RMライブラリー 200号を見て

NEKO PUBLISHINGから毎月出版されている「RM LIBRARY」を1巻から欠かさず定期購読していますが、この度200巻記念号として「日本の展望客車(上)」が手元に届きました。本誌には今までにもクローバー会先輩諸氏がすばらしい記事、写真を何度も上梓され 各号とも質の高い専門誌として愛読者も多いことと思います。また今回の200号をすでに手にされた方もあろうかと思います。

RMライブラリー 最新号

RMライブラリー 最新号

これを読み進むと 巻末に国鉄展望客車編成記録があり、その中に我がクローバー会発足のきっかけとなった 昭和62年10月4日の「DRFC30周年記念号」がしっかり記録されているのに驚きました。

国鉄展望客車編成記録

国鉄展望客車編成記録  上から2段目、左に わがDRFC30周年記念号が

前頁には私鉄では唯一の江若鉄道への皇太子殿下乗用列車も記載されていますし、国賓、要人のための専用列車に交じって我が記念号が記載されているのに こそばゆい感じもしました。また何度も走った「トレランス号」の写真も出てきます。

当日配布されたパンフレット

当日配布されたパンフレット

今から思えばあの特別列車によくあれだけの人数が集まり、思い出に残る大イベントを企画、実行され 成功裡に導かれた当時の裏方さんのご苦労に 改めて敬意を覚えます。そしてこの特別列車の中で 乙訓のご老人からOB会発足の呼びかけが行われて今日に至っていることを思い起こさせてくれました。今年の10月になれば この30周年記念号から29年が経ちます。となれば 詳しくは調べておりませんが、来年にはDRFCは還暦を、クローバー会は30年を迎えることになるのでしょうか。多分役員会でも話題に上っているかとは思いますが、地球の裏側でのオリンピックのことより 余程身近な節目が近づいていることを教えてくれた1冊の記事でした。

RMライブラリー 200号を見て」への8件のフィードバック

  1. 西村様、
    いつもありがとうございます。
    そうですか、あれからもう29年が過ぎたのですね。
    懐かしさと、月日の経つ早さが身にしみます。

  2. テッチャンは言うに及ばず、旅の楽しさを知る人にとっては展望車は憧れの的でした。その展望車を、なかでもマイテ492をDRFC30周年号として貸切列車で走らせることが出来る、との事を現役生から告げられたのは1987年の4月のことでした。早速、亡くなった高橋さんに連絡して、OBとしての連絡体制を構築しました。そこで大きく役割を果たしたのが会誌「青信号」でした。これを中心に京都在住のOB卒業後の動静を調査することが出来ました。貸切運転には有料乗客数の条件があり、それを満たすためDRFC会員家族にまで乗車希望者を募りました。特製乗車券、佐竹先輩の貴重な戦後の列車メモにもとずく冊子の作成を初め、本職顔負けのヘッドマーク等、DRFC総力を上げての準備と運行でした。老人個人としての思い出は参宮線に入ってからヤレヤレとなり、アルコールを勧められるままに煽り、OB会を作ろうと宣言したことです。
    今年の秋にDRFCは還暦を迎えるとの事、マイテは無理としても身近なところで「同志社号」を走らせたいですね。例えば「えいでん1編成」借り切って全線走破の後、寒梅館7階で祝杯!なんていかがでしょうか。

    • 乙訓のご老人様
      コメントありがとうございます。30周年記念号については世代を越えて語り尽くせないほど いろいろな思い出があると思います。もう故人になられた方も多く 時の流れを感じます。なお還暦は今年の秋ではなく来年の秋だと思います。昨年の広電で味を占めましたがえいでんや嵐電で貸切電車は可能なのでしょうか。1両では乗り切れないでしょうから、最低2両は必要でしょうね。

  3. 西村さん、老人は京福電鉄では2両編成貸し切りでビール電車を2回運行した実績があります。その時は直営の居酒屋の店長と懇意な間柄でありましたが、15年ばかり前になくなりました。その後、京福はおばけでんしゃを走らせていますが、最近ビール電車については耳にする事なしであります。貸切電車となると嵐山本線では話に乗ってくれると思いますが、北野線への乗り入れ運行は駄目となると思われます。理由はお察し頂けると思いますが、ほんの一部複線での運行ではいかんともしがたいからです。叡電の場合はどうでしょうか、鞍馬線の単線区間では市原、二の瀬で列車交換の実績があります。全線で2両編成の運転が可能なように思いますが、貸切列車運転実績に乏しい(耳にしたことなし、小学校時の遠足は2両連結で一般客と同席)ので、頭から断られるかもしれない。京阪電鉄の威光で何とかしようとしても、退職社員ならクローバー会の会員が居るけれど、どんなものやら・・・?彼らに打診してみないと分らない。
    でも走らせたいですね。叡電は地元ですからね。

    • 乙訓のご老人様
      岩倉生にとっては叡電も思い出の電車です。まあまだ1年以上も先の話ですから ゆっくり考えることにしましょう。ありがとうございました。

  4. 叡電貸し切りを希望される皆様へ
    しばらくデジ青を覗かなかったら、なにやら陰でウワサされていたようで、ひとこと申し上げねばそのうちご指名がかかっては大変と参入します。
    過去の実績があるかないかは大事な条件ですが、通常はたいていの会社で貸切営業制度そのものはあるはずです。ただし、今回話題の嵐電と叡電の場合は、ご老人さまが仰っておられるように、単線区間にはまず貸切臨時列車は設定できないと思われます。
    なぜならば、北野線と鞍馬線二軒茶屋以北は既に定期列車で交換設備を使っており、続行運転可能な信号システムでない限り物理的に列車設定が不可能だからです。両社は続行できないはずです。ですから貸切は複線区間か、単線でも列車間隔の長い線区でないと実現は難しいのです。ということは距離の長い路線でないと貸し切っても面白くなく、こういうことが原因で実績がないものと思われます。
    退職者や親会社の威光の件は話としては面白いですが、現実的ではありません。現A電社長を知らないわけではありませんが、実施できるとして多少の協力は仰げるかもしれないものの、まあそれまでです。まさか正面衝突してもええから、鞍馬まで行ってくれとは言えませんのでねえ。
    というわけで、やはり貸切るなら京阪や阪急で、というところに落ち着くのではないかと思料しますが。でも短編成がなくて高くつくかなあ。

    • 1900生さま
      北野線、鞍馬線の事情はよく判りました。出町柳・八瀬往復や四条大宮・嵐山往復なら可能性はありますね。京阪・阪急の貸切となるとハードルが高いですね。石坂線ならできそうですね。そう考えると広電はお手頃な貸切電車でした。コメントありがとうございました。

  5. 京福電鉄のホームページを見ますと今も貸切電車運行承りの案内が出ておりますが、内容は20年前と変更があります。老人が2回ビール電車を走らせた時はまだ200型クハが健在で、これを連結しての運行でした。また電鉄直系の居酒屋をビル地下で営業しており、その店長と知り合いで飲み仲間でした。最近、地下へ出入りしたことがありませんので居酒屋があるかどうかが分りません。1回目のビール電車は外注弁当と缶ビールでしたが、2回目は京都に電車が走り出して100年記念や、と言ったら弁当は居酒屋でつくり、ボンベを持ち込み生ビールを飲ませてくれました。こうした事は後にも先にも1回だけやと聞いております。当時嵐山へは運行時間は片道22分、8分ごとの運転でした。定期列車の2分前に発車、各停留所停車、それでも先行車に追いついた覚えありですが、運行時刻設定がどうだったかは覚えていません。京都新聞も取材に来てくれましたが、掲載紙保存していないので世間ではどうだったか反響は不明です。でも京都で育った同志社ですから来年のホームカミングデイには走らせてみたいですね。

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