2009年青春18きっぷの旅Ⅰ Part4 高山本線

いつものように朝風呂にゆっくりと浸かって、頭を覚ましました。朝食に行く間のひと時、夜明けを待っていると、眼下に富山駅が見えました。どちら様か、津山駅でホテルの窓から見られたのと同じ光景です。窓は、少ししか開きませんので、カメラを落とさぬようにシャッターを切りました。

JR&地鉄の富山駅

朝食後、富山地鉄市内線を見ながら駅に向かいました。

① 富山8:08(848D)→8:58猪谷
今日のスタートは、キハ120系です。ホームで待っていると、4両編成もの120系が入線してきました。さすが、両運転台の4両ともなると、異様に見えます。2両を切り離して、848Dは、キハ120-346+キハ120-345の2両編成で、猪谷へと走り出しました。

発車してからは、睡魔が襲ってきて、何も覚えていません。猪谷で乗務員に『お客様、このままですと富山に戻りますよ。』と、丁寧に起こされました。

② 猪谷9:11(1826D)→10:12高山10:35(4714C)→13:01 美濃太田
高山で23分停車、列車番号は変わりますが、同じキハ48-5810+キハ48-6812の2両編成です。直ぐに向かいのホーム前方に、美濃太田からのキハ48系が到着してきました。乗換客はかなり多かったのですが、座席数が違います。1人1ボックス専用でした。

やがて列車は、定刻に高山に到着しました。向かいのホームには、キハ48系2両編成が2本と、留置線に1本が止まっていました。ワイドビューひだ号も留置線で、折り返し待ちです。停車時間が23分もありますので、下りて駅前を散策しました。さすが、観光地高山です。駅前は、観光客が多数います。白川郷へ向かうバス乗り場には、長蛇の列が続いています。

昼飯用に美味しそうな米ジュースを仕入れて、席に戻ると、ガラガラだった車内は、立ち席も出る満員列車です。椅子に置いておいた荷物を網棚に上げて、席を譲らざるを得ませんでした。向いに座った若者に、どこまで行くのか聞いてみると、次の駅で降りると言います。詳しく聞いてみると、高山駅からの車窓がとても綺麗なので、この区間だけが、バスツアーに入っているとの事でした。例年なら、絶景の雪景色が見られるらしいのですが、暖冬で残雪すらありません。ちなみにこのツアー客は、白川郷に行ってきたが、ここでも期待した雪景色は見られず、雨ばかりでがっかりしたと、嘆いておられました。

美濃太田までの間に、ひだ3号・5号・7号と、3本も交換、本当に高山本線は、特急だけしか走っていないのかと、時刻表を見ると、そのとおり、何と下呂→高山間では、昼間は5時間も普通列車の運行はありません。

③ 美濃太田13:28(3627C )→13:42鵜沼
多治見始発のキハ11系2連が入ってきました。後は、鵜沼で名鉄に乗り換えて、合流地のホテルにたどり着けます。クローバー会の総会が終わっても、自宅までの普通列車の旅が続きますが、1人旅は、ひとまず終了です。

翌日は、乙訓の老人御一行のおともで、明治村見学の後、名鉄パノラマカーも撮影に参り、JR鵜沼から高山線、東海道線と4列車を乗り継いで、無事帰宅しました。

2009年青春18きっぷの旅Ⅰ Part4 高山本線」への1件のフィードバック

  1. 4回に及ぶ旅日記、御苦労さんでした。老人も何度となく辿ったコースでしたから懐かしさが先立ちました。富山駅前ではホテルαの北向きの部屋で3度泊まりましたが、残念ながら電鉄駅構内は見えず、こんなロケーションがよい宿は知らずです。宿名を教えてもらい、次回はお世話になろうと思います。京阪3000も健在、それの左に停車しているのは元西武のようですね。JRから富地鉄への連絡線が消えてさみしい思いがします。上滝線と市内線を直通運転させる計画は老人の富山生活時代にもありました。しかし貨物運輸のこと、電源開発事業などから実現しませんでした。今回、沿線開発が進み何度目かのプランですが、ぜひ実現してほしいものです。

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