2013年 春の中国鉄路の旅 Part10 北朝鮮国境沿いの鉄路 その4 国境の町「丹東」、新鴨綠江大橋

第11日目 5月11日

昨夜は丹東に住まわれるOさんの奥様のご実家で厚かましくも夕食をご馳走になり、宿泊までさせていただきました。久しぶりの家庭の味は山菜の天ぷらが出ました。天ぷら粉は日本から持ってこられたそうで、ほっと一息大変美味しくいただきました。ありがとうございました。04_花1

06_山菜採り今日は午前中、ご実家の裏にある裏山に登ってみることにしました。山は春を迎えていました。
綺麗な小さな花が咲き、たらの芽、こごみ、ゼンマイ等々の山菜の宝庫で近所の人たちも採りに来ておられました。昨夜のおかずも山で採ってこられたそうです。

01_山

かつて日本軍が要塞を築いていたそうで、登って見ますと塹壕や砲台の残跡が残り、丹東の街並みが見渡せる尾根づたいはハイキングコースになっていました。気温は20℃とさわやかな朝でした。
03_温度

 

05_餃子▲ お昼も奥様とお母様のお手製の山菜入りの焼き餃子です。これも絶品です。恥ずかしながら私の家内は味音痴ですので、こんな美味しい料理は作れません。ちょっとOさんを羨ましく思いましたね。
前回そして昨日も国境の橋を案内していただいた籐先生も来られました。籐先生はこちらの大学の先生です。今日は丹東に建設中の新鴨綠江大橋を見に行きましょうと案内していただきました。

07_新鴨綠江大橋▲ これが現在建設中の中国丹東と北朝鮮新義州を結ぶ新鴨綠江大橋です。道路と鉄道の併用橋との推測もあったのですがどうも違うように見えます。

【 新鴨綠江大橋 】
現在、中国丹東と北朝鮮新義州を結んでいる鴨緑江鉄橋(中朝友誼の橋)は、日本統治下の1943年に開通した単線橋です。強度上、最大積載量20t以下の貨物車しか通行できなく、中朝交易に支障をきたしていることから、同区間の往来を円滑にすべきとの指摘が上がりました。
そのため新しく橋を架ける計画が中朝間で進められて2010年の2月25日に建設が決定され、長い沈黙の後工事が始められるはずもない厳冬期、2010年12月31日の大晦日に突如着工式が行われました。何らかの政治的意図があったのではと言われました。

新しい新鴨綠江大橋は、既存の中朝友誼の橋から下流約12キロに設置され、橋の長さは約6キロ(橋部分のみ)、幅は33メートルの往復4車線の懸垂橋です。
現在、中朝の貿易量の70%以上を占める中朝友誼の橋は1日2,000人、2,500台の車両が往来できているそうですが、新鴨綠江大橋が完成しますと1日50,000人、20,000台の車両が可能になるそうです。完成後は中朝の貿易が飛躍的に増えるのは、間違いないですね。
肝心の建設費ですが、17億人民元(約280億円)と言われています。金のない北朝鮮が負担できるはずもなく全額中国が投入します。従って工事はすべて中国側の指導によって行われています。橋と両端の道路を含めての全長は20.4kmで、2014年の完成を目指しているそうです。ちなみに比較にはなりませんが、世界一の吊り橋である明石海峡大橋(橋部分;3,911m)の建設費は、約5,000億円でした。

11_新幹線網【 高速鉄道網の整備 】
現在、瀋陽から丹東へは250km/h対応の新幹線(瀋丹旅客専用線)が建設中です。総延長は約224キロ、現在所要時間は約3時間半ですが2時間半も短縮されて約1時間になるそうで2015年完成予定です。また現在鉄路が通っていない大連に向けても200km/h対応の総延長約290.5キロ、所要時間約2時間の丹大快鉄が2013年今年度中の完成を目指して建設中です。

丹東は、2013年に大連までの高速鉄道の開通。2014年は新鴨緑江鉄橋の完成、2015年は瀋陽までの高速鉄道の開通とビックプロジェクトが相次いで完了を迎えます。周辺のマンションはすでに数倍にも値上がっているそうで国内の投資が佳境を迎えようとしています。どんな町に変貌していくのか楽しみですね。

Oさんは、もっと面白いところがあると言うので連れて行ってもらいました。
08_国境08_国境4▲ 高層ビル街が立ち並び再開発が進む丹東の市内から東港方面に行くと、何と陸地での北朝鮮との国境がありました。今までは、鴨緑江の川を隔てた国境しか見てきませんでしたがここは陸地でつながっています。北朝鮮はすぐ目の前にあります。国境に沿ってのバス路線さえありました。そして真近で何やら農作業をしている北朝鮮人民の姿が見えます。

08_国境3[googlemap lat=”39.98265866543456″ lng=”124.3306064605531″ align=”left” width=”300px” height=”150px” zoom=”14″ type=”G_HYBRID_MAP”]遼寧省 丹東市国境[/googlemap]▲ 今まで経験しなかった距離です。こんな近くに将軍様の国があるとはビックリしました。鴨緑江が北朝鮮との国境と思っていました。それは事実なのですが、この土地は以前に中洲であったところが鴨緑江が運ぶ堆積土砂でつながり、陸続きになったそうです。下の地図ががそれです。
09_国境線地図4▲ 丹東の国境線です。新鴨緑江大橋は、丹東~大連の高速道路に接続されるものと思われます。北朝鮮側は平壌から約50キロまでは道路幅も広く整備されていますがそこから丹東までの道が未整備だそうです。当初は高速道路建設が検討されましたが不採算となるのは明らかなために当分は一般道の整備に重点が置かれることになりました。

08_国境2▲ 新鴨緑江大橋から約10分にある黄金坪開発区近くです。川が流れていますが橋の下の鉄条線は大きく捲れあがっていました。これなら誰でも通れますが、この辺りに来るまでが厳重に監視されているのでしょうね。
02_DMZ

▲ 中国側の鉄条網と貧相な北朝鮮側の鉄条網。この間は中立地帯なのでしょうか?
注意書きの看板や絵入りのステッカーが電柱に貼り付けてありました。
それでも興味が湧くのか車を止めて見学する中国人民は数多しです。物を投げてはいけないのにリンゴを投げたり、人民元をチラつかせてからかうお兄さんもいました。一部の中国人がどのように北朝鮮人を見ているのかの一端を見させてもらいました。

02_江戸城▲ 再び再開発地区に戻ってみますと、ひときわそびえる高層ビルの横に日本語の看板を見ました。ビックリとしました。なぜにこんな所に日本語が書いてあるのか、そして名前がなぜに「江戸城」なのか・・? 不思議に思って、帰国してからもネットで検索したり探しましたが分かりません。三橋造園という日本の会社もかかわっているようです。

私の推測ですが丹東は朝鮮とのつながりの深い所です。もしかして李氏朝鮮が日本へ送り込んだ使節「朝鮮通信使」から来ているのではないでしょうか。朝鮮通信使は室町時代から続いていますが、江戸時代にはソウルから江戸城まで将軍職の就任祝いに朝鮮国王の国書を伝達するため、約500名もの使節が派遣されています。ここから名付けられたのではと思うのは遠すぎる推測でしょうかね。

10_夕食▲ 鴨緑江岸に建ち真近に北朝鮮を見下ろせる、和室もある籐先生の豪華マンションにお邪魔した後、ご一緒に夕食を食べました。ビールは地元の鴨緑江ビールでした。今日は鉄のない日でしたが、それなりに楽しめました。明日は朝から中朝友誼の橋を渡る国際列車の撮影です。今日もまたOさん宅にご厄介となりました。 Part 11 へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください