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‘ニュース’ カテゴリーのアーカイブ

奇想天外「立体バス」! 交通渋滞解消方法

2010 年 8 月 30 日 月曜日

もうじき9月になりますが、まだまだ猛暑が続きます。熱中症にご注意ください。
予定では、満州をさまよって、将軍様の列車でも追いかけていたのでしょうが、都合で出られず引きこもり生活者です。仕方がないので中国鐡路の最新ニュースをインターネットを見ていると、奇想天外なニュースがありました。

「立体バス」、車道を跨いで走る鉄路と車両です。1階は車がすり抜けられるトンネル、2階は乗客用客室です。これなら市内の限られたスペースを有効に利用でき、大量輸送と走行中の車を邪魔することなく交通渋滞も緩和できます。日本では、法的に問題はあるのでしょうが、北京では来年にも建設されて来年末には試験運行されると、25日付で京華時報が伝えました。

道路だけでなく、既存の鉄路にも応用ができ、複々線も簡単に出来るのではと思いますが、皆様方いかがでしょうか?
外国からの技術のパクリばかりのコピー王国の中国ですが、これは独自の優れたアイデアとして、世界中から注目を浴びるでしょうね。出来たら直ぐに乗りに行きます。失礼ですが、こんな素晴らしい発想が中国で生まれたのは驚きです。
詳しくは、紹介されている下記HPをご覧ください。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=44895&type=1&p=1&s=no#t
http://www.excite.co.jp/News/photo_news/p-193381/
http://people.icubetec.jp/a/cea0b1abb70841c0961076b9d117c6a9
http://www.asahi.com/international/jinmin/TKY201008260262.html

何時まで続く中央東線201系の運用

2010 年 8 月 29 日 日曜日

残暑お見舞い申し上げます。
 

 

既にH7編成のみとなり「さよなら運転」や「豊田での公開」など
のイベントも終りましたが未だ連日、定期運用に就いています。
何でもE233系の走行系ソフトウエアの調子がイマイチだからだと
ファンの間で囁かれています。
 
巷では「さよなら運転」とか最終列車を撮る人を葬式鉄と称し
更にその後を撮る人の事をハイエナ鉄と分類するのだそうです。
そうすると解体部品を漁るマニアは骨上げ鉄、廃線跡の調査は
さしずめ線歿舎慰霊鉄と言った所なのでしょうか? (苦笑)
 
閑話休題
今回の写真は201系の始発を狙った駅撮りです。これ迄に201系の
写真や多摩モノレールの写真を個々には撮っていますが、両者が
一緒に入った写真は持っていませんでした。
かつて掃き捨てる程に201系が走っていた頃には、見向きもしな
かった光景が、今となっては撮るのに苦労する訳であります。
幸いにも今日は立川~青梅間の往復運用に入りましたので、念願
の構図でゲットした次第です。
 
なお201系は10月末頃まで走るのではないかとの希望的観測です。
運用を調べられるなら「201系 運用」と検索されれば、YAHOO!
でも Google でも上位に該当サイトが出てきます。
しかし明日以降の運用は過去の動きから類推するしか無いです。
しかもダイヤの乱れ等によって運用がシフトしますので、撮影
できれば「幸運だった」と思う位の心持が必要です。

新京成電鉄800形「さよなら運転」

2010 年 8 月 18 日 水曜日

新京成電鉄800形が、DRFC関東連絡網でデカンショ祭り号様と準特急様が報告されている通り、7月17日に実施されたダイヤ改正で運用を離脱し、7月24日(土曜日)と25日(日曜日)に「さよなら800形」イベントが実施された。

内容は「さよなら列車」の乗車、くぬぎ山車両基地での撮影会で、両日とも午前と午後の各1回ずつ計4回実施された。募集人員は1回当たり400名で、応募者多数の場合は抽選となっていた。参加費は2500円で、一見高いように思えるが、内容は「さよなら列車」の乗車、記念1日乗車券(500円)、「さよなら800形弁当」(700~800円位)、「さよなら列車」の扉横に取り付けられたものと同じ「さよならプレート」(1000円位)と盛り沢山で、決して高くはないと思った。弁当は後片付けの手間を考えると通常の「さよなら記念乗車券」でもよかったのではないかと思う。

たまたま24日は昼過ぎまでスケジュールが空いていたので午前の部に参加した。異常に暑い日で、午前9時くぬぎ山駅に集合、受付後「さよなら列車」発車までの間、乗車指定号車毎に所定の場所で待つことになっていたが、熱中症で気分が悪くなった人が出た。「さよなら列車」はくぬぎ山駅を9時57分に発車し、扉の開閉はせずに各駅に停車しながら新津田沼に10時19分到着、折返し10時30分に発車して八柱着11時、再度折返し11時6分に発車、くぬぎ山駅に11時12分到着後、直接車両基地に入りここで下車となった。もう1編成の800形の撮影会が行われており、乗車した編成も隣に並んで停められた。弁当が配布され検修庫内に停められた8517編成(8517-8033-8034-8035-8036-8518)の車内が食事場所となっていた。

1日乗車券があるので、午後の部の「さよなら運転」を沿線で撮影しようと思ったが、撮影できそうな場所での人の多さと、あまりの暑さのため体力に自信がなくなったため退散した。

新京成800形について簡単に述べると、新京成電鉄初の高性能車として昭和46年から50年にかけて4両編成と2両編成各6本計36両が新製された。昭和46年の新製車は、京阪3000系、阪急5100系、東京メトロ千代田線6000系第1次量産車、旧国鉄489系、415系、京福モポ300形等が挙げられる。他社の新車と比較すると、走行線区が地味なことと、通勤輸送に徹した作りのため華やかさはないが、約40年に亘り地元の足として活躍した功績は大きい。昭和60年から実施された更新工事で、冷房改造、乗務員室の機器の配置を8000系と同様に変更、終日6連及び8連化に伴い先頭に出ない車両の中間車化等が実施された。平成7年から最高速度向上(75K/H→85K/H)に伴うMT比の変更、余剰車の廃車が実施され、最終的には6両編成2本と8両編成2本に組み替えられた。6両編成は平成17年と19年に新製車N800形との置き換えで廃車され、下記の8両編成2本が最後まで残った。

←津田沼 811-805-857-812-859-803-854-810

               813-816-863-814-855-804-853-806

朝のラッシュ時を中心に使用されていたが、稀に終日運用に入ることもあった。(そんな時に限ってカメラを持っていない)

「さよなら運転」には813~806の編成が使用された。811~810の編成は【5552】(2009年11月25日)「新京成電鉄第15回 電車基地見学・展示会」で紹介してあるので参照いただきたい。また、807の前頭部が車両基地内に保存されている。

 

 

 

 

 

上から813、816、863、814、855、804、853、806

 

806の車内と冷房改造の銘板

 

811~810編成

 

807の前頭部

 

昼食場所となった8517編成

 

引退記念一日乗車券と乗車証明書

 

「さよなら800形記念弁当」の包装紙

 

記念品のプレート

 

記念乗車券

【参考】九十九里鉄道のポスター

 

京成電鉄と新京成電鉄の車内や駅構内に掲示されている九十九里鉄道のポスターである。同社は昭和36年2月28日鉄道廃止後も社名変更することなく、バス会社として存続している。余談であるが同社のHPに在籍するバスの諸元が写真と共に詳細に掲載されている。昭和60年製の富士重工5Eボディー車が健在であるようなので、興味のある方はご覧いただきたい。(通常在籍車両の諸元については、企業内の機密事項として取り扱われ、公開されないことが多いが、見る人が見れば判る。関西では京都バスが公開している。いずれにしても非常に珍しいことである)ちなみにバスの寿命は平均15年位、長くても20年位である。最も日本で廃車になったバスが東南アジア方面に輸出され、更に使用されているので、大切に使用すれば25~30年位は使用できるのではないかと思われるが、排気ガス規制等いろいろな規制があり、そうもいかないようである。

成田スカイアクセス開業と京成金町線ダイヤ改正

2010 年 8 月 2 日 月曜日

東京都心と成田空港間を最速36分で結ぶ「成田スカイアクセス」の開業については【9071】で「デカンショまつり号」さんが報告されておられる通りであるが、それに伴い京成電鉄全線のダイヤ改正が実施された。その中でも最も大きく変化した金町線について報告する。

金町線のダイヤ改正は全線ダイヤ改正に先行して7月5日に実施された。その内容は、①高砂駅の発着ホームを新設の高架ホーム5番線に変更(従来は一部を除き4番線に発着)②朝夕を中心に運転されていた金町~上野(一部押上)間の列車を廃止して全列車金町~高砂間の折り返し運転とする。③高砂~柴又間を下り線を使用して単線化する。但し、上り線は入出庫線として残し、単線並列とする。④昼間の運転間隔を20分から15分に短縮する。(運転本数は改正前の平日上下各80本/日→89本/日、土休日上下65本/日→75本)

ダイヤ改正前20分間隔の時は1列車が折り返し運転を行っていたが、改正後は2列車使用して柴又駅で交換するようになった。昼間の基本的なパターンは金町駅、高砂駅ともに発車時刻は7分・22分・37分・52分、柴又駅の発車時刻は上下共に9分・24分・39分・54分で、金町、高砂双方の駅を同時に発車した電車が柴又駅に同時に着発することになり、柴又駅での駅撮りが難しくなった。

ダイヤ改正とは別に7月5日より来年3月31日までの予定で、葛飾区のPRの一環として、3300形3341-3342-3319-3320の編成に「寅さん」、3337-3338-3347-3348の編成に「両さん」のラッピングが貼られている。

 

「寅さん」のラッピングのモハ3342と「両さん」のラッピングのモハ3338

【教習所踏切】

高砂~柴又間のほぼ中間地点の踏切で直ぐ近くに京成自動車教習所があり「教習所踏切」と呼んでいる。(正式名称は「高砂(金)4号踏切」)ここまでは自宅から自転車で20分(信号のタイミングがよければ15分)で到着する。趣味誌で「撮影地ガイド」に紹介されたことがあるが、高砂~柴又間で撮影可能な場所は、この場所を含め途中の踏切しかない。

 

高砂駅から柴又駅までのほぼ中間地点まで高架化され、高架から地平に降りる「寅さん」編成と地平から高架に上る「両さん」編成

 

高架完成前の同一区間を走る3341-3342-3319-3320と3337-3338-3347-3348編成

リバイバル塗装車

 

青/3353-3354-3355-3356・赤/3345-3346-3323-3324・オレンジ/3309-3310-3311-3312

3500形

昭和47年12月から57年5月まで4両編成24本96両作られたセミステンレス車。平成8年から大規模な更新修繕が平成13年までに14本が実施された。残りの10本も実施される予定であったが、新車を投入した方が得策との考えから中止となり、既に廃車された車両もある。

 

上/3501-3502-3503-3504・車体更新車、下/3573-3574-3575-3576

【教習所踏切の山側】

 

【「教習所踏切」と柴又寄りの「高砂(金)5号踏切」の間】

 

単線化後

 

複線時代

【「高砂(金)5号踏切」(柴又駅から高砂寄り2つ目の踏切)】

 

この場所も「撮影地ガイド」に紹介されたことがある。

【金町方面から柴又駅進入】

 

【柴又~金町間】 

柴又~金町間は両側に道路がある。金町に向かって右側は交通量が非常に多いが、左側は比較的静かである。

 

ダイヤ改正で廃止された上野行/3341-3342-3319-3320

 

金町駅発車/3589-3590-3591-3592

【北総鉄道リース車について】

昨年9月17日【4342】で3305-3306-3307-3308編成と3313-3314-3315-3316編成が北総鉄道にリースされ7261~7268の車号となっていることをお知らせしたが、4月中旬頃、教習所踏切で撮影していた同業者から7月17日の成田スカイアクセス開業に伴いスピードアップの障害になるため、9000系と共に廃車(リース返還)になるため、新鎌ケ谷駅や東松戸駅では撮影者で賑わっているという話を聞いた。同車の車齢を考えると多分間違いないだろうと思い撮影を試みたが、得てしてこの種の車両はカメラを持っている時には来ずに、持っていない時に限って来るものである。それでも葛飾区役所に行った時に、場所は良くないが何とか撮ることができたが、開業後も特に変わりなく運転されているようである。しかし、いつ廃車されてもおかしくない車両であるのは間違いなく、早めの撮影をお勧めする。

 

上/22年6月29日 立石~四ツ木間・下/22年5月18日 立石駅

 

9001他8連  22年6月29日 立石~四ツ木間

江若鉄道 三井寺下駅・本社

2010 年 7 月 11 日 日曜日

西村様
江若鉄道の復元工事が着々と進んでいること、同慶の至りです。つぎの目標は、三井寺下駅周辺のこと、ここには、江若鉄道の本社・車庫の所在駅であり、いつ行っても個性揃いの車両がびっしり詰まっていたことを思い出します。
今回の探求は、駅舎・本社ということで、探してみました。なんとか2点は撮っていました。復元工事のお役に立てば幸いです。
三井寺下の駅舎は、大通りから一歩下がったところにありました。本社・車庫の所在駅だけに、他駅に比してかなりの大きさでしたが、乗降客はわずかなものでした。廃止直前の姿で、正面には廃止の挨拶看板が立てかけられています。
一方の本社は、駅舎の左手にあり、駅用地とは塀で仕切られ、「江若鉄道株式会社」の門標もありました。ご覧のように木造下見板張りの2階建てで、この建屋は、鉄道廃止後も、江若交通の本社として長く在りました。撮影時は、駅・車庫用地すでに撤去後で、手前には新設の道路が見えます。この本社も昭和60年前後に付近の再開発に伴い、取り壊されたと記憶しています。

▲三井寺下駅駅舎、右手にホームがあり、車庫に留置された車輌も見える

▲右手が江若鉄道本社、左は組合の建物か。鉄道廃止後15年後の姿