【82836】富山の架線修理車

「82801」 さんの投稿の中で京都の架線修理車の写真を見て、最近どこかで似たような車を見かけたなと思い探してみました。2015年7月8日 富山地方鉄道軌道線の南富山車庫の横に止まっていた 架線修理車と思われる車両の写真です。色は京都の様ですが 京都市電が廃止されてもう何年経ったことでしょうか?その当時の車両が残っているとも思われず?はてと困っています。どなたかご教示ください。



以上よろしくお願いします。

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富山の架線修理車” への5件のコメント

  1. INUBUSEさま
    速攻のスクープ写真、拝見しました。まさしく京都市カラーですね。前面の緑帯のv字までも、ご丁寧に腹掛けスタイルなのには笑ってしまいました。88ナンバーですから、かなり古そうですが、まさか京都から転属したのではないでしょうね。

  2. INUBUSE様、総本家様
    これはどう見ても京都市交の生き残りでしょう。緑の濃淡、2本の波打つラインは京都のにおいがプンプンします。総本家さんの写真にあるボンネット型の大型架線修理車がISUZUの車体、この富山のものもISUZU製です。ISUZUはこのような特装車も得意にしていたのかもしれませんね。点検台の伸縮は今なら油圧でしょうが、昔はエンジンからの動力を利用した機械的なメカだったとしたら合点がゆきます。地鉄さんに もしこの点検車を廃車にするなら京都市に文化財扱いで返してあげて下さいと言いたくなりますね。すごいスクープでした。

  3. 皆さま仰るようにどう見ても京都市交通局色ですね。総本家特派員さまが82801で投稿された車両とは明らかに年式が違い新しいようです。INUBUSEさま撮影の車が廃止当時に在籍していてそれを富山地鉄が購入したことも考えられなくはありませんが、市電廃止から40年近く経ちその当時の車が残っているとも思えず、京都から購入した塗色を気に入り?代々受け継いできたと考えるのが順当ではないかと思料します。余談ながら地鉄色の車を想像しようとしましたがイメージできませんでした。
    総本家さまが廃止直前にはよく出動していたとコメントされていますが、それを裏付けるような出来事をクラブ(あえて学校とはいわない!)からの帰途、プルプルさんと一緒に堀川今出川で見かけたことがありました。ご存知かと思いますが、同交差点は昔の堀川の流路の関係からか中央部がやや低くなっていて、今出川線の電車は横断時に少し下がってまた上がるような形になっていました。当然架線もそのように張られていたはずなのですが、その時は何かの理由で中央部の架線高さが少々高くなっていたのでした。季節による温度変化で張力が変化していた可能性が大ですが、いつの季節だったかの記憶ももうなく原因・理由は不明です。暫く見ていると大半の電車はビューゲルがほぼ直立に近い位の通電状態で通り過ぎて行きましたが、600型だったか800型だったかに1両だけ条件の悪い(多客のために車高が下がっていた、或いはタイヤが擦り減っていた?)電車があり、ついにビューゲルが直立して僅かながら離線状態になり、短時間でしたがパパッパッと大きなスパークが飛んだのを目撃しました。
    プルプルさんと、数両に1両くらいだがこういう状態が長く続くと架線断線の危険もあるよな、と話していたものです。そこでどうして知ったか(多分近くの電話BOXで電話帳を調べたのだと思いますが)記憶はありませんが、プルプルさんが交通局に電話して、その状況を伝えたことを憶えています。小生はどういう処置がなされるのか暫く見ていようと提案したのですが、プルプルさんが第一発見者が疑われるというので直ぐにその場を立ち去りました。その後どうなったかですが、翌日通学時に電車から見た限りではいくらか低くなっていたように見受けられ、以降の通過時は通電状態で通過していたことをご報告して架線ハプニングの話を終わります。

  4.  京都色の架線修理車は見かけたときには驚きました。京都市電が廃止されたのが昭和53年9月ですので今年9月で39年になります。まさかその当時の車両が残っているとも思えず また製造銘板を確認することもできませんでしたのでそのままになっていました。総本家特派員さまの投稿で思い出した次第です。本日 富山地方鉄道の本社に問い合わせたところ 昭和57年初年度登録の車を昭和63年に購入したそうで 今なお現役で保守作業に使われているそうです。購入以来塗装変更はしていないとのことでした。それにしても35年経過して現役とは立派ですね。なぜこの色なのか不思議です。

    • INUBUSE様
      昭和57年初年度登録であれば京都生まれではないですね。それにしてもどういういきさつであの塗色になったのか本当に不思議です。

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