2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part2 ヤンゴンからマンダレー経由でナムツへ

第2日目 3月24日

① ヤンゴン7:00(Air Bagan;W9-201)→8:25マンダレー
② マンダレー10:20(チャーター車)→18:30ナム

00_地図00_edited-101_国内線01今日は、昨夜着いたヤンゴンから、飛行機で北へ約600キロ先のマンダレーへ、マンダレーからはチャーター車で、SL撮影目的地のナムツに向かいます。

早朝7時のフライトですので、5時には起床してホテルで軽い朝食後、空港へ着きました。

02_国内線ロビー

▲ 5:52、朝のフライトが多いのか狭い国内線ターミナル前は、送迎の車で一杯です。そして、観光目的の欧米人の姿が多く見かけられました。

04_銘板01_チケット▲ 国内線ロビーです。国際線と違って設備等の古さは否定できませんが、ほっとする雰囲気が感じられました。
建物に取り付けられた銘板には、軍事政権が始まる前の1957年バー・ウ大統領によって建設されたとありますので、56年経過しているのですね。

▲ 受け取ったチケットですが懐かしい手書きです。
搭乗するのはバガン航空(Air Bagan)です。マンダレー行き13便の他に国内14都市、海外はタイのチェンマイへと飛んでいるようです。05_路線

 

03_売店01

 

06_点心

▲ 朝食は口に合ったものがなかったので売店を見ますと、美味しそうな点心が並んでいましたのでゲットしました。皆さんにもお裾分けしましたら好評で追加もしました。
左側の保温器ケースは日本から持ち込んだものでしょうね。

▼ 預け手荷物の飛行機への輸送は籠やプレハブトレーラーをトラクターが牽引します。近代的には程遠いシステムです。

07_08_搭乗09_非常口10_空港内バス▲ 飛行機はずらりと並んでいますが、多くはプロペラ機で飛行機ファンならよだれがでますね。珍しい6枚プロペラを装着した機もありました。

6:40、バスに乗って飛行機の側まで行っての搭乗開始です。
飛行機は、フランスイタリア航空機メーカーが合弁事業で製造したATR42型ターボプロップ双発旅客機です。
主翼は客室からの眺めがよい高翼配置となっています。
また、この飛行機の非常口には「CUT HERE・・・」と表示されています。事故があった時は外から切断してしか開けられないのですね。初めて見ました。

座って出航を待ちましたが中々動きません。その内、降りて出発ロビーでお待ちくださいとの案内になりました。
どうも霧が出て視界不良での待機になったようです。

移動バスの車内には日本語での表示がそのままになっていました。新たに塗装されてどこのバスだか分かりませんが、間違えなく日本の中古路線バスです。丸谷さんがよく来られるのも分かります。11_出発ロビー

01_見守る職員00▲ 朝の始発便から遅れましたので広くはない出発ロビーは満席です。

空港職員の方々も心配顔で霧が晴れるのを待たれていました。
結局、約1時間半遅れの8:30のフライトとなりました。
02_点検03_機内食▲ 整備工場はないようで、故障が起きると機体に乗っての点検整備をされていました。

国内線で約1時間半のフライトですが、簡単ながらも朝食が提供されました。
パンの中はソーセージが入っていました。
06_マンダレー空港06_マンダレー空港バス0106_マンダレー空港バス02▲ 9:55、到着したマンダレー空港です。ここでも日本の中古バスが発着する飛行機と空港ロビーとの輸送に活躍していました。
いったいどこを走っていたバスなのでしょうかね。

 

 

 

▼ 10:15、マンダレー空港の正面ですが遅れていたので、すぐにチャーター車に乗ってナムツへと向かいました。

マンダレー空港は市内から約40㎞とローカルにしては遠く約40分を要しました。07_マンダレー空港01
09_ヤムツへの道01
09_ヤムツへの道10_トラック▲ マンダレー手前から右折してメイヨーへと向かいました。周りの車窓はようやくミャンマーらしい車窓になってきました。英国植民地時代からあるのでしょうか綺麗な馬車があちこちで走っています。
日本製の中古トラックの荷台や屋根にはロングシートが設置されて乗合バスになっていました。
托鉢に回った後なのか美しいピンクの衣をまとって歩いておられるのは尼さんです。日傘をさしておられるのは日焼け止めなのでしょうね。11_昼食0111_昼食0211_昼食03
11_昼食04▲ 12:13、メイヨー郊外の丘で昼食です。広い敷地にミャンマーらしいコテージが点在しているおしゃれなレストランで美味しい中華風のミャンマー料理が運ばれてきました。
今回のメンバーは、パリで5年、ロスで3年の駐在生活を過ごされ、5月からまたアメリカに渡られる英語ご堪能なM1さん、高校の世界史の先生M2さん、エリトリアでもご一緒しました出版社編集長を務められているNさんといつものO氏と、熱心な海外鉄ちゃん5名です。

12_東洋一高いゴンティク鉄橋12_東洋一高いゴンティク鉄橋02
[googlemap lat=”22.344518892909683″ lng=”96.85426712036133″ align=”left” width=”360px” height=”150px” zoom=”13″ type=”G_HYBRID_MAP”]ゴッテイク鉄道橋[/googlemap]▲ 14:40、車窓から遠くに東洋一高いゴッティク鉄道橋が見えました。
この鉄橋は英国植民地時代の1900年にアメリカのペンシルバニアスチィール社で製造され建設されました。高さ102m、長さは689mを誇ります。約113年を経過した今は老朽化もあって、約7km/hの最徐行で約6分強をかけて渡っていきます。
マンダレーからラショーまでの路線にあり、1日1往復の旅客列車(貨物列車は不明)が運行されています。往路は15時間35分(復路は17時間40分)の乗車時間になりますので今回は乗車しませんが、1度は乗ってはみたいですね。

13_行きかう各種の車たち0▲ ラショーへの幹線道路は中国とを結んでいますが、片側1車線の道です。丁度、中国製の数10台の新製軍用トラックの回送軍団とすれ違いました。前を行くのはミャンマーで採れたスイカを中国に運ぶトラックです。ミャンマーのベンガル湾と中国昆明との間には約1,800キロもの天然ガスのパイプラインが2013年5月には完成予定です。来年には同じルートで石油パイプラインも完成予定となっていて、密接な関係ができつつあります。

東部を海に面している中国ですが、西海岸には初めてのルートができます。中国の受けるメリットは大きく、今後とも積極的な投資が続くと予測できます。

00_中国~ミャンマ新線予定図_edited-1中国鉄路では昆明から大理までの鉄道がすでに開通しています。この鉄道をミャンマーに延伸してラショーを圣由してヤンゴンまで(総延長;約1,920キロ)結ぶ計画が進行しています。その他ASEAN地域へは、ラオス、バングラデシュ、インドを結ぶ路線や、昆明から南東へベトナムを結ぶ路線の鉄道建設計画(総延長;約10,000キロ)もあります。
今までASEANへの経済・技術援助は日本が圧倒的な割合を占めてきましたが、ASEANとの貿易拡大と眠る資源開発と確保のために中国鉄路延伸による建設と輸送等のインフラ主導権移転が刻々と進んでいます。

13_行きかう各種の車たち13_行きかう各種の車たち2

▲ 幹線から田舎道に入ると行きかう乗合バスは、改造車や面白車両ばかりです。これだけでも博物館ができますね。
13_行きかう各種の車たち3▲ 時には放牧牛軍団が道をふさいだり牛車もきます。道路舗装は、砂利を砕いて道に敷き詰めてコールタールをかけて整備しています。超大型車が通りませんのでこんな簡易舗装でも十分に役目を果たせるのですね。道案内標識は、交差点の真ん中に英語も入れてありましたが、距離はマイル表示でした。

15_Hsipaw

15_Hisipaw時刻表

[googlemap lat=”22.61908160971607″ lng=”97.29389190673828″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”14″ type=”G_HYBRID_MAP”]シッポー[/googlemap] ▲ 16;28、ナムツ手前で踏切を渡ると駅が見えましたので寄ってみました。シッポー駅で、貨物ヤードもありました。ミャンマー国鉄は遅延することが日常的ですのでひょっとして列車が来るかもと駅員に聞いてみましたがすでの発車していました。
14_駅で遊ぶこどもたち▲ 静まりかえった駅構内は子供たちの絶好の遊び場です。おばちゃま方の明るい笑い声も聞こえていました。
14_駅近くの住民

16_夕食16_打ち合わせ▲ 18:28、夕闇が迫っていましたが無事にナムツに到着しました。
マンダレー空港からは約300キロ、乗車時間は約7時間のチャーター車の旅、飛行機も入れると約900キロ、ホテルを出発してから約13時間のなが~い旅でした。

宿舎は植民地時代に建てられた迎賓館で綺麗に保存整備されていました。食器も当時のままなのか料理も美味しく見えました。
食後は運行責任者との明日の打ち合わせです。責任者はネパール人の方で英語ができます。海外生活の長いM1さんも堪能とあって、通訳のネイトンさんを介さずともスムーズに進む大助かりでした。

今日は朝早くからの長旅とあって皆さんお疲れでした。皆さん、初めての地です。少しお酒を飲みながら話をしましたが、早くの就寝となりました。  Part3へ続く

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part2 ヤンゴンからマンダレー経由でナムツへ」への1件のフィードバック

  1. 突然のコメント御許し下さい。

    三枚の日本の中古バスのことに付いて、スッキリさせたく投稿しました。

    ★ヤンゴン空港国内線の白いバス★
    これは京急バスで運行されていた車体で間違いないと思います。
    新造時に中扉が両開き引き戸を用いた一般路線バスは京急だけです。

    なお、首都圏の排ガス規制などによる譲渡で、那覇バス、函館バス、宇都宮の関東バスへ移籍した車両もあります。
    http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BA%AC%E6%80%A5%E3%83%90%E3%82%B9%EF%BC%9E%E4%B8%A1%E9%96%8B%E3%81%8D%EF%BC%9E%E5%BC%95%E3%81%8D%E6%88%B8&ei=UTF-8&fr=top_ga1#mode%3Dsearch

    ★マンダレー空港の三扉バス★
    フロントガラスの真下の○に八と記してあるマーク、これは路線バスファンなら誰もが知っている「名古屋市営バス」の車体です。

    市バスのファンサイト「まるはち交通センター」さんに教えてあげたら、きっと驚くと思います。
    ※中古バス情報局のコーナーに投稿してはいかがでしょう…。
    http://www.maruhachi-kotsu.com/buscar/900second_bus.html

    長々とコメントしてすいません。
    お邪魔しました…。

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