宇高連絡フェリーに乗る

猛暑の京都を逃れようと四国善通寺に向けて出発したのは7月30日であった。この時期愛用の青春18切符利用で長岡京7:23発、快速播州赤穂行の人となる。高槻で後追いの新快速に乗り換え、姫路で播州赤穂行に乗り、相生始発の岡山行に乗り換えると岡山10:39着となる。自宅近くの阪急バス初発を利用すると、岡山に安く早く到着する筋となるが、今回は高槻で座れたのでそのまま播州赤穂直行とした。相生を出てトンネルを抜けると雨となり、そぼ降る赤穂駅に10:13、遅れ3分着となった。赤穂駅を後にしたのは10:41、まっ黄の115系4連であった。この時間帯となれば211系ワンマンカーと思っていたが、体質改善車で転換クロスになっており足を伸ばす事ができた。海岸縁を離れ、西片上からは高校生中心に乗客が増える。なるほど4連が必要なのだと思っているうちに岡山12:01定時着となった。何時もは岡山電軌をウォッチングした後、14:45発琴平行とするのだが構内放送は「遅れている南風5号の前にマリンライナーが先発となり、茶屋町で宇野線と接続する」と言っている。なに、宇野線と接続、久しぶりに聞く線名だ。宇高フェリー利用で高松へ、うどん一杯賞味して善通寺に行こうと気変わりした。

茶屋町着、接続する筈の宇野線列車はいない。岡山駅の構内放送のミスか、老人の聞き間違いか、どちらか分からない。ただ言える事は、この日は津山地区でゲリラ豪雨があり、津山線中心にダイヤの乱れがあったようだ。13:04何事もなかったように211系2連ワンマンカーが中線に到着した。扉が開きバラバラと乗客が降りる。13:06児島行、13:08岡山行がいずれもまっ黄の115系3連で到着、宇野線接続となる。これなら岡山でカレー、生中1杯やれたのにと思うが後の祭りである。彦崎、備前片岡と懐かしい駅名が続く。片岡は倉敷方面への受け口になっているのか駅前が整備されている。追川、常山と繋がる沿線の西側は、戸建ち住宅が繋がり住宅地として開発されている。線路の東側は干拓地で、松林や丸く盛り上がった元小島の跡地の地形がそのままだ。穂はまだ早いが今年の稲の生育は良いようだ。どの駅も交換設備がそのまま残され、特に交換線の延長が長かった八浜が目立つ。宇野に到着。広大な敷地だった宇野駅構内はホーム1本と僅かな留置線があるさびしい終着駅になっていた。デジ青で以前話題になった玉野市営電鉄の乗り場は位置すら特定できない。

連絡の児島行きを待ち受ける

連絡の児島行きを待ち受ける

ワンマン装備を見る

ワンマン装備を見る

駅ホームは1本2面、2両の電車からバラバラと若者中心に50人ばかりが下車した。以前の駅舎は西向きであったが、新駅舎は南向きである。つまり岸壁方向であるがその前には広い道路(県道?)が横切っており、その先は駐車場となっている。さらにその先が乗船エリアとなっており、全て車社会に適合するようになっている。正面は宇野中心の離島航路のフェリー乗船場となっており、高松行乗り場は駅正面から西端に追いやられている。電車からの乗客のほとんどは対岸の島へ向かい三々五々散らばっていった。高松行乗り場へ向かったのは老人一人であった。

その昔と違いホームを走る人はいない

その昔と違いホームを走る人はいない

簡素な造りの駅舎は昔も変わらない

簡素な造りの駅舎は昔も変わらない

キップ売り場の建屋の中には売店と窓口がある。閑散とした中で女性社員2人がいた。670円を窓口に差出し乗船券をもらった。フェリーに通じる通路には老船員?が居り、入鋏と共に13:50出発だと言ってくれた。5分後だ。客室に入るとガランとしている。数えてみると17人、老人を入れると18人である。横になっているのは自動車運転手と思われる。アベック、女性の2人組も自動車持ち込みとすれば、乗船のみと思われる老人1だけか、実態は分からない。出発のアナウンスがあり60分の船旅が始まるが静かなものだ。その昔、昼間の高松港では色紙テープが飛び交い賑やかであった。乗船したフェリーは853頓、第八十七玉高丸である。船は右折して話題となった三井造船玉野造船所の沖合を西に向かう。停留している大型船は進水したばかりのコンテナ船かバラ積み船、修理船と思われるコンテナ船の2隻、1000頓ぐらいの自衛艦、200頓ぐらいの遊覧船が見えただけである。この先の受注がどうなるのか、受注産業に半世紀、身を置いてきた老人には気になる現状である。

少しはましとなった乗船場

少しはましとなった乗船場

これが現在のフェリー

これが現在のフェリー

宇高連絡フェリーに乗る」への3件のフィードバック

  1. 読者の皆様、管理人様、老人にはだんだん投稿が難しくなりました。いつか分かりやすい講習会開催お願いします。

    • 宇高連絡船は懐かしいですね。高校生の時に初めて友人と2人での鉄道旅行したのが四国でした。その頃は国鉄仁堀連絡船もあってぐるっと一周をしました。その後四国にはよく行きましたので宇野から乗船する宇高連絡船での讃岐うどんは楽しみで甲板上で欠かさず賞味していました。
      デジ青ですがOSが新しくなるたびに、使用していますWordPress(ワードプレス)がバージョンアップされるたびに更新して進化しています。そのたびに使用方法が変更されていますので私もついていくのがやっとです。
      講習会は開催いたいと思っております。8月末から予定していました渡航が難しくなりましたので、いつでもOKです。ご予定をお聞かせください。よろしくお願いします。

  2. 宇高連絡船がまだあったのですか。鉄道同好会の最初の旅行が四国・淡路で夜行宇野行きを利用、そして宇高連絡船。乗船時間が短くて高松についても夜が明けず真っ暗けでした。文中に「連絡船の乗船客の中にアベック」とありますが、最近はこのアベックという言葉もあまり使われなくなったと新聞に出ていました。今は何というのでしょう。パソコンは当会の先輩方には操るのが上手な方が沢山おられますが、私と乙訓の老人様は下手な方なのでしょう。少しお互いに勉強しましょう。善通寺はお疲れ様でした。私も老秋68切符で大阪へ向かいます。近鉄「しまかぜ」に皆さんと楽しく乗車し、宇治山田でカレーと生中で大宴会に参加したいと思います。失礼しました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください