阪急96、97

関センセお書きの通り、阪急96、97は半鋼製ボギー客車加越鉄道ナハフ101、102の改造である。加越鉄道は1929年に日車から購入し、設計認可は1929年9月20日、竣功届11月24日。定員104人、内座席72人、自重24.32噸。シルや側板裾のリベットがいささか古めかしい。

加越鉄道ナハフ101日車竣功写真 台車はTR11を短軸にしたもの

ところが不景気の最中で、加越鉄道も他社に倣い1931年ガソリンカーを採用。しかも翌年にはディーゼルカーを、先ずは江若キハ7、8と同型(ステップ構造違い、座席がロング)車を購入して使いこなし、1937年には120人乗り大型車2輌を追加。このため折角の客車も出番がなくなって、加越鉄道は小島栄次郎工業所に売却を依頼した。この時点非電化鉄道ではガソリンカーなら買うが、いくら出物でも客車はいらんというところばかり。しかしそこが小島栄次郎の才覚で、彼はこれを「電車に改造できまっせ、安おまっせ」(彼は和歌山出身だが東京暮らしが長く、関西弁は使わなかっただろうが)と、電鉄に売り込んだのである。手を上げたのが大手の阪急=阪神急行電鉄で、1940年8月購入。甲種輸送で到着した福知山線池田で標準軌間仮台車に履き替え、能勢電気軌道線を経て西宮北口に搬入。

西宮北口で改造を待つナハフ2輌 井上幸雄撮影

改造は両端デッキを密閉して中妻を撤去。サイドに2か所扉を穿ったが、元来が3個セットの窓配置だったから、扉間に2か所=元の吹寄せだった箇所に狭い窓が出現した。それ以外には客車からの改造を示す痕跡は皆無で、中々の出来といえる。

改造中の102→97 久保田正一撮影 この時点では仮台車である

車内を全部撤去しての改造中 撮影者不詳

この改造は阪急西宮工場直営とされ、恐らく阪急関係者もそう信じているはず。確証はないが、実態は加藤車輌製作所の出張工事だった可能性がありそうに思えるのだが。出張工事では現実に施工した業者の名前が出ることは珍しいのである。


目出度く竣功した96 井上幸雄撮影 扉間の狭い窓2か所が旧吹寄せの名残り 台車はオリジナルのTR11タイプを標準軌間化して電装 自連高が低いのは阪急特有

竣功は1940年12月、今津線でMM、M単行、神戸線で900に挟まれTc代用もあったとは、関センセもお書きである。その後片運化、広幅幌装着で2輌固定編成となり伊丹線へ。伊丹駅高架化以前の伊丹線は全くの平坦・一直線で、夜には塚口から伊丹までの全信号機が見えた。勿体ない?からと、片側車輌のモーターを外しM+Tcになっていたと記憶するのだが。通勤では朝夕超満員で難儀したが、1500V昇圧前に姿を消した。

阪急96、97」への1件のフィードバック

  1. 湯口先輩様、
    いつもありがとうございます。
    ドアは私の見間違いで、両開きと見えたのはドアの窓ガラスが二枚に別れていたからでした。
    それにしても昭和4年に竣工した車両を昭和15年に購入したとは中古車もいいとこです。写真を見てもボロボロなのはそんなことが原因ですね。大阪急がこんなババつかみをしたのに驚きました。

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