2014年 遥かなる東欧の旅 Part5 戦火の癒えた町、サラエボへ その5 サラエボのトラム

第3日目 2月17日 その2

14:25 Kakanjiからはバスに乗ってサラエボに戻ってきました。着いたバスターミナル(BT)は、国鉄サラエボ駅に隣接していました。ここで初めてBTの場所が分かりました。
バスを降りられた方がトラム電停へと向かわれます。市内移動はトラム利用が定着化しているようです。我々も一緒に向かいました。
0114:30 サラエボ駅前電停に停車するのは、サラエボトラムの過半数の勢力を誇るTatra社製K2YU型258号200形は80編成余り?が在籍しています。
全長20,400㎜、全幅2,500㎜、出力40w×4、最高速度は不明ですが専用軌道区間が多く、実感では60km/h前後で走行していました。

タトラ(Tatra)は、チェコで生まれ世界各国の共産圏へと輸出されました。ライセンス生産した国もあり、各種10,000両余りが製造されています。

20【サラエボトラム】
当初は760㎜(ボスニアンゲージ)の馬車鉄道として運行されていましたが、1885年にトラムが導入されて開業しました。
60年代に1,435㎜に改軌され、現在10.7キロの本線と、0.4キロのサラエボ駅支線が運行されています。
在籍編成は、2両連接車と3両連接車を合わせると150編成あまりあるはずですが、勃発したボスニア紛争(1992年~1995年)で被災した車両もあり、確認できていません。

しばらくサラエボ駅前でトラムを撮ってからは、各自別々での撮影ポイントとなりました。当初は分岐電停からループ線側を狙っていたのですが、ちっとも走行してこないので何かあったのかと頻繁に走るイリジャ側に場所を代えました。

02▲ 15:07、ショコダ(旧タトラ)社製の3連接車Satra-Ⅲ型603号。全長28,520㎜、全幅2,500㎜、出力・最高速度不明。チェコブルノ(Brno)からの中古車で更新され、2005年から4編成(601~604)が投入されています。K2タイプの601とK2YUタイプの602~604があります。

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▲ 15:12 300号です。朝に乗った301号KT8D5型のトップナンバーと思っていましたが、300号がありました。わずか5両の在籍です。300形は、スロバキアコシツェ(Košice)からの中古車で、紛争後の1996年~1997年から導入運行されています。

03▲ 15:20 こちらはオランダアムステルダムからの中古車、801号です。全長25,500㎜、全幅2,300㎜、出力53w×4、最高速度55km/h、1979年製。801~816の16編成が2009年から運行されています。

05▲ 15:36 快走してくるSatra-Ⅱ(K2YU)型508号。こちらもチェコブルノ(Brno)からの中古車、500~511の12両が更新されて1998年から運行されています。K2タイプの500~501とK2YUタイプの502~511があります。

[googlemap lat=”43.85553493195353″ lng=”18.3975613117218″ align=”left” width=”250px” height=”180px” zoom=”16″ type=”G_NORMAL_MAP”]43.51,18.23[/googlemap]以上はサラエボ駅分岐駅からイリジャ寄りの1電停行った付近で撮りました。タトラ200形以外は、紛争中に従来走っていたタトラが損傷を受けて走行できなくなった為に各国から集めた中古車のようです。
今までご紹介している以外にオーストリアウィーンから来た700形が16両と、遠くワシントンから海を越えてやって来たPCCを連接車に改造した71形トラムがあるはずです。
71はともかく700形は両数も多いので遭遇してもいいはずですが、まだありません。どうしたのでしょうか?

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▲ 16:08 もう1電停イリジャ寄りに場所を代えての撮影です。春で新芽が吹いていたら綺麗な写真になったと思いますが・・。走るは、238号です。

07[googlemap lat=”43.858882784912424″ lng=”18.421398103237152″ align=”left” width=”250px” height=”180px” zoom=”18″ type=”G_NORMAL_MAP”]サラエボ 聖火[/googlemap]
▲ 16:45 旧市内地へとトラムに乗って移動しました。
こちらは古い街並みに似合うクリーム色のスロバキアのコシツェ(Košice)からの中古車302号です。

08▲ 16:47 下町の坂を下りてきた289号。ここはサラエボで一番賑やかなフェルハディヤ通りの起点です。隠れていますが、後方の建物前には1984年のサラエボ五輪の時から紛争時にも絶やさずに燃え続いている「永遠の炎」と名づけられた火が灯されています。

09▲ 17:00 トラム沿いの上り坂を上がると屋外市場があります。もう帰り支度のようですが、何軒かは営業中です。すぐそばをタトラが駆け降りていきました。

10▲ 17:04 一方通行になっているだけあって、狭い昔ながらの古い街並みの中、タトラ266号が石畳の道を降りてきました。

11▲ 17:11 この上が旧市街の中心、パシチャルシアの广場です。皆さんが待つホテルまではもう少し、歩道を歩くにもトラムがかすめるように通過していきます。来るはチェコブルノ(Brno)からの中古車、504号です。

14▲ 17:16 日暮れが迫ったパシチャルシア電停に到着しました。発車するのはブルノ(Brno)からの中古車508号、続行はタトラ209号です。約5時間近くで数10編成を撮りました。撮った枚数も300枚余り、帰国してからの整理が大変ですね。

ホテルに戻ると皆さんお待ちでした。先に戻られた皆さんは、13:00~16:00まで市内でデモがあってループ線にはトラムの運行がなく、撮影するにも戻るにも大変だったと言っておられました。イリジャ方面からのすべてのトラムはサラエボ駅支線に入って、ループで折り返しをしていたそうです。
15フロントのおばちゃまは、早速に熱いボスニアコーヒーを入れてくださいます。柄杓のような錫製の容器に粉末に砕いたコーヒー豆を入れて煮立てます。
うわづみコーヒーをカップに注ぎますが、それでも飲むと底に粉砕されたコーヒーが残ります。
でもこれがこの地のコーヒーです。

一休みしてから皆さん一緒に宵闇の中に照らされた石畳の道を散歩しながらよさげなレストランを探します。

1618:25 グルグル歩いて、結局HGさんが昨夜覗かれていて満席だった人気のお店にしましたが、今日はなぜかガラガラです。この町の夕食はもっと遅い時間のようです。

13▲ 注文した地元料理の数々の1部ですが、ピザは生地が塩の入れすぎだったようで塩味が効きすぎていました。パスタはクリームがベタベタで甘すぎました。舌の感覚がどうも違いすぎるようです。ご当地名物のチェヴァプチチは、美味しくいただけました。O氏と私の主食はビールですのでこれは問題なし、今日の収穫をお話ししながら楽しくいただけました。

12▲ 20:06 夕食が終わってホテルに戻る途中で見たパシチャルシア電停です。そういえばサラエボトラムはヨーロッパでは初めて終日運転をしたと聞きます。確認したかったのですが、歩き疲れた身体では、起きてはおられません。

明日は、ドイツからの本隊が15時に到着、日本からも3名も朝には来られます。前置きが長くになっていますが、ボスニア現役SL撮影ツアーが始まります。  Part6へ続く

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