保存蒸機とその現役時代(10)

電車少年から最近蒸機が多いということで火つけ役の一人としてどうしようか悩んでいる。電車も面白いので機会をみて無い知識を振り絞って、また投稿させていただくとして「保存蒸機」は走り出したテーマなのでしばらくご勘弁願いたい。ところで先日広島県三原市にお住まいの西村雅幸さんから「こんなんあるでー」と保存蒸機の一覧表を頂いた。広島や四国にはそう簡単に行けそうもないので、その一部の提供をお願いした。大型機D52はしばらくお休みとして今回は愛媛県の内子駅前に保存のC12231を取り上げてみた。説明板によるとC12231は1939年9月に日本車両で製造され、1940年4月仙台局小牛田機関区、1967年6月仙台局会津若松機関区、1969年四国支社宇和島機関区転属により内子線で活躍、1970年退役とある。仙台局内の移動は省略されていると思うが、現役時代はほとんど宮城県や福島県で活躍したと思われ、晩年に宇和島に移動して一生を終えている。何となく仙台藩の伊達家が宇和島藩にも行ったのとよく似ている。

2007年10月8日内子駅前に保存のC11231  廃車後内子小学校に保存され、駅前整備とともに現在地に再保存された 下の3枚が保存機 西村雅幸撮影↓

s-07.10.8内子C12231-1西村氏s-07.10.8内子C12231-2西村氏

s-07.10.8内子C12231-3西村氏

現役時代であるが、1966年9月13日北海道からの帰りに「はくつる」を利用し仙台で下車し、急行に乗り継いでC51133が転覆した松川事件の松川で下車した。ED71、ED75の列車等を撮影後支線である川俣線に乗車した。メモには725列車10時16分発 C12231[福島]+貨車5両+スハニ642298仙フクとある。下の写真は岩代川俣駅での折り返し726列車で貨車は2両となっている。↓

s-66.9.13岩代川俣C12231

松川駅到着後の726列車 途中貨車2両を切り離したのかスハニ64だけになっている。↓

s-66.9.13松川C12231

川俣町の一部は福島第一原発事故の放射能汚染地区なっており、当時の平和な時代の写真を見ると心が痛む。なお、川俣線は1972年に廃止されている。

西村さんからは1976年8月に撮影した内子線終点時代の地上駅の写真も頂いたので併載する。写っているのはキハ52の2連と思われる。内子駅は1986年3月に予讃本線の短絡線として向井原までつながった際に高架駅になったとのことである。西村雅幸撮影↓

s-76.8内子駅キハ52

保存蒸機とその現役時代(10)」への2件のフィードバック

  1. 準特急さんを始め蒸機ファンの皆さん、蒸機は鉄道の原点ですからじゃんじゃんやってください。老人も写真こそ撮っていませんが、ぼんやりみていました。好きなのはC59です。ところでD62が出てきませんねえー。山科では目立ちませんでしたが、東海道電化後、全車東北に転籍しました.盛岡を朝一番列車でたち、石越に8時過ぎに到着、さて商売開始と準備はじめたら、立て続けにD62牽引の重量列車が上下共に走り去り、すごいなぁーと、唸った事があります。

  2. 乙訓の老人様
    準神足会の準特急です。老人様がお好きだったのはC59で特に戦後製の全長21mを超すタイプであるとお聞きし、この点で私達と一致しております。達というのは神足会の主要メンバーであります総本家さんのことで、彼もC59に似たC57の4次型が好きであると言われた。主な両者の共通点は戦後の同じ時期の製造のためか、船底型テンダーとその台車がローラーベアリング付き鋳鋼台車であること、およびデフレクターの形状等だと思います。D62は諸先輩の頃はしばらく東海道線を走行していたようですが、その後一ノ関に転属しました。大型機に似合わないシールドビーム2灯に改造された晩年の姿は多少撮っております。D62は20両ありましたが、1両も保存されておらず、「保存蒸機とその現役時代」のテーマに合わないので載せませんでしたが、特別編として近いうちに発表させていただきます。

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