2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part5 復州湾塩田ナローを撮る その3

第3日目 10月12日 その2

DSC_85022310:26 食後は五島運輸站に戻りこれからの運行状況を聞きますが、まだ指示が来ていない様子で確認できません。

作業車編成を牽引していた06号機が単機で待っています。

DSC_850624▲ 10:35 撮影地① Google座標; 39.469295, 121.483682
ダイヤが分からずとあれば、仕方がありません、一路順風!さんが撮りたいが、今まで列車が来ず撮れなかったといわれる第5~7塩場への路線が俯瞰できる道路橋上に向かいました。道路脇に車を停めて、いつかは来るであろうソルトトレインをひたすら我慢の待ちです。
確かに第8塩場の海の中道を俯瞰できる小高い丘と同様に待つに値する絶景の撮影地です。強風を避けるために車の中でお昼寝しながら待機します。

11:38 約1時間が経過しましたが来る様子はありません。望遠レンズで覗きますが列車の影は見られません。我慢しきれず、どこかにいるはずだ、探しに行こうとなりました。ご覧の通りナローに並走する道路は見当たりません。タブレットを広げて作業道路を探しますが、中国ではGoogle地図を見る事は出来ません。一路順風!さんお奨めの腾讯地图を見ますがGoogleのような衛星写真はタブレットでは見れず、普通の地図のみです。道路も主要道路だけで我々が行こうとしている未舗装の田舎道は表示されません。それでも現在位置は確認できますので途中で現地お住まいの方に聞きながら進みました。
地図2▲ 赤線が五島運輸站からの行動軌跡です。黄色がナロー鉄路ですが、帰国後にGoogle地図から推測しました。DATAはGPSロガー、カメラのGPSから読み取っています。現場ではよく分かっていませんでした。

DSC_851026DSC_850925▲ 11:59 撮影地② Google座標; 39.477385, 121.450629
何とかここまで来ましたがこの先の道路は終わっています。衛星地図が表示できれば分かっていたでしょうが明らかに行き過ぎです。どおりでナロー鉄路が見えない訳です。

12:10 そして最悪だったのは、案内人から発せられた「見てください。あちらにソルトトレインが走っていますよ。」の言葉でした。
DSC_851127確かに走って行きます。
彼は眼鏡をかけてはいますが、裸眼で近視なし視力両眼とも1.5を誇る私でもとても見えないソルトトレインを見る事が出来ました。

あ~もう少しの辛抱があったなら、こんなに苦労をしなくとも撮れたのに・・。がっくりです。
これで当分、塩満載のソルトトレインは走っては来ません。

失意で道路橋上に戻りました。風も暴風となって撮影意欲をさらに殺ぎます。じっと待つしかありませんでした。
そして約2時間後、五島運輸站から発車したのは第8塩場へと向かう列車です。第5~7塩場への列車撮影を諦めて追います。
DSC_852228▲ 14:25 07号機が空車編成を牽引して第8塩場へと暴風の中走ります。

DSC_853229▲ 14:33 Google座標; 39.508346, 121.500543
海の中道手前の丘からの俯瞰撮影です。

DSC_854030▲ 14:37 Google座標; 39.516233, 121.502185
ご覧の通り白波も見える水面です。日本なら強風による運行停止になる状態の中走って行きます。

DSC_854631▲ 14:40 Google座標; 39.523033, 121.512449
採取されて積み上げられた塩の山を見ながら行きます。

DSC_856532DSC_857133_1▲ 14:48 39.535717, 121.533829
反対方向から化学工場所属のDL編成が来ていました。どうするのかと見ていましたら、作業員宿舎へと分岐する路線に乗り入れて退避して本線上のソルトトレインを優先走行させます。
手慣れた作業でした。

ここから先に行っても冠水した道路ですので、引き返しての追っかけです。
DSC_860735▲ 15:07 海の中道を渡ります。客車の方は結構な数の作業員が乗っておられます。

そして本土側の丘に登り、体が飛ばされそうになるくらいの暴風にさらされながらの俯瞰撮影です。
DSC_863036DSC_864937▲ 16:10 第8塩場をバックに海の中道、そしてコンクリート橋を渡ってきます。

これでここは引き揚げて、第5~7塩場への路線に再々挑戦です。
DSC_867038▲ 16:49 五島運輸站からは何と、両方の路線への同時発車です。

DSC_869339DSC_869640▲ 16:55 夕日が沈んでいく中、西の彼方へと向かっていきました。24時間操業と申されていましたが、日が暮れても塩の採取作業は続くようです。
しかし早朝から暴風に翻弄された我々はクタクタです。これで切り上げて普蘭店のホテルへの帰途につきました。

地図02▲ 今日の約15時間の行動軌跡です。移動距離は約226キロでした。

DSCN605545DSCN60574618:58 今日の夕食は東北名物の羊肉しゃぶしゃぶです。
昨夜は周辺を探しましたので、今夜は案内人さんに調べてもらってTaxiで来ました。

左はこの地のエビのすり身、下左のきくらげは北朝鮮国境の特産です。一人鍋で美味しくいただきました。

明日は復州湾のナロー鉄路撮影も最終日です。一路順風!さんは夕刻のCRHで大連に向かわれ明後日帰国されます。一方の私は、案内人さんの住まいされる瀋陽に一緒に向かい、2013年に開業したという路面電車に初めての乗り鉄、撮り鉄に励みます。
明日は風が治まって欲しいと願っての就寝でした。 Part6に続く

2014年 塩の海 復州湾の塩田ナローと瀋陽路面電車への旅 Part5 復州湾塩田ナローを撮る その3」への3件のフィードバック

  1. この塩田は昭和18年に満鉄が発行していたグラフ雑誌『満洲グラフ』で満洲塩として紹介されていますが、すでに戦争中であることから線路と貨車がちらっと写っているだけで、路線の説明などはありませんでした。

  2. 団長様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
    そうですね。私も満州関係の地図に関しては探しましたが、昭和16年頃からは見つける事が出来ずで至っております。このナロー鉄路は名取紀之氏の編集長敬白 「復州湾に未知の大ナローゲージ網を探る」で知りました。前回は惨敗、今回ようやく撮れましたが、ダイヤがあるようでないようで、苦労しました。路線は大海原に向かって延びています。長い年月をかけて塩田が拡大されていったと容易に考えられました。

  3. 「鉄にとっては高尚な話」が出てまいりましたが、先回のコメントで製塩の方法が日本では昭和50年ごろに変わった、と言うことを当時愛読していた科学朝日と言う雑誌で知りました。塩田に砂を敷きその上から海水を撒いて太陽熱で砂に塩分を吸収させる。何度も繰り返して塩分濃度を高めたところで塩砂を釜茹でして・・・・・・のところま宇多津の浜で教えてもらいました。そこから先が宇多津浜でやっていたのかどうか覚えていないので、先頃の写真では浜に白いものが盛り上げてあり1連の行程を浜でやっているのかどうなのです?
    科学朝日の記事は正確に覚えていないが、イオン交換膜方式とやらで、茨城県辺りの化学会社が実用化した、と報じていたように思う。海水から直接塩が出来るというので、当時話題になったことも記憶している。それが岩塩をけずりだして茹でて塩を取ると言うのは塩田での手間が省けるからよいが、今でも塩水撒きやっているのだろうか?
    老人とは昔の野次根性丸出しの行動から来る疑問を持ち出し、気になるものだ。                      

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