に聞いてみましたら3月初旬から末まで咲いているとのアバウトな返答しか聞けませんでした。そんなに長い期間に咲いているとは日本ではありえません。ネット情報も探しましたら3月30日に満開の桜とシェイの写真もあり、何が本当なのか混乱するばかりです。
また今回の旅にはいつか行きたいと思っていたもう一つの森林鉄道、大平山ポンポントロッコの乗車と撮影も加えました。
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▲持ち場持ち場で頑張る会員たち、ご協力、ありがとうございました。
“デジ青”読者の皆さま、お待たせいたしました。クローバー会第10回鉄道写真展「鉄路輝く」、明3月20日(水)から26日(火)まで開催です。
本日は設営の日に当たり、選りすぐりの準備担当係が参集して午後1時から作業を開始しました。あらかじめ下準備はしていたものの、やはり一点ずつ、手作りで仕上げていくのは大変なこと、当日は平日のため、担当係だけでは、人手が心配でしたが、そこは協調心あふれる心優しいクローバー会会員のこと、米手さん、Tさん、Iさんと、みんな75歳超の高齢世代ですが、会場に駆けつけていただき、最後まで手伝っていただきました。お蔭で午後5時30分には、すべての準備を終えることができ、明るいうちに退出することができました。
今日はホワイトデーです。駅名喫茶店ではいつものごとく空気を読まず、「競艇場へ行ける駅名」を提供します。
子どもの頃、「尼崎センタープール前」には(レジャー施設としての)大きなプールがあるものだと思っておりましたから、競艇場と分かったときは少々驚いたものです。
永らくお休みしていましたが「スクラップブック」を再開します。家庭の事情でなかなか集中してスキャンなどの作業が出来ません。ボチボチと進めます。
当時では大きい事故とは言えないかもしれませんが、いまなら大事故でしょう。
昭和38年(1963年)ですが、まだまだ信号無視や居眠り運転が横行していました。
以前に阪堺電車を取り上げましたが、今回は同じ路面電車である嵐電です。難読駅名が多いのも特徴です。https://www.keifuku.co.jp/
京都市内にお住いの方は、意外と乗らない鉄道ではないでしょうか。
3月20日(水)~26日(火)11時~18時(最終日の26日は16時まで)京都祇園西利ギャラリーで第10回DRFCクローバー会写真展を開催いたします。従来の「鉄路輝く」のテーマに加え、今回は「まちとまちをつなぐローカルな鉄道」と題して地域に密着した鉄道にスポットを当ててみました。両テーマに82点の作品を展示いたします。また、近年物故された湯口徹さん、沖中忠順さん、吉田耕司さんを偲ぶコーナーも設けております。
多くの方のご来場をお待ち申し上げます。尚、24日(日)は15:00よりギャラリートークを予定しておりますので合わせてごらんください。
閏日の投稿は4年に1回しかできませんから、ここぞとばかりに登場させていただきました。
今回は全日本タワー協議会に属する全19タワーの最寄り駅名を一挙紹介いたします。スタンプラリーもあるとのことで、まずは京都タワーを訪ねてみたいと思った次第です。
最近は日本の人口が減少に向かい、特に地方では過疎化が進んで鉄道のローカル線や路線バスの廃止のニュースをよく見る。このような中でも東京だけは人口があまり減らないのか多くの駅で電車がひっきりなしに上下する風景が見られる。東京、新宿、渋谷、池袋、上野界隈がそうであるし先日も総本家さんが中央本線阿佐ヶ谷での複々線4列車総並びを発表されておりその一端がうかがえる。関東では私鉄に目を向けると関西の阪急十三、南海新今宮、近鉄鶴橋のような圧巻的風景は見られないが東急東横線の多摩川駅では実に多種の電車が見られる。特に最近は神奈川県内のみ(横浜-海老名間、支線の二俣川-湘南台間、厚木貨物線)の営業であった相模鉄道がJRや東急と相互乗り入れを実施して東京心部や埼玉県まで顔を出すようになったことで多摩川駅の車両のバラェティを深めている。
東急多摩川駅では東急の他、横浜高速鉄道(みなとみらい線)、東京メトロ、東武鉄道、西武鉄道、東京都、埼玉高速鉄道、そして相模鉄道が加わることにより8社の車両を見ることができる。各車両ほぼ同じ位置の単調で面白みに欠ける記録であるがこれだけの会社がそれぞれ2~3種類の車輛を投入してくるので飽きることはない。併走も含めて発表してみる。
まず最初に今回の定点多種車両撮影に至った起爆剤的な相模鉄道についても若干触れてみたいと思う。独特の単一カラーでよく目立つ相模鉄道通称相鉄は以前は準大手私鉄の位置づけであったが、1990(平成2)年4月にいずみ中央駅まで延伸されたのを機に同年5月31日正式に大手民営鉄道として認定を受けた。相模鉄道の歴史がややこしいのは相模鉄道とは現在のJR相模線のことで大正6(1917)年に創立され、現在の相模鉄道は当初神中軌道、後に神中鉄道となった鉄道でやはり同時期の創立である。昭和18年(1943)年には神中鉄道は相模鉄道に吸収合併され、元の相模鉄道自身は1944年に国有化され残った神中線が相模鉄道となって今日に至っている。その間相模鉄道は東急になったり小田急の干渉があったりして紆余曲折の歴史があったが横浜駅西口(相鉄ジョイナスや高島屋のある所)の土地買収により安定的な経営をするようになったと言われている。私が最初に見た相模鉄道には神中時代の汽車ポッポのムードが残っていた。駅の改札口は木製のラッチが多く海老名などは田圃に蛇が出てくるような田舎であった。1955年の流線形湘南窓ボディマウントの5000系や続いて登場した1961年の6000系20メートル車の導入で大手に近づいて来たように思う。5000系、6000系の写真である。
1972.2.20 大和付近を行く急行海老名行き5011。湘南窓に車体下部を覆ったスタイルに人気があったが直ぐに更新改造されて消えて行きそのスタイルが惜しまれる車両である。▼
昭和44(1969)年3月29~31日 DRFCメンバーとともに撮影
広島のユースで一泊した翌日3月29日は、DRFC春の狂化合宿が、呉市の国民宿舎「音戸ロッジ」で華々しく行われる日、九州で泥池にはまって風邪気味で体調は万全でないものの、メンバーとの再会を楽しみにして、ユース前からバスに乗り込み、広島駅へと向かいました。▲合宿の最終日の「安芸」狙いは、煙が期待できる安登~安浦の勾配区間へメンバーとともに向かった。と言うものの今まで、この区間で煙に恵まれたことは無かったが、今度は違った。北海道ヤマ線のC62重連も顔負けの凄い爆煙だ。見始めは違和感を覚えた「あき」のヘッドマークも、見慣れて来ると必須のアイテムとなった。体調は最悪だったが、それを吹き飛ばすシーンとなった。
第8日目 1月30日
① 新竹 8:15( 普悠瑪 278次) ⇒ 9:16 台北
② 台北 9:30(空港MRT) ⇒ 10:09 桃園空港T2
【 普悠瑪号のきっぷがない 】
8日間の厳冬の冬の台湾旅も今日は帰るのみです。桃園空港のJALカウンターでのチェックインは10:55からで余裕はあります。前回12/7は桃園MRTの台北側とは逆の老街渓を見てみたいと臺鐵中壢から老街渓までの未開通区間を歩きましたが今日は疲れてもいるとの実感がありましたので台北へ出て空港MRTに乗車する行程を選びました。
8:10 新竹駅の自動きっぷ販売機で発券手続きをしますが普悠瑪号は満席です。8:36 次発の自強号も同様です。
今回の旅では満席は経験していなかったので取れるものだと油断していました。朝の混み合うラッシュ時の列車です。前夜は駅構内にいましたので確認して確保しておくべきでしたね。またPPの自強号なら先頭の12号車には桟敷席がありました。これに挑戦してみる方法もありましたね。
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