備後路の新緑を追う 2016年 Part1 尾道鉄道、木次線・奥出雲おろち号を撮る

三江線津軽鉄道に続いては若葉映える新緑の備後路を目指しました。ご案内役はご当地に永住されるようになった西村さんにお願いして、ご愛車を出していただき3日間を駆け巡りました。

第1日目 5月5日
① 長岡京5:29(快速)⇒7:30姫路7:40(こだま731号)⇒8:45新尾道

当初の出発は5月7日を予定していましたが天気予報の具合がよくありません。急遽5日出発に切りあげることになりましたが、5月連休中は新幹線の格安回数券が使えません。おとなびも急で手配できないので最も安くて向かう手段は姫路まで快速で行ってこだまに乗り換えるのが1番でした。

8:45 約3時間余りをかけて新尾道着。重いカメラバックとキャリアケースを持って降りますが、新尾道駅は、下りエスカレーターもエレベーターもありません。長い階段を降りるしかない不便な駅です。バリアフリーとはなっていない駅が新幹線駅にあるとはショッキングでした。

西村さんのお迎えを受けて新尾道駅からの備後路出発です。

【尾道鉄道の廃線跡に沿って】

尾道鉄道Map_01_200▲ 新尾道からはかつての尾道鉄道が走ったルート跡に建設された国道184号線バイパスを西村さんの案内で走ります。

【尾道鉄道}
尾道鉄道
は石見銀山と鉱石積出港であった尾道港を結ぶための旅客輸送として、1933年(昭和8年)3月28日の尾道~市17.1㌔が全線開業しました。
当初は蒸気機関車牽引で計画されましたが最高勾配50‰にも達する急勾配線となったことからDC600Vに切り替えられました。開業後は赤字経営が続いたために上下への延伸は断念され、昭和32年2月1日には市~石畦8㌔を廃止しました。旅客輸送量は1960年(昭和35年)度に沿線に尾道高校が開校したこともあって過去最大の178万人になり1日20往復が運行されて最盛期を迎えましたが経営改善は見られず車両老朽化を理由に1964年(昭和39年)8月1日に廃止されました。
西高上~畑の廃線跡には赤レンガ積みのポータル、4号トンネルが車でも通れる状態で残っています。

福塩線から芸備線へと入り、ロケハンしながら木次線備後落合を目指します。
DSC_2585_100▲ 10:18 今日は快晴に恵まれていますが風があります。水張りが終わった田にはもう田植えが行われていました。

DSC_2594002_100DSC_2596003▲ 11:29 比婆山に到着。駅舎正面に掲げられた駅名板ですが、時刻表を再利用したもので下地が浮き上がっています。上り行先は、東京・大阪・姫路・京都ぐらいしか読めませんが、下りはかなり読めます。記事には「山陽線」、「呉経由」、「日豊経由」、「筑豊経由」、「電車・倉敷」、行先は、倉敷・広島・糸崎・三原・門司・岩国・博多・長崎・熊本・八代・西鹿児島等数多くが読めます。発車番線も7番線までありますので山陽線の優等列車が停車する倉敷~姫路の大きな駅だと思われます。そうなるとあてはまるのは岡山なのでしょうか?
西村君の後から調べでは掲載されている時刻が持っておられる古い時刻表(昭和36年6月号)と一致したとのことで岡山駅で間違いなさそうです。しかし、わざわざここまで持ってくるほど板が不足していたのでしょうか?

この駅は1935年(昭和10年)12月20日、芸備鉄道庄原線の備後熊野駅(びんごくまのえき)として開業、1937年(昭和12年)7月1日、芸備鉄道の国有化に伴い、芸備線の駅となり1956年(昭和31年)12月20日、比婆山駅に改称されています。駅名板が取り付けられたのはこの時期以降です。倉敷までの列車が電車と記載されています。上郡~倉敷が電化されたのは1960年(昭和35年)10月1日ですので、これ以降にはなります。最初に書かれたこの時刻表が不要になるのは倉敷~三原が電化された1961年(昭和36年)9月6日以降と思われます。比婆山駅に改称されてからしばらくして掲示されていたのではと推理します。

DSCN4699060_1▲ かつては交換駅だったようでホーム跡が残っていました。駅舎は神社風の面影があります。

DSCN4701061_1▲ 11:57 木次線油木に到着。1937年(昭和12年)12月12日、木次線八川~備後落合延伸により開業。かつては上下線が発着交換できる島式ホームでしたが現在は1線のみです。この駅のホーム待合室内の駅名板も変わっています。下地は浮き出ていませんが何かの流用です。駅舎は今の駐車場にあったようですが取り壊されています。

DSCN4708066▲ 現在の時刻表ですが、本数の多いのは宍道~木次木次~備後落合は季節や曜日によって運用が替わります。見て解読するのは大変です。

【木次線】
木次~宍道は地元有志によって1914年(大正3年)1月に簸上鉄道が設立され、陰陽連絡鉄道としてまず1916年(大正5年)10月11日に宍道~木次が開業されました。続いて木次~三成が1932年(昭和7年)12月に延伸開業、三成~横田は国鉄に買収された1934年(昭和9年)に開業。横田・八川は、1937年(昭和12年)12月12日に坂根・油木がそれぞれ開業し、備後落合までの木次線は全線開業、構想から25年以上の歳月を経て芸備線と接続して広島まで結ばれました。
01_木次線時刻表_昭和151010現在▲ 木次線が全線開業した開業した当時の昭和15年10月の時刻表です。優等列車はありません。現在、備後落合~出雲横田は平日上下各3本の運行ですが、鈍行は上下各8本も運行されていました。

木次線芸備線とともに陰陽連絡路線の一つとして1950年(昭和25年)代から1990年

+++++++++++++(平成2年)3月までは広島・松江へ直通する急行ちどり、いなばなどの優等列車が運転されていました。私もよく仕事で2ケ月毎に利用していました。
01_木次線時刻表_昭和421001現在_100▲ 木次線最盛期の1967年(昭和42年)10月の時刻表です。急行ちどり(岩国・広島~米子)と急行いなば(広島~鳥取)が運行されています。よく見ると、油木~備後落合の区間列車が運行(休日運休)されてもいます。1駅間だけの運行ですが、需要があったのですね。

しかし、道路整備が進みだし車社会に移行しますと利用者は減っていき、優等列車の運行が廃止されると陰陽連絡線としての役割は終焉を迎えました。

DSC_2603004▲ 12:22 三井野原~油木 今日は奥出雲おろち号(以降略;おろち号)を主体に追います。新緑の山々から油木に向かって下りてきました。プッシュプルの列車で備後落合行きはトロッコが先頭です。
編成は、DE15-2558+スハフ12-801+スハフ13-801です。

DSC_2613005▲ 12:27 油木~備後落合

DSC_2631006▲ 13:14 備後落合~油木 折り返しは油木近くの棚田を前景にしました。既に田植えは終わっています。

DSC_2648007▲ 13:43 追っかけて三井野原の入線をキャッチしました。三井野原は1949年(昭和24年)12月24日、国鉄木次線出雲坂根 ~油木に仮乗降場として設置され、1958年(昭和33年)9月1日、駅に格上げされ正式に開業しています。駅前は直ぐにスキー場となっていてスキー人口多しの頃は、臨時列車も運行されていました。今もスキー場は現役で使われています。

DSC_2682008_100▲ 13:36 これぞ新緑の中を行くおろち号です。撮影地は国道314号線の奥出雲おろちループから唯一見えるお立ち台からです。撮影地Google座標; 35.094497, 133.130468

DSC_2686009 DSC_2689010DSC_2694011_100▲ 13:41 JR西日本では唯一の3段スイッチバックの出雲坂根に先回って到着です。
標高は標高762m、JR西日本で1番高い駅です。列車は三井野原~出雲坂根の標高差の161mを上下します。
後方に見える橋が先ほどの撮影地点です。

ここで交換する1449Dは22分前からお待ちです。
延命水を飲む時間を設定しているのでしょうか。
DSC_2698012IMG_1883-1003DSC_2703013▲ バック運転でスイッチバックを下りておろち号が入線してきました。超満員ではありませんが連休とあって多数の観光客が乗り込まれていました。

ここからは再び機関車前頭で走行します。

DSC_6916040DSC_2712015▲ 14:07 撮影地;出雲坂根~八川 Google座標; 35.113928, 133.112357
今回は新緑をバックに撮ることにポイントを置きましたので、ロケハンしながら探した場所です。

IMG_1895-1004▲ こちらは西村さんのカットです。同じ場所にいながらですが印象に残したいアングルは撮影者によって違っています。

DSC_2714016▲ 14:16 1934年(昭和9年)11月20日、木次線出雲三成から延伸した際の終着駅として開業した八川に到着。ここは手前によさげな撮影ポイントがあったので立ち寄らず、すぐに折り返しました。

DSC_2718017▲ 14:17 オーバークロスする道路橋からのショットです。すぐに来ましたのでアングルを決められずとにかく撮っただけでした。

DSC_6927041▲ 14:31 出雲横田~亀嵩 Google座標; 35.184099, 133.072708
山の新緑をかき分けておろち号が里に下りてきました。

DSC_2732018▲ 上と同じ場所でのひきつけてのもう1つのカットです。

DSC_2734019

▲ 後追いの後姿ですがこれも幾重もの緑が綺麗で良かったです。

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▲ 14:43 出雲三成~亀嵩
国道314号線は亀嵩をショートカットしますので先回りできます。
国道からの枝道でオーバークロスする場所が見つかりましたので待ちます。
ここでは線路工事が行われていてご丁寧に列車時刻が掲示された立札が立っていました。

DSC_2745025▲ 14:54 おろち号出雲三成備後落合行きの1451Dとの交換で約10分間の停車です。

▲ おろち号の車内ですがお客は備後落合で降りられたのかほとんどおられません。この列車の定員は指定60名、雨天等でトロッコ車内では支障が出る場合に備えてもう1両が連結されていると西村さんからの説明を受けました。もったいない話でもあります。
駅舎は土産物を買われる観光客でにぎわっていました。私も今夜のために地酒を1本購入です。

ここでおろち号の追っかけは終わりにしました。天気が良いので出雲坂根に戻りスイッチバックの俯瞰撮影に挑みます。撮影地は出発する前にネットで見つけておいた下記のHPです。
※ 参考にしたのは、「いいもの!みっけ!」です。木次線の撮影ガイドがグルメに至るまで詳しく掲載されています。

HPで説明の旧道は直ぐに見つけられ細いつづら折りの山道を登って行くのですが、旧道から俯瞰位置までよじ登る道が分りません。これは無理だと一旦は諦めて山を下りましたが、登山用のロープがあった場所が気になり諦めきれず再挑戦しました。
IMG_2138-1012_1
急な道です。ロープの存在はHPには記載されていませんでしたが、誰かよく訪れる方が登るに安全なように設置されたようです。
西村さんが先に登って行かれると開けた場所があったようでここから見渡せますと叫ばれます。
そしてすぐにDCがやってきましたが、残念ながら私が撮影場所まで上がった時には行ってしまいました。

16:23 西村さんが撮られた写真です。ここからもう1段ロープが設置してある登り道があってすぐにお立ち台に着けます。

Google座標; 35.101233, 133.116703
IMG_1959-1005▲ DC1両が走っているのは出雲坂根を出発して左側に見えるスノーシェードをくぐって折り返し、三井野原へと向かう路線です。下に見える路線は八川から出雲坂根へ向かいます。
次に列車が来るのは18:15頃です。それまで待てませんので明日に再訪することにしました。

先ほどショートカットした亀嵩に立ち寄ることにしました。今度は線路沿いの道を行きます。

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▲ 17:24 亀嵩に到着。駅舎は駅弁でも有名なそば屋(扇屋そば)になっていてお客さんもおられましたが、直前で営業は終了していました。
我々の今日の撮影もこれで終了です。今日の宿は西村さんが探していただいた宿泊できるミュージアム奥出雲多根自然博物館です。出雲八代駅から約1.6㌔、県道24号線沿いにあります。

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▲ 18:35 奥出雲多根自然博物館に到着です。

この施設はメガネの三城の創業者が生まれた地に貢献記念のために建設した「宇宙の進化と生命の歴史」をテーマとした博物館で。全国で唯一宿泊出来て、近くにあるツルツル美肌の温泉「長寿の湯」にも入れるのがウリです。
公式HPはこちらです。

玄関ロビーでは全長10mのアロサウルスの実物大骨格標本がお出迎えでした。

▲ パンフです。クリックしますと大きく見えます。
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▲ 温泉にゆっくりと入ってから生ビールを飲んですき焼き鍋の夕食です。美味しくいただきました。

▲ 夕食後は宿泊者だけが入場できるナイトミュージアムの観賞です。化石の展示を見ましたがよく私費で集めたものです。こういった物に興味のある方は鉄ちゃんのついでに行ってみられるのもいいのかも・・。

今日は一杯撮れました。明日も頑張ろうと予定を西村さんと相談しましたが、天気予報はあまりよくありません。天気が持つかどうか心配の就寝でした。 Part2へ続く

備後路の新緑を追う 2016年 Part1 尾道鉄道、木次線・奥出雲おろち号を撮る」への2件のフィードバック

  1. ようこそ木次線にお越し下さいました。前回の三江線では廃止に揺れ動いていますが、木次線も楽観視出来ません。地元民としては「おろち号」をもっと乗車しやすい環境整備をしないといけないと思っています。

    • おろち様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。またデジ青をいつもご覧いただきましてありがとうございます。
      木次線を訪問するにあたり、ご連絡をさせていただきたく思っておりましたが、記事のとおりいつものように突然訪問でした。ご連絡できなく申し訳ございません。
      今回は新緑を撮りたくて参りました。撮影場所は同行する後輩の西村君に一任していましたがやはり現場を見ないt分りません。ロケハンしながらの撮影に終始しましたが、思っていた光景はまずまず撮れたかと思っております。
      「おろち号」のツアーですが関西ではあまり知られていません。出雲と合わせてのツアーを企画できるようになればと思いますが、問題は備後落合まで乗って行ってからです。これの復路プランに魅力的な企画が加われば乗車希望者が増えると思います。
      田の稲が育つころにはまた参りたいと思っております。木次線もそうですが三江線を含めての将来像をお聞かせいただければと思っております。よろしくお願い申し上げます。

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