電車になった気動車、気動車になった電車

デジ青2017年1月26日[81165]東海道の電車を楽しむ-その5-を投稿された乙訓の老人さんはコメントの中で豊橋鉄道渥美線について訪問した時期が1962年と1993年で1993年の訪問時には気動車改造のトレーラーは廃車後で寂しい思いをされたとある。「待てよ!その車両撮ったことがあるかもしれない」と探し回ってみたら整理のできていないフィルム箱の中に見つけることができたので報告させていただく。ついでと言っては恐縮であるが気動車→電車、電車→気動車の改造車について私の記録したものも併せて紹介させていただく。ただ撮ったというだけで特に詳しい説明ができないのでその点はご容赦願いたい。

 

①気動車→電車    1978年9月16日 豊橋鉄道高師 ク2402

この車両は元は神中鉄道の発注で1938(昭和13)年に日本車両東京支店で生まれた流線形気動車キハ40形である。ここでややこしいのは神中鉄道というのは現在の相模鉄道(通称そうてつ)のことで神中鉄道と同じ1917(大正6)年創立で茅ヶ崎-橋本間を結ぶ現在のJR相模線の前身相模鉄道(旧)という会社もあった。1943(昭和18)年に神中鉄道は相模鉄道(旧)に吸収合併されたがその後直ぐの1944(昭和19)年に相模鉄道(旧)の相模線は国鉄に買収され、残った神中線部分は東急の傘下に入った。部分的に支援の電化等を経て1947年(昭和22)年に新生相模鉄道として独立し現在は大手15社の一角を担っている。1965年夏に相鉄を始めて見た時は神中鉄道時代の面影が駅舎や木造のラッチ等に残っておりローカルな感じがしたことを覚えている。この神中キハ40形はその後客車化されたり電車化(制御車)されたりした後1956年8月に相鉄から豊鉄に譲渡された。この間改番もなされてきたが最終的には1968年にク2400形のク2402となった。廃車は1982(昭和57)年である。 ▼

この時の主目的は戦前の関西国電の雄モハ52の撮影でクモハ73106東ウラさんと織田・徳川連合軍対武田軍合戦場近くの長篠で泊まりその翌日に豊鉄を訪問した。

②気動車→電車   1972年9月11日名鉄瀬戸線大曽根 ク2221+モ754 堀川行き

この車両は現在の名鉄蒲郡線が非電化の三河鉄道として1936(昭和11)年に開業した時に日本車両で新製したガソリンカーキ80形である。名鉄に吸収合併後キハ250形(251、252)に改番され、付随車化を経て電車化(制御車化)されク2220形(2221、2222)となって瀬戸線で活躍をしていた時のものである。 廃車は1973(相和48)年であるから廃車1年前の姿である。行先の堀川は瀬戸電時代のターミナル駅名で栄町乗り入れに伴い1976(昭和51)年に消滅した。消滅と言えば尾張名古屋は城で持つと言われた名古屋城の外堀をこの瀬戸電が走っていたことと行き違いでも有名な場所があったことを微かに覚えている。どなたか教えていただければ幸いである。▼

 

同じく名鉄瀬戸線尾張旭-三郷間を行く準急尾張瀬戸行きモ755+ク2222  同じ日本車輛製の流線形時代の車両で横から見ると豊鉄ク2400と同系に見えるがどうなのであろうか▼

 

③気動車→電車 日立電鉄モハ13 1973年4月30日 大甕付近を行く鮎川行き

現在のJR相模線の前身相模鉄道(再びややこしい話であるが現在の大手私鉄相鉄ではない)が1935(昭和10)年に汽車会社東京支店で製造したキハ1001~1004の4両のうちの1両で相鉄発足時の1943(昭和18)年に電車化されて神中線(現在の相鉄線)へ転じ、1948(昭和23)年には4両共日立電鉄に譲渡されモハ13形(モハ13~16)となった。正面などが改装されて元気動車の印象は薄らいでいる。営団(現在の東京メトロ)の車両に追われ1997年までに廃車された。日立電鉄は1927(昭和2)年常北電気鉄道として出発したが2005年に鉄道事業を終了している。 ▼

 

④電車→気動車 小湊鉄道 キハ5800形 5801 1970年3月五井

今度は逆に気動車になった元電車でこのジャンルに滅法強い方に連れられて行ったような記憶がある。従って既に同じ写真がデジ青に発表されたと思うが撮影者が変わったということでこれまたご容赦願いたい。

元は鉄道院が1914(大正13)年に製造したデハニ6465で荷電に改造後1936(昭和11)年に三信電鉄(現在のJR飯田線の一部)に譲渡されデ302となり鋼体化された。電装解除、片運転台化を経て1953(昭和28)年にクハ5800となり、1956(昭和31)年に国鉄から小湊鉄道に譲渡されディーゼルエンジンを取り付けてクハからキハ化された。番号はそのまま踏襲されたが最終的にはキハ5801となり1978(昭和53)年に廃車されている。初印象は電車そのものに見えた。現在もキハ5800形は五井に蒸機などと共に保存されているとのこと。▼

⑤電車→気動車 小湊鉄道6100形 6100 1970年3月五井

青梅電気鉄道が1926(大正15)年日本車輛東京支店で製造した元青梅モハ102(当初デハ)で、国鉄青梅線となった後に電装解除の上制御車へ改造され、さらに実質サハニとして使用されてきた。国鉄から小湊鉄道に払い下げを受けて1956(昭和31)年に気動車化された。横から見ると青梅の特徴が色濃く残っている。▼

 

⑥電車→気動車 関東鉄道常総線小絹-水海道間下館行きキクハ4+キハ754

小田急電鉄クハ1650形1651~1654は廃車後関東鉄道へ譲渡されてキクハ1~4に改造され、同じく小田急電鉄で国鉄御殿場線乗り入れに使われていたキハ5000形のキハ751形(751、752)、キハ5100形のキハ753形(753、754)と組んで常総線で使われていた。キクハ4は1984(昭和59)年に廃車されている。顔、スタイルは電車時代と大差なくキハへの改造よりも簡単であったのではないかと推察される。参考までにキハ751形、キハ753形は扉の増設とロングシート化が行われている。後方2両目のキハ754は1987(昭和62)年に廃車されている。このほかに小田急電鉄クハ1650形を使用したキサハ65(65~67)が存在したが1983(昭和58)年に廃車されている。▼

電車の気動車化の例は少ない様である。南武鉄道のクハ210形が筑波線に行き最終的にキハ40084、キハ40085になり、1972年に廃車されている。この車両にについては撮影したのかしていないのか定かではない。気動車の電車化はある程度その例があるのかもしれない。何しろ滅法弱いこのジャンルに一人の力ではどうしようもない。お粗末様でした。そうそう国鉄鋼体化客車→気動車の例もありました。

 

電車になった気動車、気動車になった電車」への2件のフィードバック

  1. 準特急さん、豊橋の古い話に応じて下さり有難う。老人は昭和37年春に東レ岡崎工場建設工事で製品納入確認で出張した際、業務終了後に豊橋に行きました。車庫にはいろんな車両が留置されておりビックリでした。その時のメモ、フィルムは三八豪雪の時の工場火災で焼失してしまい何も残っていません。1987年「テッチャン復活」となり、若いころ訪問した地方鉄道めぐりを再開、豊橋鉄道には31年ぶりに到達できました。車庫に訪れたときはとても丁寧に対応して頂き感激しております。その後も3度立ち寄らせていただき、近況を聞かせていただいておりますが、このところ変化がないことに加え手術したこともあり、豊橋駅周辺でうろつくだけとなりました。
    また年寄らしい症状がでておりますので遠出をやめました。雑誌もピク誌のみ購入しておりますが、写真パラパラで終わってしまいます。皆さんのホットニュースを楽しんでおります。

  2. 乙訓の老人様
    早朝のコメントが来ないのでさらしものにするのも恥ずかしいし削除も考えました。私のような何でも屋は底が浅いのでこういった複雑な経緯を持つ車両をいちいち調べるのは難儀します。ただ歳をくっている分いろいろな車両の新旧も対比できるようになりまして、例えば今回の関鉄常総線のキクハ4や元の5000,5100も小田急時代の記録はあります。関東系は皆さん興味をお持ちでないので遠慮はしていますが、老人さんのようにいつも思い出を含めてコメントをいただくとまた出そうかと言う気分になります。有難うございました。

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