2009年青春18きっぷの旅Ⅰ Part2 万葉線

前夜、楽しみにしていたWBC初戦のTV中継は、高岡では放映がなく、見る事ができませんでした。ローカルに行くと、これがあるので、残念なことです。充分な睡眠を取って、夜明けの窓から見ると、既に小雨模様です。日頃の行いを悔いましたが、仕方ありません。氷見線撮影を諦めて、万葉線と富山ライトレールの乗車と撮影に切り替えました。ホテルから高岡駅までは、小雨に加えて強風です。折りたたみ傘は、あっけなくハスの花となりました。嵐は、終日続き、撮影するにもカメラが、濡れないようにするのが、やっとでした。

万葉線は、富山地鉄から加越能鉄道へ譲渡運営されましたが、利用客激減による経営悪化で、廃止される事となっていました。しかし、市民からの路線存続の声に答えるように、高岡市が中心となって、2002年より路面電車としては、全国初の第3セクターとして、復活を目指し引継がれました。

路線は、高岡駅前~六渡寺(軌道線)7.9kmと、六渡寺~越ノ潟(鉄道線)4.9kmの計、12.8kmで、在籍車両は、デ7070形6両(冷房車は、7071と7073の2両)、MLRV1000形4編成と、冬季除雪車として、デ5000形1両が、在籍しています。


2009年3月には、1000形2編成が新製されます。通常運行に必要な6編成が揃いますので、土日祝日は、全てアイトラムのみとなります。7070形も2両が廃車されますので、撮影予定の方は、早めに行かれることをお勧めします。

廃車は、ねこ電車ラッピングの7072が決定していますが、ねこ電車は、他の7070形で復活するそうです。


それでは、初乗車の始まりです。JR高岡駅前には、真っ赤なラッピング広告をしたデ7075が、到着しましたので、早速に乗車しました。駅前を発車すると、車庫のある米島口までは、道路併用軌道です。単線、複線、そして専用軌道と、変化に富んでいますので、乗っていても楽しめる路線です。


それもそのはず、この路線は、
① 1948年 地鉄高岡~伏木港が開業。
② 1951年 国鉄新湊線の旅客営業廃止により、途中の米島口~六渡寺が開業。
③ 既に1933年に全通していた電鉄富山北口~六地蔵との直通運転を開始して、一時は、地鉄高岡から富山中心街の西町までの間に、電車が走った歴史を持ちます。

しかし、1966年に伏木富山港建設により、路線真ん中が掘削されて海となり、越ノ潟~堀岡が廃止を余儀なくされました。分断された区間には、現在も富山県営渡船(道路として位置付けられていますので、無料です。ただし、バイクまで乗車可能)が運行されています。


約40分で、終点の越ノ潟駅に到着しました。直ぐに、連絡渡船が出港するというので、乗船してみましたが、お客は、私を入れて3名でした。あっという間に対岸に着きましたが、富山までの路線は、1980年に廃止されていてありません。折り返しの渡船に再乗船して戻りました。乗客は、2名でした。


現在、この区間は、『架橋部約600mの日本海側最大級の斜張橋』が建設中ですが、2008年完成予定がかなり遅れています。完成すれば、世界第4位の斜張橋となります。(第1位は、本四連絡橋の多々羅大橋)連絡渡船も、廃止になるかも・・・・。

全線を乗車して思うことは、運転速度の遅さです。アイトラムの最高性能は、70km/hです。せめて、専用軌道内は60km/h、全線30分を目指して欲しいと思いました。

悪天候は、続いておりましたが、ここまで来て乗車だけでは、我慢できません。全線乗車でロケハンもできましたので、気に行った近い場所からの撮影に臨みました。

天気が良ければ、レンタサイクルを利用しての機動力が、発揮できるのですが、今日は、日頃の行いの結果と割り切って、午後からは、富山ライトレールへと向かいました。  Part3 へ続く

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