ありがとう119記念号

二月下旬、いつもデジタル青信号のトップ画像を撮影されている893-2氏より、飯田線の119系が3月いっぱいで引退するとの情報がもたらされました。

我ら82年度生にとって、飯田線は、特別の思いがあります。大学生になって、旧型国電を追って、何度と無く通った場所だからです。

また、1983年8月21日に降りしきる雨の中、伊那松島→中部天竜間で運転された旧型国電最後のさよなら列車にも、893-2氏と乗車しました。

その旧型国電を駆逐した憎い119系もとうとう引退のときを迎えました。東海色の119系には、あまり食指が動きませんが、デビュー当初の天竜川の流れをイメージした塗色の119系が運転されるとのことなので、先日の日曜日、青春18きっぷで飯田線まで、出かけてきました。

朝、6時過ぎに自宅近くの駅を出発し、途中、浅草橋・御茶ノ水・高尾・小淵沢・岡谷で乗換え、田切に着いたのは13時43分、旧国を何度と無く撮影した大変懐かしい田切のカーブで、宝塚から車で駆けつけた893-2氏と合流。こちらは、長い車中で、チューハイ・カップワインなど結構いい気分でしたが、彼は、もちろんアルコールなし。「酒臭いなー」といわれながら、ほどなくやってきた団体臨時列車として運転された119系2連の「ありがとう119記念号」を撮影しました。

デビュー当時119系の白い帯は、粘着テープで表現されており、非冷房であった当時、窓から手を出し、テープをはがす者が続出し、遠くから見てもみすぼらしい姿であったことが思い出されました。

その後、893-2氏の車に乗り、赤木~沢渡間に移動。ここで、9434M快速「ありがとう119記念号」を撮影しました。

去って行く119系に別れを告げ、ここで、893-2氏とも別れ、赤木から岡谷・大月・西国分寺・東松戸と乗換え、自宅最寄り駅に着いたのが22時51分。帰りも行きと同様、飲み続けたので、疲労困憊で自宅に帰りました。

ありがとう119記念号」への2件のフィードバック

  1. 西尾一郎様
    長旅ご苦労様でした。倉庫番の仕事で日曜出勤でしたので休みの土曜日に単独行動で行きました。八王子から飯田線へは千葉から比べると少し近いので途中降雪の長坂、信濃境で道草しました。893-2さんからも情報寄越せと連絡がありましたが、大した場所でもないので罵声が飛ぶ程人出はないと返事しました。それにしても119系など全く興味の無い電車でしたね。あの色は最初で最後の撮影です。帰りは同じ電車で岡谷17時8分発115系、大月からE233系で相模湖で特急待避でしたね。

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