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北の大地へ2010年初夏編 Part7 釧網線

2010 年 7 月 30 日 金曜日

第8日目 2010年7月1日
① 釧路9:05(快速「しれとこ」3728D)→9:36塘路
② 塘路9:36(4725D)→10:07釧路

今日も雨です。さすが湿地帯が近い街だけあります。総本家さんは部屋で洗濯をしたのに靴下が乾いていないと嘆いていましたので、「備え付けのドライヤーを使うと速乾しますよ」とアドバイスを送ったら早速実施していました。昨日の雨の中を草むらに入っての撮影でしたので、ぐしょぐしょになった靴もついでにやってますが、これは長期戦になります。出発する前に長靴があった方が便利ですよと購入を薦めたのですが、必要ならと買わずじまいでした。もう我慢できずホームセンターに寄って欲しいと、ロケハン乗車後に行くことにしました。私も前回同じく痛い目にあいましたので、既に現地購入済みで活躍中です。由良川・厚別川の水の中や、晴天でも雑草生い茂る中での撮影に大変役に立ちました。皆様も是非に購入をお薦めします。
ホテルの美味しい無料朝食をたっぷりと食べてから、車をホテルの駐車場に預けて釧路駅に向かいました。

▲ 快速「しれとこ」は、釧路運輸車両所管轄でヘッドマークがついていました。一方、釧路~根室間を走る花咲線運輸営業所管轄の快速「のさっぷ」「はなさき」はヘッドマイクがついていませんでした。同じ釧路駅発着なのになぜなんでしょうね。 

釧網線は、ラムサール条約にも登録された「釧路湿原国立公園」の特別地域内を走行します。トロッコ列車も運行されていますが、展望には降りて高台に登らなければ壮大な湿原を見る事ができません。鉄道撮影も同様で、約40年前は今のような観光客向けの見晴らし台まで整備されていなかったので探して登りましたが、無数の蚊の大群に襲われ、堪らず退散した苦い経験がありました。

撮影はいずれも1969年(昭和44年)9月1日、細岡駅です。今は、山小屋風のかわいい駅舎待合室に変わり1面1線の単なるローカル駅になってしまいましたが、当時は相対式2面2線で頻繁に列車交換が行われていました。3両・5両編成また混合列車をC58が牽引していました。長編成はC58重連でした。



▲ 貨物列車はDE10牽引になっていました。DC急行もあり、変化に富んでいました。

▲ この日も霧がたちこめていました。その後も数回行きましたが、晴天は一度もありませんでした。

▲ 昭和44年の道内時刻表からの釧網線時刻表です。

時間の関係で塘路までの往復乗車ロケハンでしたが、復路の列車は塘路で交換します。時刻表では同時刻発車で交換する列車への乗車が、可能かどうか分りません。釧路駅のみどりの窓口のお姉さんに聞いてみましたが、答えられないとの返事です。別の駅員さんに聞くと、相対式2面2線でのスロープ横断式通路までは分りました。乗車前に総本家さんが運転手に聞きに行ってくれましたが、ハッキリと分かりません。しばらくして、私から2度目の確認に行くと、先ほどもお聞きしましたので早めに着くようにしていますが、鹿が出てきた時は諦めてくださいとの事でした。どうやら鹿出没に備えて、予め余裕を加味した運転時間をひいているようです。総本家さんの問い合わせも効いたようです。

▲ 根室本線厚岸~根室間と違って、湿地を避けるようにカーブが多い遠矢~塘路間です

乗車後幸いにして急ブレーキ発生はなく塘路に発車時刻前に余裕の到着でしたが、復路列車は既に着いています。大急ぎでスロープ通路を横断して乗りましたがヒヤヒヤものでした。ついでながら、釧網線も鹿出没は日常的で、昨日は2頭が天国行きになったと言っておられました。


11:45
釧路に戻りホームセンターに寄ってから再び塘路駅に着きました。観光バスが駅前に数台います。丁度釧路からの「釧路湿原ノロッコ2号」が到着した直後で、団体観光客がバスへ乗換えていました。11:58、川湯温泉行きの4730Dが発車後、折り返しのトロッコは「釧路湿原ノロッコ1号」となって12:07釧路に戻っていきました。


撮影地ですが、霧が幾分晴れてきたとはいえすっきりとした写真は期待できません。でも折角来たからと、通称二本松と言われるポイントを目指しました。サルボ展望台方面へ向かい、途中で左折して久著呂(くったろ)道路の砂利道を走りますが、右折する道が見つかりません。

冬場なら枯れ木となっているので容易に見つかると思いますが、夏場はこれでもかと緑一色です。先まで行ってしまったようで、Uターンして再度見直し、多分ここだろうと思われる道を見つけましたが、左折しようにも大きな水溜りが行く手を阻みます。総本家さんが降りて、長靴で深さを調べてくれますが走行は難しいそうです。ここで車を降りて徒歩で山道を向かいましたが、途中で道別れしていて間違いました。

12:48、撮影地に着いた時は既に列車は通過した後で徒労に終わりました。撮影地には、30分前に必着しないとアングルが決められません。それ以前に撮影地に着けなかったのですから釧路湿原の撮影は失敗に終わりました。試し撮りを見ると、やはり霞んでいました。場所は申し分ありませんが、雨や霞が出る時の撮影は無理です。次回に期待する事にしました。

次の撮影地に総本家さんは北浜駅付近を熱望しておられますが、約130km以上あります。道は高速道路同様ですのでP6並みの高速走行は可能ですが、シカの出没やネズミ捕りを考慮しての運転となると、ぶんしゅう7号走行前に道内ナンバーの車が2台は走ってくれないとできません。これは道内ドライブでの鉄則です。

北浜前に私が希望するのは、エゾマツ・トドマツの林の中を走る光景です。勤務時代に仕事で行った時に、川湯温泉辺りに見た記憶がありました。摩周国道と呼ばれる391号線は釧網線に沿って走っているのですが、木々に囲まれて鉄道線の様子を見る事ができません。

ナビを見ながら交差する農道を見つけては右折左折を繰り返して、ロケハンします。交差する道の全部を辿る事は不可能ですので、後は自分の嗅覚と感を信じて探します。最初の撮影地は標茶から分かれた13号線の高架橋でした。上下両方が狙えます。

着いて直ぐの14:09川湯温泉発の4733D(キハ54-117)がきました。慌てながらカメラを取り出して向けましたら、なぜか霞んでいます。しまった、車内は空調しているので湿度が抑えられているのですが、外気は湿気100%状態です。一瞬にしてレンズが曇っていたのです。外気と車内に温度差がある時にも起こります。忘れていました。
しかし、標茶で交換した4736D(キハ54-515)がきます。こちらは万全体制で撮りました。

次は、美留和~川湯温泉間で、4736D変じて「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」(摩周~緑間を9/30まで期間運転)という粋な列車となった8736Dを追い抜いて撮りました。

摩周駅川湯温泉駅では約20分間、足湯に入っていただくために停車します。ヘッドマークも付いていました。

川湯温泉~緑間には難所の釧北峠が待っています。しばし川湯温泉駅で休憩としました。

川湯温泉から緑方向に硫黄岳をバックに入れて撮れる撮影地があるというので、また砂利道を進んでみました。ここも踏切がポイントですが、遮断機が邪魔します。雑草も刈り取りたかったのですが、ご覧のように硫黄岳は霞んだ状態ですので、やる気が起こりませんでした。

までは391号線と釧網線は大きく離れて走ります。国道も折り曲がる急坂が続く峠道となって難所です。緑を過ぎると牧歌的な丘陵地帯が続き、撮影意欲を呼び起こしてくれますが、また釧網線とは離れていきます。総本家さんに確認すると、北浜は夕焼けが是非とも撮りたいと言っています。

18:00以降の到着で良いと了解が取れましたので、右折して南斜里駅を目指しました。列車通過時刻を見てもらうと余裕はありません。見渡す限りの丘陵の野菜畑の中を一直線に伸びる農道には、走っている車は全くありません。これなら大丈夫と、P6で参りました。

先ほどの足湯号を抜きたかったのですが、知床斜里駅を出た斜里川鉄橋がやっとでした。後方の斜里岳1,547mが広い裾野を見せてくれています。夏場ですので陽は西寄りに沈みます。夕刻は逆光となりますのでここでの最適撮影時刻は、午前中なのでしょう。知床斜里駅に立ち寄りました。

年間観光客約100万人(平成21年度実績)の知床の玄関口だけあってモダンな駅で、過疎地では珍しい駅員配置駅です。そしてローカル駅には見られないバリアフリー駅、駅前には知床等へのバスターミナル、道の駅もあり、交通の中心地となっています。多分原生花園花のシーズンでは、知床帰りの観光バスはこの駅で観光客を降ろして原生花園臨時駅まで列車に乗せるのでしょう。

始めの駅名は「斜里駅」でした。1998年(平成10年)に改名されています。
斜里駅はかつて国鉄ローカル線建設華やかし折に、逆行するかのように廃止された根北線の起点駅として強く印象に残っています。大赤字が増大する国鉄再建のため国鉄諮問委員会が発足し、1968年(昭和43年)9月に営業係数が高く、「使命を終えた」と見られる赤字83線2590.6kmものローカル線がノミネートされました。その中に根北線が含まれており、地元と調整了解後の1970年(昭和45年)に廃止されていました。

当時は町から過疎地へとレールがつながる事の意味は精神的に大きく、沿線住民の願いでもありましたので、延伸も予定され一部着工されていた路線での廃線は、意外なことでした。

まだ時間に余裕がありましたので、知床斜里駅を釧路方面に出て90度方向を変える釧網線沿いの砂利道を走り、17:35青々とした野菜畑を前景に斜里岳の麓を行く4739Dを撮りましたが、晴天なら素晴らしい光景だったでしょうね。必ずリベンジします。

北浜駅までは約30km、18時過ぎには北浜駅に到着しました。今日の宿泊は、昨年10月にお世話になった湧網線卯原内駅交通公園スハ47-508を電話予約しました。今回は同宿者がおられるそうで、19:30までは待ちますがそれ以降なら明日9:00にお支払をお願いしますと、管理されておられる喫茶店のマスターのお返事でした。

北浜駅で18:33発の4740Dを撮影後に向かう予定でしたが、駅舎内の軽食&喫茶「停車場」で、夕食を済ましてからに決めました。が、ここで話し好きなママに捕まってしまいました。カメラ撮りも得意なようでこの時間にこの場所で撮るのが雰囲気が出て1番と、我々のカメラを持ってバシャバシャと写してくださいました。話が弾んで、20:05発4745Dを撮るまでいました。

北浜駅での鉄道写真は撮りましたが、ピントが甘くお見せできる仕上がりではありませんでした。どうも愛用カメラを使いこなせていません。Nikonお客様窓口へ電話をしてアドバイスを求めましたら、丁度鉄道写真を撮っていらっしゃる担当者が応対してくださいました。原因は列車のライトがAF機能に影響するようです。3Dトラッキング機能にセッティングすれば防止できる等々、いろいろと対策を教えていただきましたが、最善の策は鉄道写真家の山崎友也氏が言われているように①カメラを三脚に固定しAF機能を解除する。②液晶モニターをライブビュー撮影設定にする。③画面を拡大してピンをあわせて、列車がその位置を通過する時にシャッターを押す。といったほぼ完全マニュアルで撮影することで問題は解決すると言います。

聞けば当たり前のことですが、ライブビュー設定をして拡大してピントを合わすのは、デジタル一眼なればこその技です。ただこれでは、連写や撮影地点前後のショットはボケピンになります。三脚使用もやりたくありません。狙っている列車の通過地点より前後に予想だにしなかった良いショットが撮れる事があります。

確実な一発勝負にこだわるか、連写を生かして意外性も期待するかの選択です。勿論後者は、AF機能が付いていなかった以前のカメラと同様なカメラマンの腕前が要求されます。老眼になって暗いシーンは苦手となった老体には厳しい要求です。どちらを選ぶかは難しい選択です。皆様でしたら、どちらを選択されますでしょうか? それとももっと良い方法はあるのでしょうか?

北浜駅を出発後の卯原内駅への途中で、総本家さんが新婚旅行に泊まられた網走湖畔荘の温泉に入浴後、同宿者の方には迷惑な到着時間になりましたが22:00近くに着きました。

桜前線追っかけ2010年Ⅱ Part4 のと鉄道

2010 年 6 月 10 日 木曜日

第2日目 2010年4月18日
① 越中国分7:09(525D)→7:21氷見7:29(524D)→7:41越中国分
② 能登中島13:28(135D)→13:41能登鹿島15:16(140D)→15:29能登中島

9:00雨晴駅付近での撮影後、富山湾に沿った160号線を七尾市方面に北上しました。
カーブ高低差の多い道路ですが、ベタなぎの湾内は静かで、運転していてもすがすがしく感じます。

昔、41年前になりますが、この道を能登半島突端の狼煙の灯台まで、歩いた経験があります。それも出発は、京都三条大橋からでした。元気そのものだったのですね。

今は、気持ちだけで身体は正直です。ましてや一人旅、無理は禁物です。今日は朝早かったので、急激に眠気が襲ってきました。眺めの良い所で車を止めて朝寝をしました。

12:17のと鉄道田鶴浜駅着。降りて、駅構内をゆっくり見学しました。

12:30七尾行きのNT204、134Dが到着。続いて穴水行きのNT202の133Dが到着しました。

133Dの運転手さんに能登鹿島駅に行きますが、桜の開花はどうですかと、聞きますと、「丁度、満開ですよ。車ですか、車なら能登鹿島駅は今、見学客で大混雑ですよ。周辺の道路は止めるのは難しいです。お待ちしますので、車をこの駅で止めて乗って行かれたら良いと思います。」と、ありがたい案内をいただきました。

そうしようと一旦思いましたが、乗車は考えてなったので、準備ができていません。時間が少しかかるので、発車が遅れます。迷惑がかかってはと丁重に辞退しました。しかし、人のご親切は聞いておくものです。この後、とんでもない事が起こりました。

列車を見送り、のと鉄道に沿った249号線を走行している途中に突然に左足が攣りだし、締め上げられるような激痛が走りました。車を安全に停車させましたが、激痛はさらにひどくなり動けません。状態を変えればと、ドアを開けて転げ落ちるように降りて、道路に伏して左足をもみました。

救急車を呼ばなければと携帯電話を握り締めながら、しばらく様子をみましたら、激痛がやわらぎだしましたので、近くに見えたドラックストアまで、車を慎重に運転して行きました。

店内に倒れ込み助けを求めると、責任者らしき方が駆けつけて来てくださり、痛みが治まるまで左足のマッサージをしてくださいました。本当にありがとうございました。命拾いしました。

前日からフルに今日も早朝から運転を続けています。右足は、アクセル、ブレーキと動かしているのですが、左足は固定状態です。動かしていないと、血が回らずにこのような症状が出ることがあると言われました。

そう言えば、いつもは撮影後には温泉に浸かって、足のマッサージを欠かしていませんが、昨夜は深夜に着いたので、温泉に入っていません。近くの温泉を紹介してもらいました。丁重にお礼を言って、湿布薬等を買い求めてから温泉に向かいました。

13:00、能登鹿島駅着。ちょっと歩いた方が良いだろうと、降りて駅舎内を散策しました。

13:10、七尾行き NT213の136D


この駅には、1988年(昭和63年)のと鉄道に経営移管された時に新造され、急行のと恋路号として走行したNT800形2両と、なぜかオユ10-2565が静態保存されています。現在保存されているオユ10形は、2両のみで、貴重な存在です。通常は開放されていなく窓越しに車内を見るに留まりました。

郵便車は、昨年ぶんしゅう7号の初陣の旅で、北海道に行った時に佐呂間駅跡でスユニ50-517と会えました。40年前は、幹線を走行する長距離列車には、必ずと言っていいほど郵便車が連結されていました。電車や気動車もありました。つい最近まで使用されていましたが、保存車両は殆どないのですね。貴重な鉄道遺産だっただけに残念です。

のと鉄道は、穴水~蛸島61kmと輪島~七尾53.5kmの2路線計114.5kmを誇り、一時は乗客増もあり好調でしたが、道路整備及び沿線人口減と、お決まりの多くのローカル線が直面する経営障害にあえなくダウンしました。

現在は、七尾~穴水33.1kmを残すのみです。最盛期28両在籍した車両も、廃車または、遠くミャンマー国鉄へ売却され、7両のみとなっています。

見学して歩いていると、足の調子が回復してきたので、車を置いて能登鹿島駅まで列車で行く事にしました。同じような乗客は約10名余りですが、来た1両のNT204に乗っても満員にはなりません。

次の西岸駅も桜が満開でした。能登鹿島駅に近づくとびっくりです。見事な桜並木のトンネルと、乗客の10倍以上の桜見学客がいます。

14:06発七尾行きのNT213、138D。

列車が到着すると、皆さんホームからカメラを向けます。のと鉄道の社員さんが有料の乗客ではなく、無料の見学客の安全対策に追われています。こんな時ぐらい入場料を取れればいいものをと思いますが、どうでしょうか。

降りてみますと、133D運転手さんが言われた通り、定番の焼きソバ・たこ焼きや、地元の魚の干物、牡蠣焼き等々の屋台が出ています。美味しそうな牡蠣焼きは、大人気で、約20分待ちで食べました。駅前の道は、不法駐車の車多数で、パトカーが来て摘発しています。アドバイスを聞いて、列車で来て正解でした。

14:53、遅れての穴水行きNT213、137D。

穴水駅にも行きたかったのですが、今日は体調異常です。15:16発のNT201の140Dに乗車して車の置いてある能登中島駅に戻りました。何と、運転手は133Dの方でした。

お薦めの通りに能登中島駅から次の列車に乗りました。列車で来て良かったです。と、お礼を言うと、大変喜んでおられました。ローカル線で前方に立つと、露骨に嫌がって文句を言ったり、嫌がらせまでする運転手がいますが、こんな感じの良い運転手さんだと、また乗りたくなりますね。ありがとうございました。

15:29能登中島駅下車後は、教えてもらった近くの温泉へと向かいました。
最近、ぶんしゅうは中々良さそうな隠れた温泉に必ず行くようだが、紹介せよとのご希望がありましたので、掲載します。

名前;猿田彦温泉いやしの湯、入浴料;500円、TEL;0767-66-8686、場所;249号線沿い穴水に向い、のと鉄道西岸駅手前を右折し、国民宿舎能登小牧台を目指すが手前で左折して海沿いを行く。満足度;天然温泉。泉質に特徴はないが、地元の人ばかりで、話が聞ける。露天風呂から、七尾北灣のヨットハーバーが見渡せます。展望があって、ゆっくりできます。
http://www.city.nanao.lg.jp/odekake/guide_kuts.html#40

今日は、左足を重点にもみながら入りました。
宿営地は、近くの道の駅と思いましたが、立山連峰を是非とも撮りたく再挑戦することにして、昨夜と同じ「道の駅氷見」を目指しました。

桜前線追っかけ2010年 Part9 徳島線、土讃線 2の1

2010 年 5 月 31 日 月曜日

第8日目 2010年4月3日
佃14:06-(4466D)→15:06阿波川島15:30-(457D)→16:49阿波池田16:55-(476D)→17:02佃

昨日は、18:00佐賀関港から九四行動フェリーに乗船して、19:10に四国の佐田岬三崎港に着きました。豊後水道を横切る航路距離は31km、わずか70分の乗船時間で、運賃は、九州~四国間フェリーでは最も安い8400円でした。

日豊本線側は、高速道路が未整備なので、四国に渡るには、高速通行料、燃料代、運転時間や疲労を考えると、こちらの方が早く楽なので選択しました。

三崎港からは、東へ向かい松山高速道路に乗って、松山市内が眼下に見える伊予灘SAで宿泊し、朝を迎えました。昨日までの雨模様とは違って、晴天の撮影日和です。

今日の撮影地は、琴電旧車両運転時にお世話していただいた、高松にお住まいのK氏に前もって桜と鉄道を取りたいとお聞きしましたら、徳島線小島駅、土讃線箸蔵駅と黒川駅付近を勧めていただきました。

伊予灘SAを早朝に出発し、小島駅には9:05の到着です。駅前からして、桜満開で期待が持てます。

9:12、小島駅を発車するキハ471097+キハ47118、437D。

しかし、実際に撮りはじめて見ると、強烈な印象深い車体色の九州のDCを見慣れてきたからか、どうしても四国のDCの車体色は、印象に欠け、周囲の景色に負けてしまっているように見えてしまいます。

車外からのロケハンをするため、佃駅へ、そして徳島線と吉野川を挟んで川向うの箸蔵駅から黒川駅までぶんしゅう7号を走らせました。途中、昨年訪問できなかったスイッチバックの坪尻駅は、是非とも行きたいと道を探しましたが、失敗しました。

9:50、小島→貞光間を行くキハ185系2連の、特急剣山3号。

9:58貞光駅着。玄関の屋根上にあるのは、かつての時計搭だったのでしょうか。 

 

10:17、桜並木の江口駅着。10:28三加茂駅着。

 

11:05、阿波加茂駅着。11:21箸蔵駅着。

10:29、左・右下は、箸蔵駅を通過する南風10号。定番の撮影地は、左下写真の左カーブした先です。

12:04、築堤の上の駅、黒川駅着。阿波池田寄り直ぐに財田川にかかる鉄橋があります。


丁度、琴平始発阿波池田行きの短距離ローカルのキハ54-2、4251Dがいました。

12:13、高知行きのアンパンマン列車、特急南風7号が、眼科に咲く桜並木を見ながら、鉄橋を渡っていきました。晴れてはいましたが、雲がかかっていました。青空だったらもっと良かったでしょう。

13:54佃駅に戻り、キハ54-5単行の4466Dに乗車して、阿波川島駅までのロケハンを行いましたが、肝心な所に後から設置された邪魔な跨線橋があったりします。駅構内の桜は見事ですが、私の撮影センスでは、撮らえきれず、今日は、自分のセンス実力不足を嘆きました。

車窓から見ても、貞光駅、小島駅は、桜並木が見事です。山瀬駅にも大きな桜の木がありました。学駅は、受験生に有名な駅ですが、珍しい櫓のある駅としても知られていますが、何のための櫓だったんでしょうか。単なる建築デザインとして採用されたのか分りません

17:55、穴吹→川田を行くキハ1254+キハ1248、476D。ロケハン後、この時間この場所で撮りたいと、乗車した列車を追い抜いて、来てみました。もう少し、良い感じの写真が撮れると思いましたが、・・・・。 

今日は、折角の好天気に恵まれましたが、結果は期待通りには行きませんでした。四国に入り昼夕と、大好きな讃岐うどんを腹一杯食べられたのが、救いの一日でした。

明日は、大歩危、小歩危の絶景の撮影地に挑戦です。見つけられなかった坪尻駅へのルートも探してみたいと、宿題を作ってから、やすみました。今宵の宿営地道の駅大歩危は、珍しくぶんしゅう7号1台だけの一夜でした。

桜前線追っかけ2010年 Part6 宮原線

2010 年 5 月 22 日 土曜日

もう桜前線は、北海道の末端へ行ってしまいました。旬が過ぎてしまったが、その間いろいろと書き込みをしてしまったので、ご無沙汰になりますが、来年挑まれる方のためにも記録を残しておきたいと思います。

第5日目 2010年3月31日
長陽駅15:15→17:10国鉄宮原線・肥後小国駅跡→17:29北里駅跡→17:57麻生釣→道の駅ゆふいん(泊)

長陽駅訪問後は、外輪山を越えて肥後小国へと向かいました。到着後、さて肥後小国駅は、どこにあっただろうと思い『道の駅小国』に立ち寄ると、駅名版、線路が残されています。地元のおばさんに聞くと、間違いなさそうで、駅跡を利用して道の駅ができたらしい。

ここから、DRFCの1967年夏の合宿地、宮原線麻生釣へと、廃線跡を辿ってみました。郊外へと出ると、約42年を過ぎた今も、築堤跡やアーチ橋がそのまま残っていました。

北里からのトンネルを抜けると、路線跡が延びていましたが、雑草が茂っていてテントを張った駅前広場が確定できません。近くの農家に立ち寄って、聞いてみましたが、思い出は雑草の中に消えていました。

もう少し宮原線廃線跡を辿りたかったのですが、夕闇が近づいていました。この日は、宿営地を明日の湯布院付近撮影に備えて、『道の駅:ゆふいん』とし、途中で温泉に入り、疲れを取りました。



1967年夏の合宿は、8月25日麻生釣駅、そして8月27大畑駅と2回場所を変えて、行われました。出発は、京都19:30発の急行第2玄海で、翌日に鳥栖8:55着。D60-65牽引の631レに乗換えて、豊後森機関区見学後、宮原線を走行する機械式DCだったキハ07型に乗車して麻生釣に到着しました。

翌日は、旅行班と写真班に分かれての行動で、私は、終点の肥後小国まで乗車して、ここからはバスで阿蘇外輪山を越えて、熊本から三角線乗車へと参りました。バスで天草五島を見学後、一旦博多に戻り、夜行列車で鹿児島に行き、吉松圣由の肥薩線で大畑に向かいました。

工房便り D50の制作(3)

2010 年 4 月 11 日 日曜日

前回の投稿からあっという間に一月経ってしまいました。前回までで足回りの目処が立ちましたので今回は上回り、主として給水加熱器回りの太いパイピングを中心に、それに関連する工作をご紹介します。苦労して叩き戻したサンドドームでしたが、どうやら高さも高すぎたようで、結局約1mm高さを低くしました。幸い、断面がほぼ同じ部分がありましたので水平にスライスし、再度ハンダ付けで接合しました。ただしこれも1度では決まらず、2回切り接ぎましたのでご覧の通り、継ぎ目が現れています。同時にロストワックス製の蓋と砂撒き管元栓をつけておきました。なお、当社では煙突、ドーム類などに限らず、可能なパーツは出来る限りねじ止めするように心がけています。手順によってはあとで取り外す必要がでてくるからです。

シリンダーブロックの側板にシリンダ排水弁をつけ、シリンダーブロックに仮留めしたところです。ご覧のようにロストワックス製のこの排水弁はとても良く出来てはいるのですが、強度不足でご覧のようにすぐに曲がってしまいます。スケールだけを重視した製品にありがちなこの問題は困ったもので、後日裏側に補強を添えることにします。

フロントデッキには給水加熱器がつきました。ネジの頭が見えていますが、パイピングで隠れてしまうでしょう。シリンダーブロックの真上、ランボード上に突き出しているものはD50特有のバイパス弁の一部です。通常のデフレクターなら省略しても隠れてしまうところですが、門鉄デフではそうはいきませんね。ただし、少々オーバースケールとなっています。

非公式側、給水加熱器へのパイピング中。蒸気管、給水管は布巻きを模した製品で、B6では極薄の帯を真鍮線に巻き付けましたが、ショップでこれを見つけ、今回使ってみました。缶廻りのパイピング が終わっていないので、ハンドレールはノブに差し込んであるだけです。そのため、管支えの位置もずれています。
煙突は実物同様少し延長してあります。7mmのパイプがジャストフィット。前照灯も250Wの大型を奢りました。
ボイラーサイドの給水用逆止弁は下側から入って横に出るタイプ。長い間パーツ箱を暖めていました。

公式側。逆転棒、缶梯子、冷却管、そして砂撒き管もつきました。

これで随分出来て来たように見えますが、まだまだ工作が 残っています。キャブ下の主台枠後部が最大の難関です。次回は従台車廻りと共にご紹介しましょう。(つづく)