【12457】さようなら 都電7500形

この度の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。鉄道はじめ公共交通機関の一日も早い復旧と被災地の復興を祈念し、投稿を再開させていただきます。

都電荒川線で最後まで残っていた7511と7512の2両が3月13日を最後に営業運転を休止し、当日はお別れ式が実施される予定になっていた。

最終日2日前の3月11日(金曜日)、撮り納めと乗り納めをしようと思い、フレックスで10時出社にした。いつもの時間(6時40分)に家を出て町屋で都電に乗換え荒川車庫前で下車。三ノ輪橋方面行が順光になるが、この時間帯は正面に電柱の影が写ってしまうが贅沢は言っておられない。ラッシュのピークのため電車は3~4分間隔で次々に来るので効率がよい。町屋駅前行で来た7511を撮影したところで、横の道路から車庫内を覗くと、廃車済みの7520に「さよなら」のヘッドマークが取り付けられているのが見えた。恐らく13日のお別れ式に7511、7512と共に展示されるのであろう。三ノ輪橋行で来た7512を撮影後、町屋駅前で折り返してきた7511が大塚駅前行で来たので乗車、飛鳥山で降りて折り返してくるのを待とうとも思ったが、乗り納めで大塚駅前まで乗車して、荒川車庫前行で折り返して行くところを撮影した。次の電車で新庚申塚まで戻り、徒歩連絡の都営地下鉄三田線西巣鴨駅から芝公園駅近くの勤務先に向かい、予定通り10時に到着した。7511、7512の撮影、7511の乗り納めと予定通りの結果であったが、何か寂しいものがあり、あわよくばもう一度乗ってみたいと思った。 

いつも通り慌しく仕事を進めているうちに、14時46分やや大きな横揺れを感じた。揺れはどんどん大きくなり、立っていられない状態になり、マジでヤバイと思った。揺れが収まり、テレビをつけてみると東北地方を震源地とする大地震が発生し、東京は震度5強とのことであった。自宅に電話をするが繋がらない。やっと繋がったと思ったら誰も電話に出ない。暫く経って再度電話をすると、嫁さんと子供は亀有の大手スーパーに併設されている映画館で鑑賞中に地震に遭遇し、余震が続く中を2時間かけて歩いて帰ってきたとのこと。自宅は建物の損傷はないが、家の中は書棚が転倒し、棚や箪笥の上のものは全部落下、食器棚の中のガラス製品が多数破損している。はよ帰ってアンタの本を片付けてちょうだいとのこと。鉄道の運転再開まで時間がかかるので、約20キロの道程を歩いて帰ろうと思い、外に出たところで「ビル管」から津波警報が出たので3階以上に避難したほしい。また警報が解除になっても余震が収まるまで外には出ないで欲しいと言われ、仕方なく4階の事務所に逆戻り。事務所から海岸までは500m程である。

16時30分頃都電と都バスの運転再開が伝えられた。都バスが動けば、さほど遠くない新橋まで歩き、業平橋行に乗り途中の言問橋で金町行に乗り換えれば帰ることができる。暫くすると都バスで帰ろうとして事務所を出た人が戻ってきた。ひどい渋滞と長蛇の行列を見て諦めたとのこと。事務所前の渋谷行のバスも渋滞のため全然動かない。この時点で都バスルートは諦めた。招集がかかり、大阪の本社からの指示で食料を確保せよとのことであった。事務所周辺のコンビニは既に売り切れとの情報で、少し離れた住宅街に行くと、パン、おにぎり類はすべて売り切れ。辛うじて残っていた弁当、カップ麺を必要数購入した。21時を過ぎた頃が都営地下鉄、東京メトロを中心に運転再開のニュースが入り、半数以上の人が帰宅したが、混雑のため電車に乗れず事務所に逆戻りした人、超満員の電車で行けるところまで行き、深夜の道を歩いて帰った人、途中で帰宅難民になった人等まともに帰れた人は殆どいなかった。余震の度にロッカー類が揺れる音と、携帯電話のエリアメールの音で眠れなかったが、暖房が効き食料が充分にあるのは有難かった。

 

翌12日、ニュースではJR各線は7時頃から、山手線は8時頃から運転再開と報じていた。都営地下鉄は昨夜の段階でほぼ全線で運転再開、私に関係する東京メトロ千代田線は代々木上原~霞が関間のみ開通していた。9時30分に事務所を出て混雑を避けるため都営三田線芝公園駅から昨日の逆ルートで帰ることにした。三田線は昨夜のうちに開通しているので乗客はさほど多くなくほぼ平常通り運転されていた。都電荒川線は山手線の高田馬場~巣鴨間の代替交通機関として超満員であったが、5~6分間隔でほぼ平常通り運転されていたが、「町屋駅前~大塚駅前間の区間運用」(土休日に三ノ輪橋~早稲田間の通し運用2~3本間に運転される)の運休と明日の「7500形さよならイベントは中止となり、グッズのみ販売」とのアナウンスがあった。ちなみに山手線外回りが運転再開したのはこの日の午後であった。この時点では、千代田線は代々木上原~霞ヶ関間の折り返し運転のため飛鳥山で途中下車して撮影しながら時間調整することにした。大地震の翌日にもかかわらず何人かの撮影者がいたのには驚いたが、自身も同類のため人のことは言えない。撮影していた人に7500形の運行状況を聞いたところ、間もなく7511が貸切で来るとのこと。撮影後荒川車庫前に移動して戻りを待ったがここで入庫した。乗客は10人程で2家族の貸し切りであった。運行状況のアナウンスがあり、千代田線は綾瀬まで全線再開したとのことであった。町屋駅に到着すると、綾瀬駅混雑による運転見合わせのため京成への振替乗車が行われていた。普通八千代台行(6両編成)が直ぐ来たが成田空港から海外に行く人も結構乗っており超満員であった。高砂で乗り換えた金町行は通常15分間隔のところ1本間引きで30分間隔となっていたのとメトロからの振替乗車の乗客で満員で、金町に到着したのは13時であった。
当日の京成電鉄の運転状況は、本線上野~八千代台間と押上線がオール各駅停車で約20分間隔、金町線30分間隔、八千代台~成田空港間と千葉・千原台線は終日運休、北総鉄道は高砂~印西牧の原間、成田スカイアクセスは印西牧の原~成田空港間それぞれ約40分間隔で折返し運転され、東京~成田空港間の足は辛うじて確保されていた。

 


7511の貸切運行

 
イベント中止を告げるポスター

 
「都電おもいで広場」もお休み

 最終日の13日、イベントは中止されたが、この日のみ発売の「記念1日乗車券」を購入するため荒川車庫に行った。入口のところにヘッドマークが取り付けられた7520が綺麗な姿で停められていた。一方本日限りで引退する7511と7512は終日町屋駅前~大塚駅前間の運用に入り最後の雄姿を見せてくれた。13時過ぎ、一昨日乗り納めをした7511が来たので、町屋駅前まで本当に最後の乗り納めをした。そして7500形の昭和37年から半世紀に亘る活躍の歴史が静かに終了した。

当日イベントは中止になったが、この日のために美しく整備された7520を入口近くの撮影可能な位置に停車、7511、7512を大塚駅前~町屋駅前間を終日運行させて多くの人が乗車、撮影可能なように配慮された関係者の皆様に敬意を表したい。

 
この日のために整備された7520

 


最終日の表情(上/町屋駅前で折り返し 中/荒川車庫前発車 下/町屋駅前発車)

7511車内のポスター

 

在りし日の7500形
原形時代
昭和37年に7501~7510が日本車両、7511~7520が新潟鐵工所で新製され青山車庫に配置された。昭和43年9月青山車庫廃止により7501~7510が荒川車庫、7511~7520が柳島車庫に転属、昭和47年柳島車庫廃止により7517と7519が廃車になり、残り8両が荒川車庫に転属した。

 


昭和52年2月12日 荒川車庫前/事務所の建物は「都電おもいで広場」の位置にある。

ワンマン改造後
昭和52年10月からワンマン運転開始に伴い改造されることになった。(完全ワンマン化は昭和53年4月)7000形は車体を新製したが、ワンマン機器設置とホーム嵩上げによる車体改造に留まった。7509と7514は改造されずに廃車された。

 


上/昭和58年7月12日 下/同年6月18日 荒川車庫前

車体更新後
昭和59年から冷房装置搭載に伴い車体更新が実施され新製車体に乗替えられた。7502、7504、7508の3両は対象外となり、7502と7508は廃車、7504は朝のラッシュ時のみ使用されたが平成13年に廃車後「都電おもいで広場」で保存されている。集電装置は当初ビューゲルであったが、程なくパンタグラフに換装された。


ビューゲル時代の7503/昭和60年5月10日 荒川車庫前

思い出の風景

 
荒川2丁目~荒川区役所前/平成21年3月27日


王子駅前~飛鳥山/平成21年5月15日


飛鳥山/平成21年6月8日

荒川遊園地の送迎バス
沿線の荒川遊園地に7500形をモデルにして作られた送迎バスが存在した。こちらは一足早く姿を消したようである。


荒川遊園地/平成11年6月24日

さようなら 都電7500形” への1件のコメント

  1. 東北関東大震災から10日経ちました。三陸海岸で鉄道にカメラを向けた老人ではありませんが、今も東北各地とわずかながら関わりがあります。
    今回、クローバー会第3回総会を真近に控え、どうしたものか悩みました。でも震災地から「皆さん、怯むことなく活性化して私たちを支えて下さい」とのコメントをテレビ画面で見つけたことが「みんな集まれ!」となりました。4月23日当日、その時の心境をお話しすることになると思います。
    総会では幾つかの提案をさせていただきます。まだ手術した脳髄の中をくるくる回ったままですが、当日までにまとめておきます。クローバー会は発足7年目を迎えることになりますが、クラブメイトが「デ元青」がDRFC現役時代同様に、自由に投稿している姿が鉄道趣味界に目に留まっているようで、とてもうれしく思っています。でもここで蝶ネクタイをあわてて締めるようでは「元祖青信号」とはなりません。お題目はここまでとして、震災地の皆さん!、今すぐに私たちが出来ることはごくわずかの事ですが、私たちが皆さんの膝もとにお伺いした時の感性は今も心に刻みこまれています。阪神淡路大震災の時のように手軽に御地へ出向けませんが皆さんの支えの一端となりたいと思っています。今は皆さんの{足」が気になっていますが、しゃしゃり出ることはしません。今回はここまでにします。
    乙訓の老人

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