土佐電鉄クハニ2000

お久しぶりの投稿です。

4月8日早朝、今までに経験の無い腹部の激痛に見舞われ近くの病院に駆け込みました。当直医しかいないので、鎮痛剤を点滴されて昼過ぎには恢復しました。経過観察入院を勧められましたが断り退院して家へ帰りましたが、今度は胸が痛くなり出し翌朝再び病院へ向かいました。診察の結果急性の胆嚢炎と診察され、救急車での搬送といわれました。緊急手術を受けて十日間の入院となってしまったのです。甲斐あって昨日退院してきました。その間、9日は休刊日でこの記事はありませんでしたが16日の記事を今日アップすることになり、申し訳なく思っております。

さて、今回は見た瞬間に西村さんの江若と見まごうばかりのそっくりさん、解説を読むと京阪からの車両とは別物とのことですがなにやら曰くのありそうな面構えですね。担当は藤本さんでしょうか、長老様でしょうか、それとも湯口先輩でしょうか、よろしくお願い致します。

土佐電鉄クハニ2000」への5件のフィードバック

  1. 米手作市さん、大変なことだったのですね。この一年に2度に亘る手術、鉄のように鍛えられた「てっちゃん魂」あればこそ、耐えられたでしょう。ゆっくり養生してください、と言っている尻からクローバーも目覚め、間もなく咲き乱れる頃となりました。今は1児の母となった娘を保育所に連れて行く途中、まずつくしん坊を摘み、次いでレンゲ、クローバーと続き、友達の分までカローラを作った43年前を思い出します。その頃の通勤はデイ100で、U弁操作に慣れない新人運転手君が東向日、西京極で止められずエマーを入れ乗客にののしられていました。黒潮に洗われる「土佐のびわこの弟」については、土電80年史を読みなおしてからコメントを入れます。関さんの選ばれたバックは、手結を東に向かってノッチオフして海岸べりを左に回り込むかっ所だけど、左手が断崖となっており国道からでは覗き見ることが出来ない。老人は言ったことなしでかぶりつき見ていただけだが、なんとthuru
    kame氏はこの個所で撮影している。そのうちに披露されるであろう。

  2. 昨夜の麦のとぎ汁がほのかに残っているせいか、打ち間違いが2箇所あります。
    ①下から4行目:回り込むかっ所だけれど→回り込む箇所だけれど
    ②下から3行目:老人は言ったことなし→老人は行ったことなし

  3. 湯口徹先輩が投稿不能により代理投稿いたします。

    >土佐交通クハニ2000型の原型は当然ながらガソリンカーである。高知鉄道は1936年流線型の100人乗り車キハニ2000を日車本店で製造。翌年2001、2002を増備し、これが高知鉄道最後の新製車になった。妻面は「びわこ」や江若鉄道と違って2枚窓、機関は日車製GMF13、吊革はバネ入りのリコ式である。1940年以降木炭代燃化されている。相前後して登場している淡路鉄道キハニ5、6とは、妻面、屋根深さ以外同型車であった。高知鉄道→土佐交通鉄道線は敗戦後電化し、この3両もサハ2000~2002を経てクハニ2000~2002と付随車化。なおこの御免-安芸間26.8kmの鉄道線は1974年4月1日廃止したが、「国鉄阿佐線建設のため買収されて廃止」とするのは適当ではない。日南線(宮崎交通)や湖西線(江若鉄道)のケースでも、建設のため必要な土地に限っての買収であって、鉄道そのものの買収事例は敗戦後にはない。<

  4. 会長 様
    胆嚢炎とは、胆石からの病だと思いますが、体内のアルコール消毒が欠けていたのではないでしょうか。家内も胆石で救急車を呼んで大騒ぎとなったことを思い出します。入院治療を必要とされるからには、体のバランスが良くないのでしょうね。
    適度な運動とアルコール消毒が必要です。鉄分の消化も必要と思います。
    私もいろいろと難病を持っておりますので、精神的にもその都度の治療と静養を心掛けております。お身体を大事に鉄分補給にお努めください。

  5. 高知鉄道は1930年4月1日安芸延長を果たし、同時に御免(国)-高知間を蒸気列車で乗り入れた。1936年にガソリンカーキハ2000号が導入され、4月14日から運行を開始した。翌年2001,2002号の2両が増備された。恐らく増備後、国鉄乗り入れはガソリンカーに切り替えられたのであろう。昭和14年の市販時刻表によれば、安芸ー高知間の所要時分は最速71分で、現行ダイヤに劣らぬものであったことがわかる。高知鉄道は1941年土佐バスと合併、土佐交通に改称。その後複雑な経路を経て1948年6月3日土佐電鉄となる。老人は1954年御免車庫を訪問、この時クハ2000形に出会っているがすでに車番は2001~2003に変更済みであった。
    昨年ぶんしゅう氏に連れられ森林鉄道の遺構を見に行った時、帰路で手結海岸を見通すサミットに差しかかった時、「この下を電車が走っていたのだ!」と、思わず口走った。

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