2010年 秋の中国一人旅 Part4丹東 国際列車

第5日目 10月25日 丹東

7:00丹東駅前ホテルにチェックインできました。部屋から駅前広場が見えます。7:17に到着する北京発平壌行きのK27を撮りたかったのですが、初めての土地です。買ったばかりの地図だけでは、撮影地が分りません。ホテルの窓からK27の入線を見ながらしばしの休憩タイムとしました。

土地が広いと言うことは素晴らしいですね。駅前広場では、スケート練習もやっていました。イチョウ並木は黄色く色着いて銀杏をひらっているおばちゃま多しです。

【丹東站での切符の購入】
まずは、8時に発売開始の切符の購入です。先ほどとは違った窓口で再度満州里への切符残席を確認しましたが、やはりありませんとの返事です。しつこく聞くのは、過去に同じ站ながら窓口を変えると購入できた事があるからです。日本ならあってはならない事ですが、なぜか不可解な事がおこるのが中国です。最後まで諦めずに確認する事が必要です。切符窓口ではオンラインのシステム精度に問題があるようですが、中国人に何かを聞く場合は、必ず複数以上の人に聞く必要があります。それぞれが違った返答をしてくる場合があるのです。

広すぎる切符売場です。並ぶ人も少なく楽です。待合室は軟座客用はソファーが設置され、硬座客用もスペース充分です。2階左側に国際列車用に出入国検査手続場があります。

これは、中国人の「面子(メンツ)」にあると思っています。中国人は、日本人には理解できないほど「面子」を大事にします。責任感が強い面から言うと立派ですが、逆になる場合もあります。何か分らないことを聞いた場合、知らないと言う人よりも間違っている事を平気で言う場合があります。悪気はないのですが、知らない事を恥じているのが原因です。後で間違っていたと追求すると、原因を他に置き換えて自分を正当化するのも困ったことです。
瀋陽鉄道博物館も迷走させられましたし、撫順のジテももう廃車したと言われ走行を撮るのを諦めましたが、後日に準特急さんが撮られているのを見て愕然としました。
道を聞く場合は特に問題発生が多いので、私は途中で何人もの人に確認するようにしています。皆さんが中国に行かれた場合必ず通訳をつけると思いますが、通訳は分らない事が発生した場合、他人に同じ質問を何度もするのを嫌がります。確認の上にも再度確認する念押しといった習慣がなく寧ろ恥だと思っています。
元々、何かを製造した際も検品を行わない習慣でした。そのために欠陥品が市場に出回ります。買う時にしっかりと確認しなかった方が悪いとの見方が多いようです。まあ最近は外国資本の会社の進出が多くなり、検品の習慣が出来つつありますが、それでも安心して気を抜くと必ず欠陥品がでます。これは中国人自身が自国の製品を信用していない事でも分ります。
長期中国旅行中に日本料理を食べたくなりますが、調理人が日本人でない、また日本人経営者が不在の店には絶対に行きません。日本料理は生ものを扱いますので、調理中の管理が大事ですが、全く分っていませんので危険です。これも過去に痛い目にあった事での経験上での話です。

例を言い出したらキリがないので、このぐらいで止めておきますが、これで瀋陽から調兵山に行くのは、完全に確定しました。向こうで2日間を撮影にあてる事にしました。瀋陽から来る時に乗りそこなった国際列車復路のK28を申し込みました。しかし、瀋陽からでは途中乗車となるためか、切符はありません。しかし、始発駅のここ丹東からだとあると言います。それでもいいが、瀋陽からも乗車できるか? 列車乗務員がキャンセルとみなして他の乗客に席を売ってしまわないか、聞いてみましたら「大丈夫、問題ありません。」との返事でしたが、当日にならないと本当の事は分らないリスク覚悟で購入しました。往路の列車を見ても丹東~瀋陽間で乗り込む乗客は少なかったので、リスクは少ないだろうと思ったからです。

【鴨緑江を渡る北朝鮮行き国際列車K28/27】
切符も買えましたので、次は北朝鮮へと向かう国際列車撮影です。天津はいつもスモックが立ち込めていますが、今日の天気は雲もなくすみきって快晴の絶好の撮影日和です。撮影地はやはり鴨緑江橋梁が1番と思い地図を広げて見ました。遠くありません。歩いて行く事にしましたが、一応目的地方向から来た若い人に聞いてみました。「徒歩約15分」との返事です。ピッタリでした。

鴨緑江には、鴨緑江橋梁と中朝友誼橋の2つの橋がありました。鴨緑江橋梁は、1911年10月竣工されました。朝鮮側の京義線と大陸側の安東(現;丹東)~奉天(現;瀋陽)の安奉線を接続するために架けられた全長944.2m幅11m12連のトラス橋です。中央部が90度回転する可動橋でしたが、朝鮮戦争で1950年11月8日にB29の爆弾攻撃を受けて破壊され、修復されることなく観光用(断橋)となっています。

断橋の方は、元は真ん中が鉄路で両側は、人が歩いて渡るようになっていました。

一方の中朝友誼橋は日中戦争時に大陸への輸送増強複線化のために1943年竣工された鴨緑江第2橋梁です。こちらは全長946.21m幅10.5m12連のトラス橋です。第1橋梁と同様に朝鮮戦争で1951年4月7日に被弾しましたが11日には、修復され列車が走行しています。
現在、道路と鉄路がそれぞれ単線で走行できるようになっていて、道路は、時間を決めての一方通行が行われています。断橋から撮影する事にして、入場券30元(約380円)を購入して、先端部まで歩きました。

破壊された断橋は、整備され保存されています。

時刻表によれば、北朝鮮に向かうK28国際列車は、丹東を9:35に出発して直ぐにこの鴨緑江にかかる中朝友誼橋を渡って行くはずですが、10:00を過ぎても来ません。先端部にある売店の夫婦に聞くと、毎日走行しているが今日は晩点(遅着)だろうと言います。遅れること1時間、諦めかけた頃に突然警笛がなって客車なしのDL単機がやってきました。啞然として見送りますが、次は北朝鮮側から来る夕方16:23丹東着の列車です。

次は、2本の橋梁を入れて上から撮りたいと堤防近くの速8酒店(スーパーホテル;日本経営ではありません。名前は同じでもこちらが先口です。)に行って交渉しました。日本語が話せる女性がいましたので、お願いするとホテルが使用している最上階の8階(全体では23階)の部屋に案内してくださいましたがフカンがイマイチです。宿泊料金は(150元=約1,900円)でお得です。

左上;真ん中が速8酒店、右側が丹東中聯大酒店。右上は橋そばの日本軍が建設のトーチカです。

隣の丹東中聯大酒店の方が高さもあります。写真を撮りたいと申し込みますと13階からがよく見えます。フリースポットです。案内します、どうぞと言われましたので待っているとマネージャーが出てきて宿泊のお客様でしたらOKです。今夜宿泊されますか?一泊650元(約8,200円)ですと違った返答です。一瞬考えましたが、既に駅前ホテルにチェックインしています。次回としました。行かれる方は、多少高くとも撮影できる利点は最優先した方が良いと思いますので、このホテルをご予約ください。宿泊料金重視なら速8酒店ですが、橋が見える部屋を確保できるかどうかは、交渉次第です。

夕方まで十二分の時間があります。駅裏にヤードがあったので、何か撮れるだろうと歩き出しました。最初の撮影場所は足で探すことを基本にしていますが、塀に覆われていて撮れません。約8キロ90分をかけて歩きまして、ようやく機関区が見える場所にたどり着きました。朝から10キロ以上は歩いていて、夜行乗車後の老体は悲鳴を上げています。朝食は軽くでしたのでお腹も空いてきました。次の列車は13:10発です。それまでに昼食は食べておきたいので探しますが中々見つかりません。ようやく小道を入った所で小さな「餃子館」を見つけましたが、大正解でした。何と言ってもおばちゃまの笑顔が良い。早速ビールを頼んで小ぶりの水餃子を食しますが旨い。他の小鉢に入ったのも美味しそうです。気に入りました。

24個ほど入った水餃子は16元(約200円)、地元の鴨緑江ビールはわずか3元(約40円)です。

撮影場所は、立体交差する跨線橋が良いのですが、フェンスの網が細かくコンデジをもってしても抜けません。平面交差する踏切へ向かいました

13:13、丹東站を発車した東風4型2487機牽引、13両編成の普快2258/5/4/2次がやってきました。国際列車K28は、瀋陽から秦皇島圣由の1,141キロを14時間で北京着ですがこの列車は秦皇島を圣由せず阜新・承徳を回っての1,203キロを21時間51分で北京に到着します。、


13:35、終着丹東に向かう東風4型2175機牽引、緑皮客車12両編成の龍井発のK7377/7380次。

13:55、丹東站を発車した東風11型(DF11)0256機牽引、13両編成のK7318次。

ここで、一旦ホテルに帰って休憩。早朝から動いていたので疲れました。30分前に着けば良いだろうと、休憩後はホテルからTaxiで出かけました。ここのTaxi料金は、中国でも最も安い5元(約65円)です。日本とは一桁違います。基本料金で到着。午前中は、あんなに歩いて疲れるだけだったらTaxiを使えばよかったと反省です。以後、老体に鞭打ち体力消耗より、早くに着いて撮影体制を準備する方を選択する事としました。
今日2回目の入場券を買って、また断橋先端部まで行きました。列車が来るまで、すっかり仲良くなった売店のご夫婦と雑談です。何人か?どこから来た?中国はよく来るのか?何回目だ?どこへ行ったか?旅行か?カメラはいくらする?どこに泊まっている?次はどこに行く?等々、どこへ行っても同じ質問なので慣れてしまいました。
K28丹東着は16:23。16:20頃に通過するだろうと思っていましたが、朝と同じく中々来ません。夕陽が丁度いい加減に順光で良いのですが、遅ければ沈んでしまいます。

16:30、汽笛が聞こえゆっくりと渡って来ました。

東風2型と思しきDLが荷物車+⑫5302(朝鮮)+⑬5305(朝鮮)+YW25-672168の4両の客車を牽引して北朝鮮よりやって着ました。

通り過ぎた後は、丁度日没となっていました。ここで撮影するなら、もう2週間前がベストです。  Part5へ続く

2010年 秋の中国一人旅 Part4丹東 国際列車」への3件のフィードバック

  1. 懐かしいですね。もう10年近く前ですが、鴨緑江を渡りました。平壌を朝11時頃に出発。モスクワ行き2両と北京行き2両に北朝鮮の客車を連結し、15時頃に新義州に到着。ミカイが入れ換えをしていましたが、ここでは撮影できませんでした。新義州には2時間半くらい停車して税関検査を終え、国際列車4両で渡河。橋のたもとには監視の警察か兵隊が立っていました。丹東でも2時間半くらい停車しました。国境越えで5時間近く経過したことを覚えています。北朝鮮側は電気機関車牽引でしたが、電力事情か線路状況かよくわかりませんが、スピードが出ていませんでした。逆に丹東からは中国の客車を連結して東風4型ディーゼル機関車牽引で出発しました。スピードがあり、国力の違いを感じた次第です。

  2. 丹東には2001年に行きました。鴨緑江の遊覧船に乗りましたが、かなり北朝鮮側に近づき、行進中の小学生の顔がよく見えました。準特急様もご指摘されておられますように国力の差を感じました。夜の丹東はネオンも煌々と活気がみなぎってましたが、対岸の新義州市は暗闇の中にありました。丹東にある抗美援朝記念館は中国の立場から朝鮮戦争への参戦を顕彰する博物館で、ソウル龍山の戦争記念館とは全く逆の解釈のように思えました。翌日、撫順へ向かい鉱務局が運行する電車に乗りましたがジテには乗れず、すれ違いを撮るのが精一杯でした。

  3. 準特急先輩、ブギウキ様、コメントをいただきましてありがとうございました。
    投稿原稿作成に必死で遅れまして申し訳ありません。何かに必死になると他の事を忘れてしまうイヤな性格が治らないばかりか持病と同様に逆に酷くなってきたようで、すみません。

    準特急先輩様へ
    丹东で購入した地図は白紙状態ですが、グーグルアースの地図では、この辺りの航空写真が極めて鮮明に出ています。新義州駅は貨物ヤードも広く貨車が多数留置されています。と、言うことは、客車列車の他にも貨物列車の往来もあるのでしょうね。ダイヤが分れば1日中待っても良かったかなあと思いますが、教えてはくれないでしょうね。国際列車も毎日走行するものだと思っていましたが、列車乗務員に聞きますと、最近は週に2~3便で不定期運行と言っていました。
    機会があれば、北朝鮮の列車の旅をして見たいものです。きっと驚くような機関車や客車に出会えるでしょうね。しかし、北朝鮮に向かう中国鉄路の車両は緑皮車だと思っていましたが、160km/h対応の最新鋭とは驚きました。朝鮮側では80km/hも出ないでしょうから、中側の面子でもあると思いました。

    ブギウギ様へ
    お久しゅうございます。お元気でしょうか。鴨緑江の遊覧船は、当日もたくさんの乗船客で賑わっていました。夕方近くになると、中側には高層ビルと夜景が綺麗ですが、朝鮮側には光すら見えない、まさに闇の国です。国力の差でしょうが、天地の差でもあるように感じました。丁度丹东に行きました前日は、朝鮮戦争の際に中国義勇軍が出陣した記念祭が朝鮮側で開催され、TVニュースで放映されていました。改めて中朝間の密接な関係を感じました。中朝友誼橋への税関入口の道路には、数10台の大型トラックが物資を満載して、並んで待っていました。逆に復路のトラックは空で帰ってきます。中国の後押しがなければ維持存続は出来ない国なんだと改めて見させられました。南北統一も大事な問題ですが、一定期間を設けて中国の省になれば、外国人の自由な往来も出来るようになって、列車の旅も出来るかなと、思いました。

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