倉吉観光マイス協会からのお願い

今年2月は”どですかでん”さんの「一枚の写真から 急がんと! 国鉄関金駅」の投稿から廃線となった倉吉線の記事が続々と続き、盛り上がりました。ついでに私も投稿しましたが、ご好評いただいた写真を倉吉線鉄道記念館に送らせていただいたところ大変感激されました。
そして本日、記念館を管理運営する倉吉観光マイス協会より下記のメールが届きました。======================================================

(前略)この度は倉吉線の貴重な画像を御提供頂き誠に有難うございました。私も鉄道写真を趣味としており、今まで見たことのない当時の倉吉線画像をたくさん拝見し興奮致しました!是非、来館者の方々にもこの貴重な画像を見て頂ければと考えております。

年度変わりもあり少し遅くなってしまいましたが鉄道記念館を管理する行政と現在展示している画像の提供者の方々と協議を行い、館内展示画像の配置換えを行ったうえで壁一面に今回提供頂いた画像を展示させて頂く事に致しました。「寄贈 同志社大学鉄道同好会OB会」のクレジットを入れさせて頂きます。
そこで新たな展示に伴い、もう少し展示する画像を御提供頂く事は可能でしょうか?提供をお願いしたい画像をブログから拾いましたので、添付にて送付させて頂きます(11枚ございます)。
無理をお願い致しますが何卒宜しくお願い申し上げます。
展示の準備作業進捗に於いては随時ご報告させて頂きます。
======================================================
と、いった内容です。ご要望を受けました写真を掲載しますので、撮影者の皆さま方はご検討をお願い申し上げます。私は只今、五所川原におりますので帰宅次第にご投稿者の皆さま各位へ、お願い書を送らせていただきます。よろしくお願い申し上げます。

Book21-100Book21-200

倉吉観光マイス協会からのお願い」への3件のフィードバック

  1. ぶんしゅう様
     五所川原ですか。えらいところにいますね。私も1975年の5月連休に津軽鉄道にK君と行きました。前日の宿泊は青函連絡船の往復乗船でした。これが私の最初で最後の青函連絡船でした。さて、倉吉線ですが、事の発端は西村さんの「行商列車」という本の紹介で、次に私が津山駅での行商のおばさんが写っている写真を投稿しました。それに対する西村さんのコメントに対して、津山から行ったところが三江南線、倉吉線ですが、すでに三江南線の写真は投稿したので倉吉線の例の写真の投稿となったのです。そうするとDRFC名物の次から次へとつながっていく展開となったのです。それがこのようなところに飛んで行くとは・・・・うれしいかぎりです。

  2. どですかでんさん、倉吉線は廃線後に温泉旅行で2回行っただけで、山陰線利用の時も夜行列車で鼻提灯を広げきずくこと無しの線区のひとつです。それが今回の申し入れがあったなんてとても嬉しいことですね。今嫌われている鉄カメラマンではないDRFC、それも日常生活に密着した姿はとても素晴らしいものと思います。ある図書を思い出し広げています。弘文堂:出版、ついこの間あった昔:林望です。鉄道風景は一つもありません。でも貧しかった頃の日本の生活、それも片隅の姿、庶民生活がありありと映し出しています。失敗を埋めてしまうような国にはなりたくない。尼崎の事故もそうした観点から教訓としてみたいですね。

  3. ぶんしゅう様
    いつもご苦労様です。
    お手数をお掛けしますが、私の写真でよろしければご自由にお使い下さい。
    ぶんしゅう様にお任せします。
    ありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください