凍える大地への旅 2016年 Part 2 天津から北京へ

第2日目 12月10日

昨夜は深夜を過ぎても宴は盛り上がりました。今日のツアー集合は 20:30~21:30の間に北京空港の第3ターミナル国際線到着出口で、十分な時間がありますので今朝は遅い目覚めとしました。
▲ 11:00 宿泊しました168ホテル近くの海河沿いの広場では大太鼓を持ってこられて演奏の準備が行われていました。和太鼓とは違って胴が短いタイプです。
しばらくすると付近には太鼓の音がなり響きました。

荷物を預けて夕刻までかつて暮らした街の変貌ぶりを見ながら散歩です。

▲ すぐ近くに1927年に建設された、長さ97.64mの開放橋があります。現在は固定されていますが、船の両端部はアーチ橋となっていて、船が通過するときには中央部が上方に開く可動橋(跳開橋)構造となっていました。当時は万国橋と呼ばれていました。天津駅からこちら側のフランス租界とを結ぶ橋で路面電車が運行されていました。
たもとで釣り人がおられましたがこの海河はどす黒く濁っていて綺麗な河ではありません。果たして魚なんかいるのでしょうか? 信じられないでしょうが、夏には泳ぐ人がおられます。小舟がきましたが漁船ではありません。

▲ フランス租界時代の建築物ですが地下は昨日紹介した地下鉄駅です。
河をくぐる地下鉄です。建設には苦労があったろうと思われます。

▲ 地下鉄に乗っての選択もありましたが良い天気です。開放橋を渡って歩いて行くことにしました。橋の中央部は舗装された自動車道路となっていますが両サイドは木製の歩行者道路になっています。

▲ 2012年に地下・橋上駅としてリニューアル完成なった天津駅です。大改造中は駅機能を東方向の臨時駅に移して長期間閉鎖されていました。ようやく完成して地下には地下鉄2・3・9号線の3本が、地上には中国初めての新幹線、北京への京津高速鉄道が新たに入り、地上駅から橋上駅になりました。
正面が改札口ですぐにエスカレータで2階コンコースへと上がります。きっぷ売り場は正面の左側、右側は駅事務室として使用されています。駅前広場は改造前は広い道路が、ちょうど手間に歩いている方々の位置に右から左へとあって正面前はタクシー乗り場と駐車場になっていましたが、地下に移されて海河までの広い空間は大きな公園となって生まれ変わりまっした。出入り口も裏駅にも設置されました。
▲ 11:45 天津駅の左側のビル食堂にての遅い朝食です。日本で言えば「肉まん」ですが、こちらでは包子(バォズ)です。1990年代の頃は自転車の後に連結したベニア1枚分を広げたリヤカー屋台で作って売っているのを街中でよく見かけました。他にも定番のお粥や名物のできたばかりの絹ごし豆腐をすくってのあんかけ豆腐(豆腐脑)など、朝食は屋台で食べるのが殆どでしたが、ある日に当局から不衛生と営業禁止の沙汰だ出て消えていってしまいました。共産党一党独裁の政策の一端を見ました。以降は街中に小さな食堂が増え、駐在中はよく朝の散歩がてらに持ち帰りの朝飯を買いに出ました。

▲ 13:04 一旦ホテルに戻ってチェックアウト、荷物をフロントに預けて夕方まで街角散歩に出ました。
天津駅正面の改札口前はご覧の通りの所帯道具、日用品のバケツや洗面器まで持って乗車されるいつもの光景がありました。かつての満州、東北方面への列車が多い天津ですので庶民は長距離の普通列車に乗られて向かわれます。

▲ 地下鉄乗り場は裏駅B1コンコースの下にありますので、通り抜け地下道を通って行きます。丁度、列車が着いたようで大勢の乗客が上がってこられました。広いコンコースの下には3本の地下鉄路線が交差しています。

▲ 14:01 天津駅から3駅目の営口道駅で降りて地上に出ます。ここは天津の銀座と呼ばれる繁華街、濱江通です。歩行者専用道路の両側は百貨店や商店が並びます。

▲ 以前にはなかったのですが中国各地の名物、珍味を屋台形式で売っています。

▲ 14:27 お洒落なかつてのフランス疎開地の濱江通を歩いて出た大通りはかつて路面電車が走行していた和平路です。角の天津勧業場は1928年に建てられたもので、中国十大商場のひとつに数えられる百貨店でした。通りの向こうに見える高層ビル方向には日本人疎開地がありました。
かつては旭街と言われ、走行するは69号路面電車。後方にそびえ立つのは、日本租界のランドマークとなるゴシック尖塔を持つデパート中原公司です。

▲ 歩行者専用道路となった和平路には路面電車に替わって、観光用の電気自動車バスが走っています。

▲ 15:11 地下鉄の営口道駅に引き返して伊勢丹をのぞいてみましたら以前にはなかった丸亀製麺が出店していました。小腹が空いたのでこちらでのうどんを賞味してみました。

▲ 16:20 ホテルに荷物を取りに行ってから天津站に向かいました。自動きっぷ販売機もあるのですが乗車記名制となってからは中国人のみのが持つパスポートを見せての購入を強いられますので外国人には利用できません
京津高速鉄道専用きっぷ窓口は、がら透きですぐに購入できました。
大きな人身事故の後、この高速鉄道の最高速度は350km/hから300km/h以下となっています。今日は290km/hが最高で抑えられていました。

▲ 17:25 北京南站に到着です。中国各大都市と北京を結ぶ高速鉄道がどんどんと開業しております。北京での始発駅として南站の乗降者は来るたびに増加しているように見えます。

▲ 南站から北京空港へは地下鉄に乗って向かいます。初めて北京を訪問した10数年前は、2路線2路線総延長42.6kmだった北京地鉄ですが、現在は世界一の19路線574㌔にまでになりました。路線延伸工事はまだまだ続いていて2021年までには計27路線、総延長約998.5㌔になるそうです。以前は来るたびに新しく開業した路線を乗車していましたが延伸のペースに追いつけなくなりました。

▲ 18:52 4号線、10号線と乗り換えて最後は空港線リニアで北京空港着です。集合時間には十分ありますので、空いている出発ロビーの待合所でネットを見ながら待つことにしました。

▲ 日本各地から到着された皆さんと無事お会いできました。空港近くのホテルでチェックイン後は隣の食堂で久しぶりの本場の中華料理を食しました。
一番人気は左の炒土豆絲(ジャガイモの千切り炒め)です。安くて旨いのに日本では中々提供してくれる店がありません。安い割には手間がかかるからなのでしょうね。
▲ 殆どは何度もご一緒させていただいております、集合した今回のメンバーです。

三道嶺ツアーは続いて年末に向かわれる第2陣と年初めに出発する第3陣がおられます。まずは第1弾としての私たちの撮影成功を願っての乾杯でした。 Part3へ続く

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