備後路の新緑を追う 2016年 Part6 福塩線を撮る

新尾道から入り三次を中心に芸備線・福塩線・三江線と西村さんとご一緒に回った「備後路の新緑を追う 2016年」も最後の掲載となりました。3月末から桜の開花・満開も良かったですが新緑を追いかけての旅も実り多く来年も参りたいと思っております。下記の地図のピンマークがカメラのGPSが記録した今回の撮影地点です。西村さんには大変お世話になりましてありがとうございました。今年はまた稲穂が垂れる実りの頃、また紅葉のシーズン、そして初雪が降る頃に再訪したいと思っておりますのでよろしくお願い申し上げます。
では、今回の旅の最後の投稿をさせていただきます
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第3日目 5月7日 その3

三江線の石見都賀の大カーブから375号線、三次からは尾道自動車道を走り吉舎I.Cで降りました。ここからは福塩線と並行する県道をロケハンしながら府中方面に向けて南下します。走行距離は約70㌔、約2時間弱の所要時間でした。
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12:50 朝は吉舎までを撮りましたので目的地はその先の備後安田~梶田です。山中から出ると水田広がる里に出ました。線路築堤には黄色い花咲くお花畑がありましたので最初の撮影地に決めて昼間の臨時列車を待ちます。今日は昼から晴れるとの天気予報でしたが、ようやく日差しが出てきました。

DSC_3394011DSCN4798024▲ 13:05 備後安田~梶田 Google座標; 34.715139, 133.055803
新緑の木々のトンネルから出てきたのは、通学臨時列車の8716Dキハ120-333です。

駅に掲示してあった通学臨時列車の運行予定表ですが、曜日が決まっているわけではなく不定期の専用列車のようでもあります。6月までのダイヤが決まっています。
日頃は9時台から15時台まで約6時間も運行がない三次~府中ですが通学用として特別に走っています。
福塩線の他、芸備線にも運行されています。

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▲  築堤に咲く可憐な黄色い花は、漢字では「馬の脚形」とも書く「ウマノアシガタ」というキンポウゲ科キンポウゲ属の野草です。
日本では北海道〜南西諸島の全国の日当たりの良い山野に生えているそうですが、私は見て気づいたのは初めてです。

DSC_3422014▲ 13:34 備後安田~梶田 Google座標; 34.718587, 133.053475
備後安田寄りの上下川に架かる鉄橋に戻って、同じく臨時列車の8727Dを撮ります。キハ120-21が渡っていきました。

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▲ 13:47 梶田駅に行ってみましたが駅舎はなく、ホームに屋根のある小さな待合所だけでした。1963年(昭和38年)10月1日に新設開業されています。

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▲ 13:55 次の甲奴駅に到着です。1935年(昭和10年)11月15日、当時の国鉄・福塩北線吉舎~上下延伸時に有人駅として開業しています。1985年(昭和60年)12月1日には無人駅化されました。木造駅舎で駅事務室には広島らしくお好み焼屋が入居しています。

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DSCN4828039▲ 14:05 上下駅に到着です。1935年(昭和10年)11月15日、当時 の国鉄・福塩北線吉舎から延伸された際に有人・終着駅として開業しました。2面2線で交換駅として使用されています。
広い駅事務室は現在そば屋が入居していて切符販売も担当する簡易委託駅となっています。

手打ちそば屋となると食べたくなります。もりそば(600円)を注文しましたが、のどごしよく結構いけていました。おいしく完食です。

DSCN4827038 DSCN4827_100▲ そば屋の壁に掲示されていた開業当初の写真です。ピントも決まったきっちりとした写真で蒸気機関車を拡大すると、1032号機と読み取れます。

【 1032号機 】
手持ちの資料から調べてみますと、1908年(明治41年)にドイツ・ハノーバー社で製造された36両(製造番号5325 – 5360)のうちの1両と推測します。ネルソンと愛称されたテンダー式蒸気機関車イギリス製の6200形6270形を模して製造されたようで6350形と称されました。
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当初は全機が中部鉄道局に配属されて東海道線を走りましたが、1924年から1926年にかけて全機がタンク機関車(2B⇒2B1)に改造され、1000形に生まれ変わり、東京7両、中部13両、大阪12両、仙台4両の各鉄道管理局に配属が変わりました。1032号機は小倉工場で6351号機から改造を受けて再誕生しています。
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全長:14,351⇒11,371mm、全高:3,734mm、全幅:2,483⇒2,578mm、車軸配置:4-4-0(2B)⇒4-4-2(2B1)、動輪直径:1,524⇒1,520mm、弁装置:スチーブンソン式、シリンダー(直径×行程):406mm×610mm、ボイラー圧力:11.3⇒11.0/12.0kg/cm²、火格子面積:1.33m²、重量:32.57t+24.46t(タンク車)⇒47.9t、、炭水車・水タンク容量:9.1m³⇒炭水車なし自車;6.50m³、性能;シリンダ引張力:6,190kg(11.0kg/cm²時)と、思われます。

客車は2両編成ですが前車はダブルルーフの3等車、後車は中間扉がありますので半室荷物車のハニだろうと思ったりします。
蒸気機関車の形式や客車についても詳しくはない私ですので、お分かりになる方はご校正をお願いします。

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▲ 14:48 備後矢野駅に到着です。1938年(昭和13年)7月28日、福塩線府中~上下延伸により開業しました。1983年(昭和58年)4月5日に無人駅化(簡易委託駅化)されました。
この駅も駅事務所内はうどん・そば食堂となり民芸・雑貨屋も兼用されていましたが、全体がバラバラで雑然とした様子でした。

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DSCN4842049▲ 14:55 備後三川駅に到着です。1938年(昭和13年)7月28日、福塩線の府中~上下延伸により開業しましたが、1985年(昭和60年)12月1日に無人駅化(簡易委託駅化)されています。
開業後、八田原ダム建設に伴いこの駅から河佐までが八田原トンネル経由の新ルートに付け替えられた影響で左上の八田原トンネル方向のホーム幅は広くなっています。
1990年(平成2年)3月に現在のとんがり形駅舎に建て替えられました。

DSC_3446017▲ 15:25 河佐~中畑 Google座標; 34.589249, 133.171015
河佐手前の芦田川に架かる鉄橋を渡る三次行きの1729Dキハ120-333です。

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DSCN4853056▲ 15:31 河佐駅に到着です。1938年(昭和13年)7月28日、福塩線府中~上下延伸により開業しましたが、1983年(昭和58年)4月5日に無人駅化(簡易委託駅化)されています。
この駅も2面2線の交換駅として使用されています。

◀ 駅舎内に掲示されていた粋な河佐の案内です。作者ぐらいは記載して欲しいですね。

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▲ 15:44 中畑駅の到着です。1963年(昭和38年)10月1日、上下までの延伸後に中間駅として新設・開業しました。

DSC_3465020▲ 16:21 中畑~下川辺 Google座標; 34.563049, 133.197257
かつては茅葺き屋根だった農家と右手後方につり橋を入れて撮ります。やってきたのは、府中行きの1728Dキハ120-21でした。

次に福塩線府中~三次に列車が運行されるのは20時台でこれが最終となります。走行を撮れる時間ではありませんので我々の今回の旅の撮影はこれで切り上げることにしました。
西村さんはここからなら、府中から山道を走り抜けて三原のご自宅に向かわれる方が早く楽だと申されます。私も府中から電車に乗って福山経由なら新幹線のぞみさくらに乗車できますので便利です。府中駅まで送ってもらっての解散としました。
DSCN4867063_100▲ 17:02 府中駅に到着しました。今回の旅では西村さんに大変お世話になりました。ありがとうございました。次回もまた参らせていただきますのでよろしくお願いしますと、お礼を申し上げて、帰宅される車を見送りました。

① 府中17:12⇒18:02福山18:15(さくら562号)⇒19:24新大阪
② 新大阪19:28(快速)⇒19:54長岡京

DSCN4874065DSCN4880066_100▲ ビールと日本酒を買い込んでの乗車です。ここから福山までは電化されていますので105系に乗って向かいますが、23.6㌔を50分もかかる鈍足です。
高速で走るのは中間駅が13駅と多すぎます。

平均駅間距離は1.7㌔、平均速度は28.3km/hと三江線よりも遅いのです。
複線化して快速を走らすほどの利用客がいないのが残念なところです。

DSCN4882067▲ 18:13 福山駅では黄色に塗装された117系4両編成が発車待ちです。2列1組のバランサー付き1段下降式に変更され見た目もすっきりとした美しい後期型で、私の好きな車両の1つです。京都~姫路を最高速度115km/hでぶっ飛ばした姿が忘れられません。毎日通勤時に乗車しました。ここでも頑張ってくれよとエールを送ってから新幹線ホームに急ぎました。

新幹線のさくら号のぞみ号とは違って短い8両編成です。5月連休最終日とあって混んでいるだろう、通路に座る羽目になるかもと覚悟して乗車しましたが、DE席を独占できる乗車率でした。熊本地震の影響で九州方面に旅行される観光客が激減しているからなのでしょうね。

6年前の2010年に桜前線を追っかけて行った南阿蘇鉄道の復旧はまだ進んでいないようです。鉄ちゃんとして応援を送る意味から近々に熊本市電鹿児島市電に訪れたいと思っております。次の紀行記は北陸になります、富山訪問ツアー後の予定に入れました。

 

2016年 初夏の北陸路一人旅は、こちらから

備後路の新緑を追う 2016年 Part6 福塩線を撮る」への3件のフィードバック

  1. ぶんしゅう様
    6連載お疲れさまでした。2日目でカメラのSDカードがフルになるほど密度の濃い撮影行は久しぶりでした。旅の途中でもよく話題になりましたが、ひとりだったらここまで”戦闘的”にはなっていなかったと思います。ここのところ この掲示板は木次線で盛り上がっていますが、今回の旅では出雲八代止まりで木次、宍道方面まで足を伸ばせませんでした。次はナイトミュージアムを拠点に木次線を踏破したいと思います。そして吉備線、津山線、姫新線、因美線など殆ど撮ったことのない線区も訪ねたいと思っています。倉吉にも行かねばなりませんね。引き続きよろしくお願い致します。

  2. (追伸)福塩線の臨時列車の件ですが、沿線各高校のホームページによりますと 今週17日から20日の運行は、上下高校の中間考査の日程と合致します。学校行事を詳しく掲載している高校とそうでない高校があるので 来週の福塩、芸備両線の臨時列車の理由はよくわかりません。土日の芸備線の臨時列車は木次線のおろち号接続のためで 広島とのアクセス狙いのようです。

  3. 西村様、重ねてご案内いただきましてありがとうございました。おかげさまで充実の3日間を過ごさせていただきました。私が撮りました写真も数多く現像処理に時間がかかり掲載がスムーズには参りませんでした。
    次回候補の吉備線、津山線、姫新線、因美線については私もまだ撮影したことのない路線です。是非に行ってみたいと思っておりますので、ご予定が決まりましたらお手数ですがご連絡ください。若い稲穂が育つころでも実りが垂れるころでも結構です。よろしくお願い申し上げます。

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