車石と中国少数民族イ族のこと

 先日、「佐竹さんを囲む会」に参加して新たに興味深い話をお聞きしました。まず、乙訓の老人さまと例の勢和鉄道についてワイワイガヤガヤとやって、形見分けとして「新日本鉄道史 下 」をいただきました。その後、総本家青信号特派員さまからOB会員ではありませんが今回参加された南草津図書館におられるN氏を紹介していただきました。勢和鉄道やら信貴電やらその他関西周辺の鉄道建設計画などについて面白い話を伺いました。その中で鉄道ではありませんが「車石」の話が出て来ました。これについては私はまったく知りませんでした.

 勢野北口駅近くにある飛鳥時代に聖徳太子が創建した平隆寺が生駒線のすぐ横にあります。このお寺の近くを走る生駒線の電車を以前から撮ってみたいと思っていました。下の写真がそれです。右の電車のうしろの木があるところが平隆寺です。左のお寺は勢谷寺です。地名は「野」ですが寺は「谷」となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真を撮ってから家に帰る途中で不思議なものを見つけました。それが下の写真にあるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は何じゃこれはと思いながら通り過ぎましたが、気になったので戻ってきて写真を撮った次第です。荷車を屋敷の中に入れるため、登りやすくしたものではないかと考えました。間隔がちょうど荷車の車輪間みたいで、溝がある石のレールの様でした。このときはまだ車石のことは知りませんでした。ひょっとしたらこれは車石ではないでしょうか。N氏のお話やインターネットで調べたら旧東海道で京の町へ荷物を運ぶために敷設?されていたようで、大津周辺でその遺物 が多くあるようです。私が見つけたのは奈良県で大津周辺から遠く離れています。そうすると、この車石方法は一部の地域だけ知られていたのではなく、他のところでもこの方法が伝わって使われていたのでしょうか。もしかしたら他のところでも見つかるかも知れません。

 さて、「佐竹さんを囲む会」がお開きになったので佐竹さんにあいさつして帰ろうとしましたが、写真展初日にお会いしたとき伺った少数民族イ族の話で再び盛り上がってしまいました。この話に興味があるのは日本文化の基盤のひとつとして考えられている照葉樹林文化がイ族が暮らしている地域から西日本にまで分布しているとされているからです。これについては多く本がでているし、国立民族学博物館にいけば知ることができると思います。大阪モノレールに乗って行きましょう。そして、すでに半分は読みましたが最近ご無沙汰している司馬遼太郎の「街道をゆく 中国・蜀と雲南のみち」を買いました。しばらく時空の旅をしようと思います。(NHKの街道をゆくというシリーズで”時空の旅人 ”といっていました。なかなかいい言葉だと思います。)昔の鉄道を探るのも時空の旅になるのでしょう。

車石と中国少数民族イ族のこと」への5件のフィードバック

  1. かつて京阪京津線が九条山から東に向って下り、新設軌道から併用軌道になる北側に、旧東海道の遺跡?があり、そこに車石が記念碑として展示されていました。小生が山科を去って52年になりますが、今でもあると思いますよ。

  2. 湯口さんがおっしゃっている碑は、今でもあります。昭和8年に建立された京津国道の改良工事の記念碑で、基部に多数の車石が利用されています。52年前まで湯口さんが住んでおられた御陵、日ノ岡付近には、とくに多くの車石が現在でも多く残っていますね。
    どですかでんさんレポートのお寺の石は、石の形や、溝の具合から見て、“車石”ではないと思います。
    車石とは、おもに京都周辺の旧街道に敷設された溝のついた石のことです。江戸時代、米などの食糧は、人が担いだり、牛車によって、京へ運ばれていましたが、街道の要所には、牛車の通行に便利なように両輪の幅に合わせて二列に石が敷かれました。この凹みは以前は人工的に彫られたものと思われていましたが、通行による磨耗でできたものと判明しています。また、車石は“単線”で、上下の交換が出来ません。そこで、時間帯によって、上下の通行を区分していました。車石が江戸、大坂周辺に存在しないのは、平坦地が多かったことと、米の運搬は、水路によったためと思われます。
    鉄の道(鉄道)が出現する前の石の道にも、私は興味をそそられ、“車石・車道研究会”という団体が主宰するフィールドワークにもよく参加しています。

  3. 湯口様 総本家青信号特派員様 コメントありがとうございます。 車石の溝は磨耗によるものとなれば、私の見たものは車石とは違うようですね。一度、懐かしい御陵、日ノ岡、九条山あたりに行って車石の現物を見たいと思っております。私が見たものも再び訪ねて、周辺の人に尋ねてみようと思います。わからないままでいるのは面白くありませんので。ところで、カラースライドを整理していると九条山で撮った京津線の電車の写真が出て来ました。比較的状態は良かったのでやれやれです。総本家青信号特派員様と同様に写真整理をやり始めました。とにかく写真整理には時間がかかります。鉄道の写真以外に女房が撮った家族の写真とネガが大量にあってこちらの整理の方が大変です。仕事をしなくなってもすることが多いのはいいのやら、どうやらわかりません。

  4. どですかでんさま、ご無沙汰しています。車石については春に大津市歴史博物館の特別企画展があり、私も見てきました。旧東海道を歩かれると街道筋にいくつも車石が残っています。街道筋のほか、大津旧市内には手近なところでは大津駅前広場の東側の一角。国道1号線沿い逢坂の関跡、京都信用金庫大津支店、滋賀会館などJR大津駅から歩いて10分以内のところにもいくつかの車石が保存されています。。また大津市歴史博物館に行けばこのあたりの資料いろいろと閲覧できます。こちらにこられるならぜひご連絡ください。ご案内できると思います。

  5. 大津の86様 いかがお過ごしですか。車石の情報ありがとうございます。大津はあまりよく知らないし、行くことがあまりなかったのでぜひ行きたいと思います。江若のイベントの時、少し大津の街中をうろちょろしただけでなかなかおもしろかったです。行く時はメールで連絡いたしますのでよろしく。

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