年の初めは 信貴電の不思議

新年あけましておめでとうございます。本年もお願いします。

 さて、「信貴電の不思議」でありますが、大和川橋梁の橋脚が継ぎ足されていることについて疑問に思っていました。いろいろ調べてもよくわかりませんでした。昨年のことですが、鉄橋のすぐ近くに「久度神社」があるので、そこの方に聞いたらなんらかの手がかりがあるのではないかと思って行ったのですが、どなたもおられませんでした。それでは正月であれば初詣の参拝する人が来るので、神社の方もおれれるのではということで1月2日に初詣を兼ねて久度神社にお参りをしました。さて、「久度神社」は「久度神」をお祀りをしています。しかし、平安遷都の時に平野神社へ「久度神」を遷座されました。ところが、名前は「久度神社」のままでした。再び、平野神社より「久度神」を勧進してお祀りしています。それは昭和になってからで遷座してから1175年という歳月が経っていました。鉄橋のことをお伺いした神主さんは氏子の方々が年に一度、平野神社へ正式参拝を行っていると言われていました。この「久度神」がカマドの神さんといわれている事について神主さんにお聞きしたら、カマドのことをクドということから、後の世になってから「久度神」がカマドの神さんと言われるようになったとおっしゃっていました。ところでカマドは「へっつい」とも言いますが、湯口先輩の名著『「へっつい」の系譜 -低重心超小型機関車の一族-』の冒頭に“おくどさん”という言葉が出てきます。大阪では“へっついさん”といっていましたので、私は“へっついさん”の方がなじみがあります。そういえば子供の頃、家には“へっついさん”がありました。

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   ↑ さわやかな境内の久度神社 

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 ↑ 右側の森が久度神社の神域です。(この写真は昨年の5月に撮ったものです。)

 肝心の大和川橋梁の橋脚ですが、神主さんにお聞きすると堤防のかさ上げの時に橋脚も継ぎ足したということでした。考えてみれば実に単純明快なことであれやこれやと考えていたのがおかしくなってしまいます。その堤防改修工事で出てきた石で造られた灯篭が境内にあることを教えていただきました。それが下の写真です、「内務省大和川改修工事従業員有志」と書かれてあります。この改修工事がいつ頃に行われたか調べる必要があると思っています。私の予想では亀の瀬の地すべり後に行われたのではないかと思っています。

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そして、堤防がかさ上げされたので線路の勾配も堤防から王寺側は開業当初より少し勾配がきつくなっていることも神主さんに教えていただきました。

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  ↑ 大和川橋梁を渡る王寺行電車

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  ↑ 鉄橋を渡った電車は王寺へ向かって勾配をゆっくりと下りていく。

 ところで信貴電にはもうひとつ興味深いことがあります。それは山下駅(現信貴山下駅)から柏原までの延長線計画があったことです。奈良県公文書にはその申請書類があり、線路平面図もあります。この図面は明治41年測図明治44年印刷された2万分の1地形図に計画線路が書き込まれたものです。まだ、亀の瀬の地すべりが発生していない時のもので、関西鉄道も柏原から王寺までは駅がありません。途中駅としては昭和2年に河内堅上駅が開業しています。ちなみの亀の瀬地すべりは昭和6年に発生しています。この延長線は柏原までの間に龍田、青谷、高井田の3駅が計画されていました。龍田駅は現在の三郷駅、青谷駅は河内堅上駅、高井田駅は高井田駅にそれぞれが該当するのも興味深いものです。しかし、申請は却下されています。この未成線についても興味深いので少し考えてみたいと思っています。信貴電については興味が途切れることはありません。村田式台車にしても考察したことが頭の中で考えただけなので、実際にはどのような動作をするかわかりません。実物大で作るわけにも行かないのでモデル化するのも一つの手段です。やりたいことがてんこ盛りで困ったものです。では最後にまぼろしの柏原延長線近くの龍田大社から延長線の方向を望んだ写真で延長線の想像をしてみたいと思います。

龍田大社参道-2

  ↑ 龍田大社の初詣風景 赤い鳥居のむこうの方をガタンゴトンと信貴電が走っていたかもしれません。多分、龍田大社参詣の最寄駅は龍田駅であったであろうと思います。

 

 

年の初めは 信貴電の不思議」への4件のフィードバック

  1. 新年あけましておめでとうございます。先日、久しぶりの京阪初詣の際に、冒頭にご挨拶する筈が、うっかりしておりました。DRFC時代、1959年正月であったと思うが、京阪電鉄が本線で終夜運転をすると報道され、前年大晦日に河原町蛸薬師下る東入る深夜喫茶店集合との号令が下った。羽村兄の提案だったと記憶しているが、旦那、徹ちゃん、小使(老人の渾名)と、計4人が集合し除夜の鐘と共に四条駅に移動し、600型2連の普通電車で京阪間往復したのが、初めての京阪電車初詣であった。以後、1960、1961年と3年続いたが、以後どうなのか覚えが無い。1986年に再び「鉄」に復帰、1988年に30年前を思い出し、入会した路面電車同好会関西支部の方々に1989年正月2日18時住吉交差点集合!と号令を掛けた。以来、住吉神社へ行くコースは京阪電鉄経由としていた。それが息子の結婚で、正月に「お嫁さん」を連れて帰京するため、正月足止めとなった。今年は白浜に「パンダ」を見に行くと言って孫共々消えてしまい、爺や一人で留守番役となり、新ルートで下鴨神社参拝、みたらし団子ぶらさげて帰宅した次第。
    どですかでん氏の現地取材は素晴らしいですね。老人は6000系2編成が7連化され普通運用に入っているのに気付きました。

  2. 昨年5月三郷小学校保存のC57160と舟戸公園保存のD51895を撮りに行った時、どですかでんさんのよく撮られるこの鉄橋を私もうろつきながらいろんな角度から撮りました。山側から俯瞰するといいのですが車がこわいですね。踏切横の久度神社他よく調査されており、頭が下がります。

  3. 乙訓の長老様 すこぶるお元気なようで何よりです。ところで新ルートで下鴨神社に参拝とみたらし団子を調達しに行かれたようですが、その新ルートがどのようなものか地図で追っかけてみました。西山天王山駅からサントリー通りという道をバスが淀へ向かっていくことがわかりました。そういえば、サントリー京都ビール工場が西山天王山駅から歩いてもそんなに遠くないことがわかり、ちょっと行きづらいと思っていたビール工場見学も行きやすくなったので行って見たいと思っています。淀からは京阪で下鴨神社を目指して行かれたようで。そういえば淀からは江戸時代に車石鳥羽街道線があったことを思い出しました。車石の話もさらに調べたことがあるのでそのうちに・・・・

  4. 準特急様 コメントありがとうございます。少しばかり急な仕事が入ったのでちょっとお礼のコメントが遅れました。大和川鉄橋が俯瞰できるところは住宅地へ登っていく道がちょうどよいと思います。私もコンデジで撮りましたが、今度はデジタル一眼で撮ってみたいと思っています。大和盆地が見渡すことができ、よい天気であれば高見山に雪が積もっていれば遠くに望むことができます。なかなか絶景です。また、王寺駅北口から信貴山門までのバスがあり、これは大和鉄道が信貴山へ申請したルートとほぼ同じようなところを走っているみたいです。信貴山から山を下るバスで一番前に乗ると景色が素晴らしいです。

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