失業者二人の旅日記 初冬の大地へ Part7 雅満蘇(牙曼苏;Yamansu) その1

第7日目 12月6日 哈密→雅満蘇

早朝6時前、哈密のホテルをアイグリさんも同行して出発しました。目的地の雅満蘇(牙曼苏)までは、約120キロ、鉱山鉄道の起点がある中国鉄路の山口站までは、鉄道線では97キロあります。道路灯もない真っ暗闇を東方向に約2時間強を走り、近くからは迷走を重ねてようやく8:14山口站に到着しました。以前に来た時の道がなかったそうです。

なぜに山口站に立ち寄るかと言いますと、雅満蘇鉱山鉄道は、定期列車がありません。いつ何時に走るかは、この站にある雅鉄の事務所に来て聞かないと分からないのです。 ただかすかな情報では、8時ごろに山口站を発車して山の鉱山まで行くらしいとO氏がおっしゃいます。
站の構内には煙が見えません。事務員の返答は、「今日は走らない」でした。 ガックリと肩を落としましたが仕方ありません、雅満蘇へ向けて約35キロの真っ暗の道を登っていきました。

9:02雅満蘇近くで朝日が上がりました。ほぼ三道嶺と同様です。山口から雅満蘇までは、列車で約1時間30分前後かかるとアイグリさんは言われます。と、言うことは、終点の雅満蘇近くでないと撮影は不可能です。これではかなり撮影場所が限定されます。

▲ 9:13雅満蘇站に到着しました。構内には建設型8423号機が蒸気を吹かせて息づいていました。さらに奥の車庫には6495号機の姿も見えました。走れる蒸気機関車がいることが分かり一安心しました。


▲ 小さいながも石炭積込みと給水設備があります。朝日も浴びて紅く染まっていました。

▲ 不思議なことに構内に鉄鉱石を運ぶ貨車が見当たりません。これが後々に我々を悩ます根源の一つでした。

▲ 右方向に進むとプラットホームもある雅満蘇站がありました。1駅ですが駅名版もあります。カーテンまである整備された小さなレールバスが止まっていましたのでお断りをいれて見てみました。
後でアイグリさんから、今日は安全検査院がお見えになられているそうで、これに乗車して山口站まで往復されると聞きました。蒸気機関車が走らないのも検査院のお偉いさんが来られているためだそうです。昨日は走ったそうで、都合の悪い時に来たものです。しかし、通常は車庫に入っていてめったに見られない、このDCを見られたのはラッキーでした


▲ 10:19、ようやく朝食です。アイグリさんが案内してくれたのは、外観はボロボロの回民食堂ですが、結構ウィグル人で満席です。注文してもらったのは、羊肉の肉汁が美味しい肉マンと羊肉のスープでした。5人で60元(約750円)といつもより高額なので明細を聞きますと、肉マンは3個で2元(25円)ながら、スープは10元(125円)もします。最近、放牧が禁止されてから羊肉の値段が上がる一方で、キロ48元(600円)もするようになったので高くなったのよと、説明を受けました。京都西山にあります睛春庵に住いしますぶんしゅうは、毎日の食事当番をしておりますので、食料材料の価格には敏感です。キロ600円とすると。100g60円です。ほぼ豚肉と同等か、2倍程度です。中国の物価からしますと、かなり高額と言えます。

原因は、黄砂対策です。放牧されている羊は、草の根も食べてしまうそうで、放牧地を砂漠に変えるために一帯は放牧が禁止され、羊が激減したのが原因だそうです。
三道嶺では、途中で哈密に帰られたアイグリさんですので、あまり話す機会がなかったのですが、日本語が堪能です。聞けば、ウルムチの大学授業で学んだそうです。

雅満蘇の街に入る前も、かつては15万人が住む町だったが、今は家族も哈密に引っ越して15日サイクルで勤める人達が雅満蘇に来ています。雅満蘇の語源はウィルグ語で、”悪い水”の意味で生活するに適さない所なのですと流暢な日本語で説明を受けていました。もっと早く気づくべきでした。それからは、直接に質問をすることにしました

朝食後は、明日からの撮影のためにロケハンをすることにしました。 Part8へ続く

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