微笑みの国、タイ王国鉄道の旅2016年 Part25 タイ国鉄バンコク市内線(SRT)を撮る①

第16日目 8月17日 その1

今日は今回の旅の最終日です。帰国のフライトは23時ですので撮影には目一杯の時間があります。前回訪問した時はタイ国鉄(SRT)の市内線を撮りました。宿泊しているホテルも前回と同じですので、勝手知ったすぐ下を走るSRTを撮ることにしました。
dsc_8467_100▲ 9:51 ホテル前の路線に走ってきた保線用のモーターカー。写真では隠れているがもう一人乗っておられます。定員4人乗りによくぞ乗ったりの合計12人の作業員です。前回訪問時にはウドンタニの本線上でも走っているのを見ました。乗り心地はよくはないでしょうが一度乗ってみたい車両です。

6:24 宿泊していますバイヨースカイホテルを選択する理由は朝食メニューが豊富な事も1つです。朝食レストランはバンコク市内を 一望できる最上階にあって、ゆっくりと食べられます。
オープン時間に近づきましたので朝食会場のある78階へと上がりました。和洋中+地元タイの朝食の数々をご覧ください。
クリックするとポップアップします。

▲ いかがでしょうか。日本のツアー客にも利用されていますのでみそ汁は勿論、おでん、カレーや温泉卵まであります。何といっても他のホテルにはない新鮮野菜が提供されているのはサラダ好きには嬉しいホテルです。

dsc_8365152dsc_8371100dsc_8372101▲ 6:50 展望レストランからは眼下にスワンナプーム国際空港へ向かうエアポート・レール・リンクSRTが、反対側からはMRTを俯瞰できますので鉄ちゃんには最高のホテルです。
ガラス越しでは嫌だという方には1階下に外に出てのスカイデッキもあります。写真に見えるのはマッカサン駅鉄道工場です。

数本撮ってから部屋に戻って荷作りです。荷物はクロークに預けて今日の撮影開始です。
srt%e3%82%bf%e3%82%a4%e5%9b%bd%e9%89%84%e8%b7%af%e7%b7%9a%e5%9b%b3【 タイ国鉄(SRT) 】
開業は、1897年3月26日にクルンテープ~アユタヤ (71.08㌔) が最初の区間で1,435㎜の標準ゲージで建設されました。
そして東北線北線と路線を延伸してきましたが、次の幹線である南線の建設は1,000㎜ゲージで行われ、以降は1,000㎜ゲージでの統一が行われています。

現在の路線の総延長は4,041㌔と、東南アジアでは最長を誇りますが、APLを除いては非電化で複線区間も少なく近代化が急がれています。

今年8月6日にバンコク~チェンマイの約670㌔を結ぶ新幹線建設が日本方式で導入するように決まりました。順調なら2018年にも建設開始予定で進められています。タイの立場に立って、採算性を考慮したバンコク~ピッサヌローク(約350㌔)を第1次開業区間として開業を目指します。
所要時間は約1時間20分と現在の最短約4時間40分と比較して、大幅なスピードアップとなります。
台湾に続いて2番目に海外で走る新幹線に是非とも乗車してみたいですね。

dsc_8379102▲ 8:25 ホテルを出ればSRTの線路は直ぐです。
早速、パタヤイ(Phayathai)からラーチャプラロップ(Rachaprarop)に向けて日本製のTHN系DC4両編成がノコノコとやってきました。
バーンプルタールアン(Ban Plu Ta Luang)行きの281レのようですがすでに約10分遅れています。ご覧のように複線区間ですが、この間はなぜか左側路線しか使われていません。右側は時折作業車が走る程度です。

dsc_8420110dsc_8431112▲ 8:35 1駅先のマッカサン(Makkasan)で交換した同じくTHN系DC4両編成がパタヤイ(Phayathai)に到着です。一応MRTARLとの乗換駅ですが、ホームはありません。地上に降りるのは辛そうです。後方左側の高架軌道はARLです。将来、延伸も計画されています。右の高層ビルが泊まったバイヨースカイホテルです。

dsc_8434113▲ パタヤイから西方向は2本の路線は左右に分かれてチェンマイノンカイへとつながる北線とT字形に接続しています。デルタ線と同じと思ってください。

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▲ この路線の両側の家屋は不法占拠の住居です。黙認されているのかコイン式洗濯機が所々に設置してあり、商店・食堂もあります。冷たいビールを注文して一服です。

dsc_8435114_100▲ 9:36 北線に入りファランボーンに向かって線路沿いを歩きます。
ファランボーンから向かってきたのは1995年、GE製のGEA形4541号機(1,250HP×2)牽引の特急75レ7両編成、ノンカイ(Nongkhai)行きです。
ノンカイへは走行距離621.1㌔、到着は17:45、所要時間9時間25分の昼間特急ですが、すでに1時間近く遅れています。発車してこれですから終着駅では何時間も遅れるのでしょうね。前回、同じ区間を夜行寝台特急に乗車した時には約3時間遅延しました。行先駅名板を撮った車両は11号車でしたので途中で前に4両が増結されるのでしょうね。

dsc_8446116_100▲ 9:36 反対側から来たTHN系DC4両編成はロッブリー(Lopburi)からの318レ、これも約1時間遅れです。

dsc_8453119▲ 9:37 ノンカイ行きを追うようにやって来た保線用のモーターカー。冒頭で紹介したのは12人も乗っていましたが定員は4人です。続行ですが閉塞区間には問題ないのでしょうか。

dsc_8473124▲ 9:52 英国製のASR型DC3両編成。行先表示板が読めず走行区間が分かりません。英語表示が欲しいですね。

dsc_8481125_100▲ 9:58 東線のプラチンブリ(PrachinBuri)行きの7両編成の普通列車。これもすでに約1時間以上遅れています。

dsc_8503129_100▲ 10:09 1974年アルストム製のALS形4149号機が長大14両編成を牽引してきました。これも行先表示板が読めません。

dsc_8508130_200▲ 10:10 先の列車が停車している間に外側からAHK形4229号機(2400HP)牽引の列車が追い抜きました。プラチンブリ(PrachinBuri)からの372列車ですが約2時間遅れています。

dsc_8512132▲ ファラボーンまでには3線が並行した鉄橋があります。既に生活道路の1部となっていますので住民に付いて渡ります。

dsc_8515133_100▲ 10:14 1983年アルストム製造のALD形4308号機(2400HP)は通勤客車6両編成を牽引してきました。東線チャチューンサオ(Chachoengsao)行きは珍しく、ほぼ定刻の運行でした。

dsc_8522135_100▲ 10:15 すぐに続行する4145号機牽引の8両編成が来ました。特急でも所要時間19時間10分、走行距離1158㌔と、バンコクから最も遠いマレーシアとの国境から1㌔に位置するスンガイコロク(Sungai Kolok)に向かいますがこの時間に発車する列車はありません。夜行で着いた列車の客車区への回送かも・・。

dsc_8529137_100▲ 10:21 THN系DC4両編成、シーサケート(Sisaket)行きの特急71レが定刻でやってきました。走行距離515㌔を8時間35分で走破します。

dsc_8538139dsc_8539140dsc_8540_1142▲ 前回も撮影したポイントですが近くの住民の皆さんが椅子を出してくつろいでおられる場所です。今日は何かお供え物のようなものが置かれています。近くの地蔵?にも綺麗なお花を入れて、食べ物が供えられています。今日はタイにとっては特別な日なのか?
ネットで検索すると、「8月17日は、中元節/ワン・サートチンとなっている。もともと道教に由来する年中行事で、三元の1つ。鬼(死者の魂)を送り迎えする伝統的な節日で、日本の“お盆”もその影響だと考えられている。」がヒットしました。これっぽいですね。

dsc_8542143▲ 1966年GE製造の4043号機(660HP×2)は、ファランボーン構内の入替機として使用されているようです。

dsc_8543144_100▲ 10:25 1993年日立製の4520号機ハジャイ(Hat Yai)から934㌔、所要時間15時間45分をかけて特急234レを牽引して入線してきました。定刻のようです。

dsc_8546146▲ ファランボーン駅の構内です。多くの客車列車が留置されています。

dsc_8548147dsc_8554148▲ 10:50 ファランボーン駅のコンコースです。先日来た時は王妃の誕生日を祝う装飾が設置されていましたが平常に戻されています。

入口近くにあった写真です。かなり退色していますので写しましたが今一をお許しください。

dsc_8558149 dsc_8561150▲ 上が戦後補償で送られてきたD51ですね。下の写真を見ても当時は大型機が多種配属されていたことが分かります。

dsc_8562151dsc_8567152▲ 年代が分かりませんが創設期なのでしょうね。

dsc_8573153▲ バンコクでは1888年9月28日に馬車鉄道が開業、1894年頃に電化されアジアで初めてのトラムが走り出しました。最盛期には3社が営業運転をしていましたが、1968年に廃止されています。かつての写真や動画を見ますとトレーラーを牽引して2連で走行していたトラムもありました。路線はほぼ単線だったようです。

SRT本線の撮影は以上で切り上げてメークロン線ウォンウィエンヤイ駅の様子を見てみたいと再訪することにしました。 Part26へ続く

微笑みの国、タイ王国鉄道の旅2016年 Part25 タイ国鉄バンコク市内線(SRT)を撮る①」への4件のフィードバック

  1. ぶんしゅう様
    いつも詳細な旅日記をありがとうございます。ファランボーン駅のD51の写真ですが、確かに戦後補償で国内各社でDX50型と称して製作されタイに送られたものだと思います。チーク材焚きのため広火室とし、ボイラも太くなっています。三菱三原からは昭和24年に10両(No.131~140)、昭和25年にも10両(No.161~170)が送られています。その後改番されているでしょうから、写真のNo.970がどういう車歴かはわかりませんが、No.950(三菱製)とNo.953(日立製)の2両がロイヤルエンジンとして活躍し、動態保存されたのではなかったかと思います。

    • 西村様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
      そうですか、戦後補償でタイに贈られたのはDX50型と形式名が付いていたのですね。知りませんでしたありがとうございます。タイに行ってそれなりに調べれば現地についてからの番号は分るかもと思いますが、その前にタイ語を勉強するのは難儀ですね。次回は鉄道博物館を探して(ここなら英語表示があるかも)、調べてみたいものです。タイの無煙化は1970年あたりと結構早かったので、DX50たちは短命でしたね。DXのDは動軸数の意味でしょうか、もしそうなら同軸数3の旅客用は別の名前だったのでしょうか?

      • ぶんしゅう様
        DX50は日本国内でそう呼んでいただけで 現地での形式名かどうかまではわかりません。

  2. お世話になっております、いそはちです。ご無沙汰しております。
    英語が書かれていない表示ですが、2種類あり、どちらも行先表示ではありません

    รัฐช่วยดนไทยน้่งรถไฟฟรี 「 (国民は)政府の援助により無料で乗れる」
    http://www.globalnewsasia.com/article.php?id=1465&&country=2&&p=2

    英国製スプリンターに表示されているのは、新線への乗換案内です。
    รับส่งสายสีม่วง 「紫線へ乗り換え」
    บางชี่อ-บางช่อน 「Bang sue – Bang Son」
    チェンマイの祭りを見に、来週タイに行こうかと思っていたのですが、諦めました。

    スプリンターが何だか韓国製バスみたいな顔付きになっちゃいましたね、びっくり。

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