EF58 61 鉄道博物館に収蔵

EF58 61が鉄道博物館に収蔵され、期間限定でお召装備で展示されているとのことで、11月5日、新潟車両センターの公開の帰りに、大宮で途中下車して、行ってまいりました。

展示場所は、入り口正面です。さすがに他の展示車両と異なり周囲を硝子板が囲ってありますので、なかなか撮影づらい状態で展示されています。その上、入れ代わり立ち代わり写真を撮る人がいるので、なかなかタイミングが難しいです。

15時過ぎ行ったのも、閉館まで粘って、人がいなくなったらとの思いでした。

待っていると偶然、外を後継のE655系「なごみ」が通過しましたが、突然のことでタイミングを逸してしまいました。

窓の外の茶色い線がE655系「なごみ」です。

どうやったら、うまく撮影できるか? いろんな場所から検討してみました。2階からは、上の写真にあるように車体に梁がかかります。

下に戻ろうと下りのエスカレーターに乗ったとき、閃きました。

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「ひので」号・「きぼう」号のサボ

米手作市先輩の「関先生の国鉄155系きぼう号」の記事に寄せて、「ひので」号・「きぼう」号のサボをお目にかけます。

ご承知の通り、「ひので」号は、東京都修学旅行委員会が国鉄に要望した「専用電車の開発」を実現するため、国鉄が「特別鉄道債券」を発行し、三菱銀行と日本交通公社が引き受けた資金をもとに製造された155系電車で、田町電車区所属の12両の車両で品川~京都間運行されました。そのため、「東京地区修学旅行団」というサボになっています。

この動向を伝え聞いた大阪市・京都市・神戸市の中学校修学旅行協議会でも債券による資金調達を決定し、155系電車が製造され、宮原電車区所属の12両の車両で、「きぼう」号として、品川~明石間運行されました。そのため、「京阪神地区修学旅行団」となっています。

201系もどきE493系試運転

本日、常磐線でE493系の試運転があるという情報をいただき、車で30分ほどの常磐線牛久~竜ケ崎市に行ってきました。JR東日本の機関車を置き換えるため登場した事業用車のE493系が死重のEF8198をけん引して、水戸まで往復したようです。機関車を置き換えるため登場した車両が機関車をけん引する姿は滑稽でもありました。それにしても顔は201系そっくりです。

153系東海道本線 急行華やかりし頃

先日の米手作市先輩の投稿で、関三平先生の153系の記事がありました。

ステイホームのGWですので、虫干しを兼ねて、所蔵の愛称板を取り出してみると東海道本線を行き来した153系の愛称板が出てきました。

表です。

裏です。やたら、六甲ばかりです。

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今まで見た一番へんな客車列車

今まで見た一番変な客車列車をご紹介します。

昭和55年8月28日に運転されたものです。DD511187+スハフ14+オハネ15+オハ12+スハフ12+オロネ10+スロフ62という編成です。配給列車のようにも見えますが、れっきとした営業列車です。大阪→福知山→綾部→西舞鶴→豊岡→和田山→姫路→大阪の経路で運転された大阪鉄道管理局主催の「いい旅チャレンジ20000キロ号」という団体列車です。機関車には、ヘッドマークはありませんが、客車の前後には、マークが取り付けられていたようです。

1980.8.28 福知山線 生瀬~武田尾

当時は、団体列車の時刻が掲載された雑誌はなく、もちろんインターネットもありません。国鉄職員に知り合いがいたら、局報を見せてもらうという手法もありましたが、そのようなつてもなく、駅や旅行センターの団体募集チラシを見てあたりをつけて撮影に出かけました。

模型で再現してみたい編成です。

加古川のキハユニ15

関先生・米手作市先輩のキハ44000の投稿から、そのなれの果てのキハユニ15・16の話題で盛り上がっているようですので、加古川気動車区に配置されていたキハユニ15 三兄弟の写真を投稿させていただきます。

加古川気動車区には、キハユニ15 3・6・9が配置され、主に加古川線の郵便・荷物輸送に活躍していました。

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尼崎港線の関連グッズ

連続投稿申し訳ありません。

総本家青信号特派員先輩の「廃駅をめぐる【3】」のコメントで書かせていただいたDD13 256の車番とサボです。

DD13 256は、1966.3.7 汽車会社で製造され、姫路第一機関区に配置、その後1968.10.3に吹田第一機関区に転属、1984.2.4再び姫路第一機関区に戻り、1986.10.27廃車となっています。

続いて、サボです。

一番上は、川西池田行×大阪行のサボです。所属は大宮です。

川西池田~尼崎港で走っていたころの、宮原客車区から送り込むためのサボでしょうか?送り込みの列車番号などわかりません。ご存じの方、教えてください。

二番目は、川西池田⇔尼崎港×尼崎港⇔川西池田のサボです。所属は、大池です。

三番目は、塚口⇔尼崎港×大阪行のサボです。所属は、大塚です。尼崎港線で活躍したのち宮原客車区に帰るためのサボでしょうか?塚口でどのような入換が行われ、宮原には、どの列車に併結され帰っていったのか?興味津々です。こちらもご存じの方、教えてください。

 

尼崎港線 最後の日々

総本家青信号特派員先輩の尼崎港線の記事に触発され、尼崎港線の最後の頃の写真を投稿します。

私が訪れたのは、1981(昭和56)年3月24日と27日、31日です。

24日の朝の821/822列車はDD13 101 大吹一 の牽引でした。

まだ、あまり人はいませんでした。

客車はスハフ42 2162 大ミハで、木製の板で作られたサボでした。

3月27日は、尼崎港から塚口のきっぷを買うために出かけました。準常備式の普通乗車券を手作業で発行するため時間がかかります。ろくな写真を撮影できませんでした。821/822列車の牽引機は、DD13 376 大吹一でした。

最終日の3月31日、塚口から尼崎港に向かう最終の下り823列車です。

客車は2両に増結されDD13 256 大吹一 には、保安要員がたくさん乗っています。金楽寺~尼崎港間です。

急いで尼崎港に行き、本当の最終列車 上り824列車に乗ります。

遠くから撮影していなかったことが悔やまれます。

塚口到着後、木製のサボは、「好きな人もっていっていいよ!」と言ってサボの近くに陣取っていた人が持って帰られました。

うらやましかったです。

広島行(呉線経由)のサボ

今回、ご紹介するのは広島行(呉線経由)のサボです。裏は、新大阪行(呉線経由)で、大 向と書かれていたますので、向日町運転所持ちのサボです。向日町運転所開設・新大阪駅開業が1964年ですので、それ以降使用されたものです。これも浮き文字といわれるものです。先般の諸先輩が投稿された呉線の蒸気列車の何かに使用されていたものかもしれません。経由の表記も前回の三角行のように下にあったり、今回のように右にあったり、経由の経が略されていたり、ローマ字があったりなかったりいろんなバリエーションがあり興味は尽きません。

今回のものは、新幹線開通から岡山開業までの間、新幹線に接続し、翌朝に広島に到着する夜行急行列車に使用されたものと思うのですが、いかがでしょうか?

三角行きのサボ

調子に乗って、三角行きのサボを投稿します。

三島行きと同じく大宮のもので浮文字です。経由入りで熊本経由となっています。

裏は大阪行き 同じく熊本経由です。熊本経由以外で大阪から三角に鉄道では行けないはずですが、三角というあまり聞き慣れない場所に行く客車なので、親切に表記したものと思われます。それにしても大阪から三角にいく列車があったこと自体驚きです。きっと天草に渡る人たちが乗車していたんでしょうね。

しかしながら、手持ちのサボのなかには、大阪から長野や田口(妙高高原)に行くものがありますが、北陸線経由か中央線経由か表記のないものもあります。どういう基準だったんでしょうか?

エキスポこだまのサボ

デカンショまつり号です。

PCが壊れてしまい、新しいPCを購入しました。少し遅くなりましたが、エキスポこだまのサボを投稿します。

大 宮 (大阪鉄道管理局 宮原客車区)のサボで、収集家の中では、浮文字と呼ばれているものです。裏面はなく、青焼きコピー(懐かしいですね。)の大阪行きが貼られています。ご承知の通りエキスポこだまは、上りのみの運転でしたので、大阪行きは、他の臨時列車運転の際、大阪行きとして使用したものと思われます。

他、いろんなサボが手元にありますので、折を見て発表したいと思います。希望の行き先などありましたら、リクエストお待ちしています。

スロハ38の形式図

先輩方のスロハ38談義を拝見していて、果たしてスロハ38なる車両はどういう車輛だったのか?調べたくなり、手元にある「客車形式図 1959」のページを開いてみました。
3ページに記載がありました。
ダブルルーフで、3軸ボギーのTR-71・73を履いた車両で、マロネ37・マロネフ37からマハ47を経て改造された車両だったようですね。
ちょうど真ん中でロ室とハ室が分かれており、にロ室は、窓とシートがあっているようですが、ハ室は窓割と関係なく座席が並んでいたようです。
昭和33年末では、形式図VC03434のものが25両・VC03470のものが11両・VC03471のものが14両と結構活躍していたようです。

阪急「974」と「853」

阪急の「974」と「853」のガラクタです。

「974」は、名車920系の6次車で、1948年5月川崎車輛製の943~947 973~977の10両のうちの1両で、京阪神急行として戦後最初に投入された新製車です。ただ、資材調達の制約から、名目上ながら、戦災復旧もしくは、更新となっており、「974」は、京阪807となっています。末期には、944+969+939+974で組成され神戸線の支線伊丹線で活躍していたようです。

「853」は、当初700形として、1949年8月ナニワ工機で、700~704、750~754の10両が新製されたうちの1両で、ほどなく800形と改番されました。「853」は、1950年に開催されたアメリカ博覧会のPRのため、クリームとブルーの塗分けに塗装されたようです。末期には、803+967+937+853で組成され宝塚線の支線、箕面線で活躍していたようです。

「974」と「853」の阪急社紋を比べてみると、神戸の市章違いがあるのがわかります。

豪快に走り去った阪急710系の成れの果て 静態保存しています。

準特急先輩や湯口先輩の貴重な阪急710系の写真の後で、お口汚しですが、我が家に阪急710系の成れの果てのグッズがあります。「714」の車体側面切り抜き番号です。3ドア化された後の側面番号です。準特急先輩の元気に活躍していたころの「714」の写真を見て、思わず投稿させて頂きました。部品収集が好きで、コツコツ阪急の車体番号を収集しており、そのコレクションの一つです。旧型車ばかりですが、2ドア車である320系や900系。920系、800系の側面番号は、社紋の下に車体番号がありなかなかいいものです。阪急の旧社紋は、大阪市章と神戸市章が重なったデザインですが、神戸市章が輪郭だけのものや普通のものがあり、興味が尽きません。阪急の旧型車の写真続編期待しています。合致する番号がありましたら、また、投稿させていただきます。

115系三昧の夏の一日

8月中旬、JR東日本のホームページを見ていると、湘南色の115系の臨時快速「むさしの奥多摩号」が大宮~奥多摩間運転されると書かれていました。115系が青梅線に入線することは珍しいことです。

インターネットで検索すると、運転日は、7月28・29日、8月4・5・11・12・18・19日で、ヘッドマーク付で運転されているようです。ただ、115系の調子が悪く、運転が中止になったり、E233系の代走になったりで、あまりうまく走らない臨時のようです。

そろそろ引退も囁かれている115系ですので、一念発起して、18日土曜日に青梅線に出かけることにしました。いろいろ行程を検討すると、当日南越谷~鎌倉間運転されるスカ色の115系M40編成を使用した「ホリデー快速鎌倉号」の回送も撮影できるようなので、準特急さん・新所沢都民さんに、「宜しければ、いかがですか?」とお声をお掛けしたところ、前日にも関わらず、参加するとのことでした。

当日、始発電車で最寄の北総線印西牧の原駅を出発、浅草・神田経由で新宿へ。前日に購入した新宿6:38発の183系全車指定臨時快速「みたけ・おくたま探訪号」に乗車、一路御嶽を目指します。車両は、前後に特急のシンボルマークが付いたOM103編成ですが、幕がないため、「臨時」表示です。乗車率は、新宿出発時点では、10%も満たない状況でした。

所沢新都民さんは、この列車を途中で撮影するとのことでしたが、拝島での乗り換えに失敗し、結局のところ撮影できず、御嶽で三人集合となりました。

この面子が揃うと、過去の経験から雨の確率が高いのですが、やはり期待通り小雨がポツポツ降るような状況の下、川井で下車。川井から御嶽方面に戻った旧東川井信号所跡で、115系湘南色の快速「むさしの奥多摩号」を撮影。

川井駅に戻り、新宿から乗車してきた快速「みたけ・おくたま探訪号」の回送を撮影しました。

川井駅から古里駅に行き、中線に長時間停車の快速「むさしの奥多摩号」の回送を撮影したころには、日が差してきました。

その後、今度は、スカ色115系の「ホリデー快速鎌倉号」を撮影するため、武蔵野線へ。当初は、駅間でとも思ってましたが、再び雲行きが怪しくなり、結局、屋根のある西国分寺駅で、1時間ほど、回送を待ちました。

やって来た「ホリデー快速鎌倉号」の正面幕は、快速のままでラッキーです。

そのあと、元お召し機のEF8181もやってきました。

東所沢に回送後、再び、鎌倉に回送される列車まで、二時間弱。昼食ということで、西国分寺駅周辺を探しましたがお店がなかなか見つからず、やっと見つけたお店で、生ビールと刺身定食で、前半の反省会と相成りました。

再び、ホームに上がると夏の日ざしが差しており、順光で回送を撮影できました。残念ながら、今回は、幕が回送となっていました。(本来の姿ですが・・・)

ここで、新所沢都民さんと別れ、再び準特急さんと青梅線へ。この頃には、夏の日差しが照りつけて、腕が痛いほどです。雨の原因は???

青梅駅で下車し、奥多摩よりに歩いて、快速「むさしの奥多摩号」の回送と快速「みたけ・おくたま探訪号」の回送を撮影した後、朝撮影した旧東川井信号所に舞い戻り、快速「むさしの奥多摩号」撮影した後、青梅で解散となりました。

115系三昧の夏の一日でした。

なお、「ホリデー快速鎌倉」は、豊田区の115系M40編成で運転されてきましたが、先日発表されたJR東日本の秋の臨時列車運転計画では、183系となっていました。115系の引退の日が近づいてきたようです。

東京スカイツリーから見る鉄道

毎日、通勤で東京スカイツリーの足元を通っていますので、折角ならば、早めに上りたいと思い、東京スカイツリーの事前予約にインターネットでチャレンジしたところ、第八希望の6月30日土曜日午前8時30分に当選したので、東京スカイツリーに上ってきました。

通勤で、毎日見れるはずですが、着席通勤なので、押上あたりは、夢見心地で通過しています。建設途上も、できてからもじっくり見たことありませんでした。

今から、25年前、何の因果か浅草支店に勤務を命じられ、ここらあたりは、セールステリトリーでした。自転車でよく営業に廻ったものです。

当時は、コンクリート工場があり、東武鉄道のED5000形が出入りしていました。よく仕事をサボって眺めたものです。

当時は、まさかここにこんなものができるとは、思いもよりませんでした。

当日、地上350メートルの天望デッキまでは、ほとんど待たずに昇れました。ここまで、2500円です。(通常は、2000円)

さらに、先の地上450メートルの天望回廊を目指します。天望回廊の切符を買うのに約10分。追加で1000円かかります。

合計3500円かけて到達した地上450メートルからの鉄道です。


浅草~東京スカイツリー間 300系と通勤電車(東武の車両に詳しくないので、形式がわかりません。)

 

東京スカイツリー~曳舟間  スペーシア100系と6050系快速

字左が東武鉄道。右が京成電鉄です。京成電鉄の下を東武鉄道 亀戸線が走っています。

京成線は、京成曳舟付近高架工事中です。

 

業平橋(東京スカイツリー)の電留線 200系と300系と6050系快速

一度は、昇る価値はありますが、何度もは・・・

天望回廊へは、天望デッキでチケットを買う必要がありますので、待ち時間を気にされる方は、早めの時間に昇られたほうが良いと思います。

リバイバル急行「志賀」と長野電鉄屋代線 撮影記

早いもので、長野電鉄屋代線が廃止されてから10日がたちました。

3月24日にしなの鉄道で、169系のリバイバル急行「志賀」が運転されるのと長野電鉄屋代線に2000系が入線するということで、「一石二鳥」ということで青春18きっぷを使って出かけてきました。

3月のダイヤ改正で、碓氷峠を越えるJRバスの時刻が変更となり、自宅から一番早く乗れるバスが10時横川発となってしまいました。このバスですと、軽井沢着が10時34分で、既に屋代発のリバイバル急行「志賀2号」は、軽井沢に到着済みです。折り返しのリバイバル急行「志賀1号」の発車は、10時56分ですので、ほとんど時間がありません。軽井沢駅脇の駐車場より出発を撮影しました。軽井沢での169系三両編成は、少々物足りませんが贅沢は言えません。

いっそうの事、このまま、屋代線に入線してくれれば、本当に様になったと思います。

その後、軽井沢駅の旧駅舎を利用した資料館で、草軽電鉄のL型電気機関車やEF632を見学したのち、しなの鉄道で、屋代へ。

屋代では、停車中のリバイバル急行「志賀」を撮影。

そのあと、徒歩で、長野電鉄東屋代駅へ移動。この駅周辺で、定期列車を撮影の後、いよいよ、2000系の団体臨時列車「ありがとう!長野電鉄屋代線SBCろくちゃん号」がやってきました。

屋代駅での折り返し時間があったので、帰りのアルコールの調達も兼ねて、周辺を散策。長野県立屋代高校には、「ありがとう屋代線」と電車から見えるように貼ってありました。

折り返しの2000系を撮影の後、徒歩で、しなの鉄道屋代高校前駅へ。

ここからしなの鉄道で、テクノ坂城というハイカラかどうかわからないような駅名の駅まで行き、駅付近で、黄昏時の時間を走るリバイバル急行「志賀3号」を撮影しました。

軽井沢発18時10分の最終のJRバスに乗り、峠を下りて、帰途に着きました。

また、ひとつ撮りたい鉄道・車両がなくなってしまいました。

ありがとう119記念号

二月下旬、いつもデジタル青信号のトップ画像を撮影されている893-2氏より、飯田線の119系が3月いっぱいで引退するとの情報がもたらされました。

我ら82年度生にとって、飯田線は、特別の思いがあります。大学生になって、旧型国電を追って、何度と無く通った場所だからです。

また、1983年8月21日に降りしきる雨の中、伊那松島→中部天竜間で運転された旧型国電最後のさよなら列車にも、893-2氏と乗車しました。

その旧型国電を駆逐した憎い119系もとうとう引退のときを迎えました。東海色の119系には、あまり食指が動きませんが、デビュー当初の天竜川の流れをイメージした塗色の119系が運転されるとのことなので、先日の日曜日、青春18きっぷで飯田線まで、出かけてきました。

朝、6時過ぎに自宅近くの駅を出発し、途中、浅草橋・御茶ノ水・高尾・小淵沢・岡谷で乗換え、田切に着いたのは13時43分、旧国を何度と無く撮影した大変懐かしい田切のカーブで、宝塚から車で駆けつけた893-2氏と合流。こちらは、長い車中で、チューハイ・カップワインなど結構いい気分でしたが、彼は、もちろんアルコールなし。「酒臭いなー」といわれながら、ほどなくやってきた団体臨時列車として運転された119系2連の「ありがとう119記念号」を撮影しました。

デビュー当時119系の白い帯は、粘着テープで表現されており、非冷房であった当時、窓から手を出し、テープをはがす者が続出し、遠くから見てもみすぼらしい姿であったことが思い出されました。

その後、893-2氏の車に乗り、赤木~沢渡間に移動。ここで、9434M快速「ありがとう119記念号」を撮影しました。

去って行く119系に別れを告げ、ここで、893-2氏とも別れ、赤木から岡谷・大月・西国分寺・東松戸と乗換え、自宅最寄り駅に着いたのが22時51分。帰りも行きと同様、飲み続けたので、疲労困憊で自宅に帰りました。

マレー国鉄に少しだけ乗ってきました。

昨年、12月9日から12日まで、会社の職場旅行で、マレーシアのペナン島へ行ってまいりました。

一日、自由行動があり、何をしようか迷っていたところ、対岸のBUTTERWORTHまで渡ると、鉄道があることがわかり、早速、海にも入らず「鉄」してきました。

12月10日、ホテルを出て、午前中は、世界遺産にも登録されているジョージタウンを散策。昼過ぎに、対岸に渡るフェリーターミナルへ移動。ターミナル内で、BUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAの切符を購入。行先は、1445着Nibong Tebaiです。プレミアシート(1等)で14マレーシアリンギット(約366円)です。帰りの切符も予約しようとしましたが、すぐ折り返すような行動が理解されず、どうしても売ってくれませんでした。

フェリーで渡ること、約15分。対岸のバタワースに到着。フェリー乗り場近くの駅に移動しますが、駅前には、SLとDLが展示されています。

駅自体は、プレハブの仮設駅です。

ここバタワースからは、クアラルンプールまで、一日2往復(昼行・夜行)。クアラルンプールを経由して、シンガポール近くのウットランズまで1往復(昼行)。バンコクまで1往復(夜行)の列車が発着しています。ここで、無事帰りのNibong Tebai1516発10列車SINARAN UTARAの切符を購入。BUTTERWORTHは、1615着の予定です。帰りは、スーペリアクラスで11マレーシアリンギット(約286円)です。

乗車するBUTTERWORTH1400発の11列車SINARAN UTARAは、機関車26110+ASC2216+ASC2155+ASC2151+ASC2201+AFC1413+ADNS2616+ADNS2640+ADNS2617+ADNA2604+PCC212の8両編成で、ASCは、スーペリア(二等車)。AFCは、プレミア(1等車)。ADNSは、寝台車(開放型二段寝台でオロネ24のような感じです。PCCは、電源車です。車両番号は、車体に書かれておらず、車体中央の水タンクか空気溜めのようなものに書かれており、ほとんどが韓国HUNDAI製です。一日二往復ですので、夜行でクアラルンプールから来たものが、昼行で、クアラルンプールへ折り返すのだと思います。

運転士に身振り手ぶりで、「ジャパンの鉄」であることを伝え、26110機関車運転室に乗り込むことに成功。

最高速度は、120キロのようです。ただ、この機関車の長さが異様に長く、客車と同じくらいの長さです。線路に下りての撮影も、こころよくOKをもらいました。

そののちに、プレミアシートに移動。革張りのシートで一列と二列の配置で、なかなかのものです。

車中では、パン(フジパン製のアンパンかココナッツパン)とミネラルウォーターの配られました。小一時間の旅で、Nibong Tebaiで到着。途中、長大編成のコンテナ列車と何度かすれ違いました。また、、現在は、非電化ですが、電化工事と路盤改良工事たけなわでした。Nibong Tebaiは、一面の駅でこちらも仮設駅で、駅舎は、プレハブです。隣で高架駅の工事がたけなわです。ただ、一日に往復しかない旅客列車のためにこのような工事が必要なのか?甚だ疑問です。

左に見えるのが、高架化した新しい駅です。

帰りの列車は、クアラルンプールを0845に出た列車ですが、約35分遅れて、NibongI Tebaiに到着しました。帰りは、スーぺリアクラスは、二列・二列で、パンなどの配布もありませんでした。パン代だけでも3マレーシアリンギットは、しますので、絶対プレミアがお得です。その上、このスーペリアには、人の他、赤アリが巣を作っているくらい大量に乗車しており、一緒に行った後輩は、うとうとしているうちにTシャツの中にアリが入り込み、体中に刺されておりました。

ということで、少しだけ、マレー国鉄に乗車してきました。

ペナン島に行く機会がありましたら、是非、お勧めします。

さよなら スカ色 113系

今年は、地元千葉の113系が最後の夏ということで、893-2さんもはるばる関西から足を運ばれましたが、先日、とうとうさよなら運転が実施されました。

その一部をご報告いたします。

定期列車から引退したあと、「ありがとう113系横須賀線の旅」ツアーがJR東日本横浜支社により企画され、9月18日(日)・19日(月)に幕張車両センター所属の113系116編成を使用した団体臨時列車が,東京→横須賀→大船→鎌倉車両センター→大船→横須賀→東京という行程で運転されました。

朝、早くから定番の田町駅東京寄りで待機し、撮影しました。

ちょっと物足りない長さですが、前面方向幕は、懐かしい横須賀線の表示で東海道線を南下していきました。

9月19日 田町駅にて

 

続いて、「THE FINAL!113!」ツアーがJR東日本千葉支社により企画され、9月23日(金)に幕張車両センター所属の113系116編成と217編成を使用した団体臨時列車が,両国→総武本線経由→銚子→成田線経由→両国という行程で運転されました。

定期運転最後に掲出されたものと同じマークをつけての運転でした。

当日は、ライフワークの鹿島貨物とともに撮影しましたが、成田線大戸~下総神崎の重田踏切には、お召し列車撮影のために集まったのでは!?と思うほどの5~60人の鉄が集まり、113系の最後の成田線運用を見送りました。

9月23日 成田線 大戸~下総神崎間 重田踏切

下総神崎での12分間の停車を利用して、車で先回りし、下総神崎~滑河間の松木作踏切でも撮影ができました。こちらは、25名ほどの方が別れを告げていました。

9月23日 成田線 下総神崎~滑河間 松木作踏切

 

一夜明けた9月24日(土)、再び「THE FINAL!113!」ツアーがJR東日本千葉支社により企画され、幕張車両センター所属の113系116編成が両国→外房線経由→館山→外房線経由→両国という行程で、217編成が両国→内房線経由→館山→内房線経由→両国という行程で運転されました。

当日は、早起きして、これまた定番の撮影地 下総中山駅で待機。両国への送り込みと本チャンの各2本が撮影できます。一番乗りでしたが、本チャンの頃には、相当な人数になっていました。

どうせ昨日と同じ定期運転最後に掲出されたものと同じマークをつけての運転だろうと思っていたところ、最初の外房線用の送り込みを見て、びっくり!なんと「快速 白い砂」のヘッドマークをつけていました。じゃあ、次の内房線の送り込みは、「快速 青い海」だったりしてと、同好の士と待つこと一時間。217編成が本当に「快速 青い海」のヘッドマークをつけて現れました。

9月24日 下総中山駅

これで、最後と思っていましたが、昨日、千葉支社のホームページを見たところ、八王子支社の201系の廃車回送をかねた旅行商品を真似たのかどうかわかりませんが、10月15日(土)に津田沼から長野総合車両センターへの回送に客を乗せ、運転するとのことです。これが本当のお別れになりそうです。