2012年 冬から春への中国鉄路一人旅 Part12  昆明のミシェラン 雲南鉄路列車陳列館

投稿日の今日は、重慶モノレールに乗って撮って頑張ってきましたが、明日は8時の列車で成都、そして芭石鉄道へと移動しますので、今夜も早めに寝ようとホテルに帰ってきましたら、須磨の長老様よりのご催促が投稿されておりますので、答なければえらいことになるかもと思い、投稿させていただきます。

第15日目 3月4日 午後
昆明に参りました目的は、昆河線に乗りたいこともありましたが、本命はミシェランの内燃動車でした。初めから直行したかったのですが、まだ開館前です。メータゲージの乗車できる時間も1本しかありませんので、午後にゆっくりと観察しようと思った次第です。

13:00昆明北駅にTaxiで到着しました。駅前食堂で麺を注文してからゆっくりと北駅に併設されている雲南鉄路博物館に参りましたが、2011年6月6日から一時閉館されたままです。これは情報を持っていましたので、また北京の鉄道博物館と同じような要因なのかと、理解しました。
問題は、実物の車両陳列館がどこにあるかです。丁寧でない地図が貼ってありましたので、地元人民に聞きながら行きました。近そうなのですが、見えていればすぐに分りますが、初めての者には、200mが2キロに感じます。迷走しながらでしたが何とかたどり着きました。


▲ 入館してすぐ左に目にしたのが、 ミシェランの内燃動車でした。びっくりしたのは、外装・内装とも、予想していたよりもとても綺麗だったことです。これなら今すぐでも走れそうな状態でした。もう1つ意外だったのは、窓ガラスに熱線吸収ガラスが使われていたことです。当時こんな車両があったのかと驚かせられました。

▲ 1番に見たかったのは、車輪です。 ミシェランといえば、タイヤメーカーです。以前にパリでゴムタイヤ地下鉄が走ったとの記事を見ましたが、車輪自体の構造まで分っていませんでした。今や、札幌地下鉄や新交通等々でゴムタイヤが使われるのは珍しいことではありませんが、あくまで案内車輪をつけた方式です。今ここで見ていますのは、硬質ゴムで作った車輪です。ホイールは鋼製になっていますので、レールとの接着面をゴムにしたのと思いますが、構造等につきましては、さっぱりわかりません。我がクローバー会には、博士各位がおられますので、ご解説をお願いしたいと思っております。
しかし、走行音は静かだったでしょうね。是非とも一度乗ってみたい車両です。


▲ 上は運転席、下は車内です。立派なシートが並んでいます。多分、フランス人の高級官僚が乗車したのでしょうね。気になるのは、窓下のハンドルです。自動車のように窓ガラスを開閉するためだったのでしょうか? 車両真ん中はスナックカウンターになっていて、簡単な料理ぐらいは作っていたんでしょうね。

この車両は、1932年5月22日に湏越鉄路に配属されました。
全長19.7m、車幅2.6m、自重8トン、出力117.6kw、最高速度は、半径300mで100km/h、半径100mで45~60km/hと発表されていました。

なぜに中国に残ったのかは、ベトナム国境の橋を毛沢東の指示で爆破したためで、帰れずに取り残されたというのが歴史です。チャーターできるものであれば、一度こんな車両に乗って、昆明からハノイまで旅をしてみたいと思いました。


▲ この蒸気機関車は、湏越(雲南)鉄道の支線、鶏个線600ミリゲージで使用されていたアメリカ製の蒸気機関車です。北京と上海の鉄道博物館にも展示されあります。線路幅の3倍もの車幅があります。よく揺れたでしょうし、脱線もしたでしょうね。


▲ 9600型は、戦争時に多くが海外へと向かいました。そして、約250台が帰らぬ機関車となっています。この9600型は、当初は華中鉄道に送られ標準軌道に改軌され、戦後は昆明に送られメーターゲージに再改軌されたと思われます。1990年代に4台が放置された姿で確認されています。


他にも1回の投稿ではご紹介できない、多くの珍しい車両を見せていただきました。
昆明は、夏涼しく、冬は暖かい気候に恵まれた町です。佐竹先輩が写真展に出品された成昆線という車窓豊かな鉄路もあります。成都では、芭石鉄道や鳥かご列車等々、日本ではめぐり合えない感動を受けられると思います。是非に機会をつくってご訪問してみてください。  Part13  へ続く

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