【38044】富士山麓電鉄モハ603→富士急行モハ3604

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車体更新でモハ3604に改番後で、正面に貫通扉が設置された。/富士吉田

セミボの次は富士山麓電鉄→富士急行が登場した。それにしても関 三平氏の電車好きは、筋金入りで、私等話題に付いていくのが精一杯で足元にも及ばない。
今回のモハ603は、関 三平氏が記述されておられる通り、経歴が複雑で、車体更新して改番後で解説する。
明治32年日本鉄道大宮工場製で客車として新製され、鉄道院に買収後の改造でナユニ5420となり、昭和16年青梅線の前身、青梅電気鉄道に払い下げられた。
青梅電気鉄道は、同時に払い下げられた2両の木製客車と共に木南車輌で半鋼製車体を新製して電車に生まれ変わった。全長18.8mの大型で広い窓と共に当時としては軽快な車両で、台枠、台車も新製されて、サハ700形サハ703となった。
(他の2両は鉄道省ホヤ6703→サハ701、ホハニ4053→サハ702)

車体、台車、台枠が新製されているので、車両新製が認可されないため、苦肉の策として、改造名義にしたものと思われる。
サハ701と702は社線時代に、サハ703は19年4月1日鉄道省に買収後運転台が設置され、クハ700形クハ701~703となった。
クハ703は20年1月事故により休車になり、戦後24年1月富士山麓電鉄に譲渡された。

富士山麓電鉄では譲受け後直ぐに汽車会社で電動車に改造して26年1月モハ22として再起した。その後の改番でモハ603(関氏のイラスト)、39年に日本車輌で車体更新時に、貫通扉の設置、車内の蛍光灯化、自動扉化が実施され、モハ3604に改番された。

後ろに連結されているロハ901は、書類上は昭和25年小糸車輌製となっているが、実態は昭和3年川崎造船所製の元青梅電気鉄道モハ100形モハ103で、鉄道省買収後モハ100形モハ103となり、車号は同一であった。
青梅電気鉄道の電動車は、機器配置が特殊であったこと等により、早い時期に制御車代用になり、この車両も23年には早くも休車になった。
24年にサハ状態で富士山麓電鉄が譲受け、半室を2等車に改造してロハ300となり、その後の改番でロハ901となった。
44年に流山電鉄に譲渡され、西武所沢工場で運転台を設置してクハ53となり56年まで使用された。
ロハ901、流山電鉄クハ53共に撮影していないため、撮影された方は是非発表していただきたい。

昭和50年3月23日の富士急行
関西から富士急行に行くには、極めて交通の便が悪いため訪問が先送りになっていたが、上記日時に新潟からの帰りに立寄った。

新潟23時発急行「佐渡4号」に乗車、上野に4時57分到着後、山手線、中央線に乗り継ぎ、高尾6時45分発小淵沢行に乗車した。
富士急行は初めてのため、車両をメインに昼過ぎまで撮影し、帰りに高尾と稲城長沼で国電を撮影後、東京駅20時発の新幹線で帰京した。
当日撮影した車両を紹介する。

モハ3601/河口湖
昭和4年開業時に日本車輌で新製されたモ2を、28年日本車輌で更新時に新製車体と載せ替えモハ502に改番した。37年の車体更新で貫通扉の設置と座席のクロスシート化が行われてモハ3601に改番された。
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モハ3603/河口湖
前述のモ2→モハ502と同じ経緯で、モ9→モハ509を39年車体更新時に貫通扉を設置して改番された。座席はロングシートのままでクロスシート化が行われなかった。
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モハ3631/大月
モ1→モ501を36年車体更新時に、貫通扉の設置とクロスシート化、片運化が行われて改番された。片運化されたので形式が分けられた。
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クハ3662/河口湖
元木製省電のサハ19015(大正7年日本車両製)を昭和16年に払下げを受け、ハニ254として使用、25年9月汽車会社で鋼体化してクハニ805となった。36年の車体更新で荷物室が撤去されクハ3662となった。
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クハ3665/河口湖
明治39年新橋工場製の木製客車ナニ6085を昭和15年に払下げを受け、三浦工業で車体更新してハニ251となった。25年日本車輌で鋼体化改造してクハニ351、その後の改番でクハニ802となった。41年の車体更新で荷物室が撤去されクハ3664に、その後の改番でクハ3665となった。
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モハ3101+モハ3102/東桂
昭和31年12月会社設立30周年を記念して日本車輌で新製された。MM固定編成で狭軌初のWN駆動を採用した。
33年に第2編成モハ3103+モハ3104が増備されたが46年事故により廃車になった。
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モハ5001+モハ5002/東桂
昭和50年、事故で廃車になったモハ3103+モハ3104の補充として日本車輌で新製された。
貫通扉付のスタイルは、将来の増備を考慮したものと思えるが、以降の増備車は他社からの転入車となった。
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モハ7031+クハ7061/東桂
元国鉄クモハ14007(44年6月12日中部天竜で廃車)+クハ1 6425(44年6月19日武蔵中原で廃車)である。
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モハ7032+クハ7062/河口湖
元国鉄クモハ14009(44年6月12日伊那松島で廃車)+クハ16467(44年6月19日武蔵中原で廃車)である。
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モハ7033+クハ7063/下吉田
元国鉄クモハ12050(46年8月10日豊田で廃車)+クハ16013(46年8月10日豊田で廃車)である。(クハ7063は未撮影)
いずれの編成も入線時に窓枠のアルミサッシ化、座席モケットの張替え、車内の塗潰しが行われている。
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モニ101・102/下吉田
昭和6年、開業時に新製されたモ1~5の増備車としてモハ7・8が増備された。28年の改番でモハ507・508となったが、車体の載せ替えは行われなかった。
44年に扉間の窓を埋めて荷電に改造され、貨物列車の牽引にも使用された。
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ワフ2/下吉田
昭和49年に元南海電鉄ワブ517を譲り受けた。
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キハ58001+キハ58002/東桂
昭和37年日本車輌製で、同年4月11日から開始された新宿乗入れ用として、国鉄キハ58と同一仕様で作られた。中央本線の急行列車が全部電車化されたため、50年3月10日で新宿乗入れが廃止され、両運のキハ58003と共に有田鉄道に譲渡された。
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国鉄からの乗入れ車
かわぐち1号/河口湖
新宿発7時30分→河口湖着9時31分、大月まで「かいじ1号」甲府行に併結。「かいじ1号」はビュフェが連結されていた。
かわぐち1号

かわぐち2号/富士吉田
新宿発8時20分→河口湖着10時28分、大月まで「かいじ2号」甲府行に併結。行楽シーズンの休日のみ運転のため、115系であった。
かわぐち2号

普通列車高尾行/河口湖
河口湖発10時24分→高尾着12時5分
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クハ76018/河口湖
昭和26年2月日本車輌製、当初田町に配置。27年12月三鷹に転属して中央本線の甲府(後に小淵沢)・河口湖までのローカルに使用。51年1月、115系化により広島に転属後54年9月廃車。
乗務員扉と客室扉間の小窓は36年車体更新時に設置された。
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クハ76058/河口湖
昭和28年2月日本車輌製、新製当初より三鷹に配置され中央本線ローカルに使用。51年3月、広島に転属後54年1月廃車。
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モハ71001/河口湖
昭和27年11月大井工場、木製車モハ10168の鋼体化改造名義で新製。全金属車体の試作車であった。新製当初より三鷹に配置、51年1月115系化により広島に転属後55年11月廃車。
運用停止後も保管され、一時保存も検討されていたようであるが、結局解体されてしまった。
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モハ71011/河口湖
昭和28年2月日本車輌製、新製当初より三鷹に配置、51年2月115系化により広島に転属後54年3月廃車。
71011

クハ79419/河口湖
昭和31年7月近畿車輌製、新製当初より三鷹に配置、52年6月廃車。
79419

バス
山梨2い6038/43年式RC300(金産)/富士吉田
6038

山梨2い6055/43年式RB10(帝国)/富士吉田
6055

山梨2い6057/43年式RB10(帝国)/富士吉田
6057

山梨2い 895/39年式RB10(金沢)/富士吉田
「山梨2い」の6000番台は富士急行の割当て番号であるが、この車は割当て番号発足以前に登録されている。
895

山梨22あ 170/42年式RB10(帝国)/河口湖
静岡地区からの転属車
22 170

山梨22あ  69/46年式RC300P(帝国)/河口湖
22 69

山梨22あ  75/46年式RE100(帝国)/富士吉田
75

山梨22あ 299/48年式RC300P(帝国)/河口湖
22 299

山梨22あ 310/48年式RC300P(帝国)/富士吉田
22 310

山梨交通 山梨22あ 256/47年式BU04(川崎)/大月
大月~甲府間の快速バス
22-256山梨交通

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