ほろ苦い「或る想い出」

先に「或る列車」を投稿したが、実はこれに関し、ややほろ苦い想い出がある。50年近く前だったか―記憶は定かでないが、ある時ある人(故人だから実名を出しても差し支えないか。確か茅ヶ崎在住だったかの松本一なる御仁)から、「或る列車」に関しての図や資料類の提供を頂けないかとの要望を受けた。どんなルートで、どこで知ったのか、手書きガリ版時代の「青信号」4号(号数は青信号特派員氏が先般教えて下さった)の小生の記事を見たらしい。他人では絶対になし得ない精密な模型を作りたいとの意気込みで、それはご奇特なと全面協力した。今だから話せるが、勤務中に業務用の4×5スピグラ(当時20万円したプレスカメラで前板だけだがあおりが利く。米国グラフレックス社製でボディは木製、レンズはコダック製エクター5吋=ピントの良さは抜群)で鉄道趣味26号「或る列車」公式写真を複写。その他昭和3年版の客車形式図下巻からの形式図コピーに、小生撮影や所蔵写真など、できる限りのものを揃えて差上げた。

初対面ではあったが真面目そうな人で、腕は確か=モデルマニアというより、職人という感じだった。実は彼は自分用ではなく、某大金持ち氏のお抱え職人であり、抱え主の趣味というか、要望で次々と大サイズの精密模型を作り続けていたのであった。もうお分かりかと思うが、某大金持ちとは、これも故人の原信太郎氏(コクヨ重役)である。

芦屋六麓荘の広大な原邸内に、ちょっとした体育館?ぐらいの別棟があり、ここに彼の口癖である「博物館」が展開していた。1番軌間の線路が敷き回され、2階やらあらゆるアングルでそれを見ることが出来る。電車は架線集電で、スパーギヤ1段駆動。直流モーターだから、手で押すと、モーターが発電機になり、その発生電流で、隣の線にいる別の電車も少しだが動く(事実だった)のがご自慢であり、車輌数は数知れず。彼の好みの電車等が山ほどあり、「或る列車」もそのコレクションの一環であったとは、これも遙か後日知ることになる。模型列車走行中、原氏(常に和服で白足袋姿であった)は、一人ハモンドオルガンを弾き、ご満悦であった。

松本氏は阪国の「金魚鉢」も作りたいというので、当時小生が住んでいた伊丹の中野=尼宝線沿線に好事家が保存しているのを教えた。彼は寸法を実測しに行き、その成果も原コレクションの一員になったのであろう。こんな実情を知ったのは、恐らく20年以上後だったか。別段騙されたというわけでもなく、まあお人好しにもホイホイと全資料を、熨斗を付けて呈上させて頂いただけの話だが、やはり何か少しほろ苦い想いも正直消し難い。

こんな個人的なことを今更思い出し、わざわざ記すのは、「或る列車」に関し先日デジアオにアップしたことに重なり、偶々だが、横浜の原鉄道模型博物館での「原信太郎世界の旅展」中に、「いま話題の『或る列車』模型を見てみよう」なるコーナーがあって、展示されていると漏れ聞いたからである。原氏の模型観は独特(模型観だけではないが)で、室内等にはあまりこだわらなかったようだから、職人松本氏も小生の(50年前)資料で十分だったのであろう。ついでながら、東武鉄道がオランダはマドローダムの有名な野外ジオラマ―やはり1番軌間ぐらいの模型鉄道が走りまくっている―の日本版コピーの如き庭園鉄道を展開しているが、その車輌全部が松本一製だそうな。彼は確かOJ軌間だったかで、津軽鉄道DC201のキットも発売したことがあったはず。

 

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