伊予鉄道 モハニ200型

 1961年四国の私鉄電車巡りの最後は、伊予鉄道でした。松山市内線を撮影後、高浜線を訪れました。いずれも1961年3月20日の撮影です。
松山市駅のホームで撮影後、市駅の西の方に歩き、横河原線用の客車が多数見える地点でのモハニ201号車。中間にクハ101を挟んで後はモハ101。

市駅をさらに西に進んで古町車庫にて。202号車。後に火災で焼失、廃車されました。

二代目モハ203。他のモハニ200型と異なる扉・窓配置、メーカーも日立製(この一両のみ)で200型他車(日本車両製)と異なる。

モハニ204号車、梅津寺近く。海に突き出た納涼台(桟橋)が見える。

 

山西-衣山間を疾走するモハニ204+クハ404+モハ104、松山市駅行き。この付近は単線である。戦前は複線であったが、戦時中の供出で単線化され、1961年当時はそのままであった。1964年に再び複線化された。

古町車庫での205号車、405と105の固定3両編成。

古町近くの複線区間を行くモハニ206+クハ406と3両目はモハ106か?。2扉車に見えるので、クハ405の改造車106でなく、303ではないかと思われますが、乙訓の老人様いかがでしょうか。パンタグラフの位置も異なります。改造車の誕生は1961年4月だそうですが、半月あまり前の3月です。

伊予鉄道 モハニ200型」への1件のフィードバック

  1. thurukame氏の事を忘れていた。ごめんなさい。NEOPAN SS は健在と見えしっかりした画調でご同慶の至りである。202、205号の写真をクリックしてみて下さい。車体正面右下、銘板の上のほうが【伊豫鉄電】である。ところでモハ100、200形は共に6両、中間車400形は401~405、406~407の2グループに分けられていた。戦災復旧車105、203の車体は401~405と同型。それで末尾1桁の数字をあわせ6編成作り、1両余らせている。301~304は15m級の車体で、当時よく言われた運輸省規格形Cに準拠している。主電動機も75Kw×4で、本来ならこちらの中間車にするのが本筋だと思っていたが、そんなこと当時、即座に思いつかなかった。銚子駅で30年ぶりにお目にかかり乗ったのが801号。伊豫からどんな縁で興しいれとなったのだろうか、またしても、とは準特急ファンのためでしょうか。

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