三重・岐阜の旅(4)

塩浜からバスであすなろう鉄道泊駅に向かう途中 予定していなかった南四日市駅での山九DB20との出会いに気を良くして泊駅まで歩き、あすなろう鉄道全線に乗車しました。今年4月に下津井で保存中のナロー電車に乗り込んでいたとは言え、現役のナロー電車は久しぶりの乗車体験で興奮しました。各車両とも更新工事が施され、車内のフロアスペースを犠牲にしてエアコンを設置したり、紫外線カットガラス?にするなどサービス向上への取組みの跡が見られました。きれいな車体とは不似合いな吊掛けの何とも言えないモーター音を堪能しました。あすなろう鉄道にも満足し、近鉄富田へ向かいました。三岐鉄道に乗り換えて、まず車庫のある保々で下車。短時間ながら、車庫周辺を歩いて 居並ぶ電機を撮影しました。セメント列車が運休期間中なので、多くの電機が休んでいました。

ここで珍しいものを見つけました。

ATS?装備の自動車

自動車の世界では自動運転が話題になっていますが、三重県にはATSを付けたクルマがあるとは驚きでした。後部には「弱冷房車」の標記もありましたので、省エネも進んでいるようです。三岐社員のユーモアに脱帽です。

さて次は終点西藤原に向かいます。西藤原での折り返し時間が9分しかないので、急いで3両の保存車両を撮影します。最初は102号機です。この機関車には昭和48年7月に大阪セメント伊吹工場で会って以来43年ぶりの再会です。

102号機 昭和48年7月 大阪セメント伊吹工場にて

平成29年5月12日 三岐鉄道西藤原駅にて  102号機とED222

この102号機は もともと三岐鉄道発注の昭和6年7月汽車会社製機関車で、昭和29年2月に大阪セメント伊吹に移ったのですが、最後は生まれ故郷に戻って保存されています。プラットホームからは運転室内も良く見えて、なかなか良く手入れされていました。伊吹では角型のナンバープレートでしたが、今は丸形になっています。どちらが本来の姿なのでしょう?

ED222は省略して、もう1両小型ディーゼル機関車がいます。

三岐運輸 無番 25Ton機

この機関車は1971年日立製です。

あわただしく折り返しの電車に乗って丹生川駅へ戻ります。ここには貨物鉄道博物館があって 休館日でしたが屋外展示車両は自由に見学できるのでゆっくりと撮影して回りました。現在 機関車、貨車16両が保存展示されています。基本的には寄付金やボランティア活動で運営されていると聞いていますが、その熱意に感心させられました。ここにも小型DLがいますので、それだけをご紹介します。

貨物鉄道博物館 DB101

この機関車は東海道線用宗駅の巴川製紙への引込線で入換えに従事していた昭和32年協三工業製の10Ton機です。塗装のやりかえ中なのでしょう。下塗りの錆止め塗色でした。他にもボランティアの手で少しずつ塗り直されている途中のタンク車もありました。

丹生川駅からひと駅戻って伊勢治田(はった)駅に向かいます。ここからは いなべ市の福祉バスで北勢線の阿下喜駅へ向かいます。歩いても2Km程度ですが、このバスのお世話になることにしました。

阿下喜駅前にて いなべ市福祉バス

直線距離では2Km弱ですが、くねくねと集落を回って行くのに加えて かなり高齢のボランティアドライバーさんの超慎重運転のため約20分かかって阿下喜駅前に着きました。いなべ市民が無料なのはわかりますが部外者も無料なのは申し訳ない気がします。しかし良く見るとこのハイエースは白ナンバーです。運賃をとれないわけです。最近では中山間地に旅する際には この種の福祉バス、コミュニティーバスの時刻を調べるのが必須となりました。曜日ごとの経路設定や土日運休があり、バス停の場所がわかりにくいなど調べるのに苦労しますが、高齢鉄道ファンにも有難い存在です。いなべ市さんありがとうございました。

北勢線阿下喜駅のモニ226とク172

阿下喜駅にはモニ226が非常にきれいな状態で保存されていました。三重交通時代に一度だけ訪ねてきて以来で 阿下喜から西桑名までまたナロー電車の旅を満喫しました。三岐線全線と北勢線全線を乗りましたので、三岐乗り放題パス1100円は大変重宝でした。

桑名から大垣までの養老鉄道には初乗りです。かつては電機もいて貨物輸送もあった歴史ある路線で 沿線には古い木造駅舎や貨物ホーム跡やレンガ積みホームも見られて風情のある路線だと感じました。大垣に着いた頃には雨が降り始めていました。翌日は西濃鉄道に向かいます。

西濃鉄道の乙女坂からDE10牽くホキ列車が美濃赤坂着8:33でやって来る筈なので それに間に合うように大垣発8:03の電車に乗りました。通勤通学の流れと逆行なのでクモハ313+クハ313の2両の乗客は私一人でした。雨がひどく とても走行写真は撮れそうにないので、リュックは駅のベンチに置いてカメラだけを持って機関区に向かうことにしました。乙女坂からホキを牽いたDE10が到着し、待機していたEF64にバトンタッチし、DE10は西濃鉄道の機関庫に入りました。機関庫の前で傘をさしてDE10を撮っていると 庫内から声がしました。どうやら無断で入って来たことをとがめられているようです。近づいて無断侵入をお詫びし、改めて撮影させてほしいとお願いしました。その際に「実は私はおたくのDD40のメーカーで働いていた者なのです」と付け加えたところ、「えっ、三菱三原の方ですか?」と態度が急変し こちらが驚きました。そして庫内に招き入れてもらって あれこれと話をし、撮影させてもらいました。

西濃鉄道美濃赤坂機関区にて 左 DD402,右 DD403 いずれも三菱三原製

その方は機関区長さんでした。私が三菱三原にいたと言ったので 車両関係の仕事をしていたと思い込まれたようで、あれこれと専門的な話になってドギマギしました。現在DE10501とDD402、DD403の3両を3人で守っておられるそうです。DD402は昭和44年生まれの48歳、DD403は昭和47年生まれの45歳と相当な高齢車で パーツの入手に苦労しているとのことでした。また官公庁への届け出のために図面や技術資料がないかと三原に電話しても 「当時の技術者がおらず、資料類も全く残っていません」とにべもなく、重工本社にもかけあったがどうにもならなかったと こぼしておられました。DD402はすでにバスのエンジンに換装済だそうです。DD403は丁度エンジンを下してオーバーホール中で、台車も仮台車、連結器も外されていました。古い車両を維持管理してゆくご苦労を思い知らされました。トヨタ自動車の鋼板を作るための製鉄原材料輸送が西濃鉄道の使命なので、乙女坂からの貨物輸送は続く見込みのため、何とかこの3両を元気な状態で維持しなければならないとおっしゃっていました。メーカー関係者としては何もお力になれそうになく、丁重にお礼を言って雨の中を赤坂駅に戻りました。機関庫の中には蒸機時代のものと思える古い掲示物、標記などが散見され、四日市の可動橋と併せて 西濃鉄道は是非再訪したいと思いました。

大垣からは関ケ原を越えて米原へ。米原からは近江鉄道で高宮、多賀へと向かいました。多賀線はかつてDRFCメンバーとED14牽くセメント列車を撮りに来た思い出の場所です。かつては高宮駅を出ると田園風景が広がっていましたが、今では工場や住宅が立ち並び 「スクリーン」なる駅も新設されています。この「スクリーン」という駅名ですが、地元の人には「スクリーン」が「大日本スクリーン」という会社名であることは判っているでしょうが、外来者には異様な感じを受けます。近江鉄道にはもひとつ「京セラ前」という企業名の駅がありますが、こちらはまだ「京セラ」という会社名の知名度が高いので良いとしても、「大日本スクリーン前」ならまだしも「スクリーン」という駅名は頂けません。さて老人の戯言はほどほどにして、折り返しの時間を利用して多賀駅前を歩いてみました。駅前に多賀大社の大鳥居が立っています。

多賀大社の大鳥居から多賀駅を望む

この大鳥居は昭和13年9月 小西久兵衛夫婦の寄進と彫られています。大阪道修町の豪商 小西久兵衛さんは儲けを神社仏閣に寄進するにあたり 現金で寄進すると何に使われるか判らないとすべて現物で奉納されたことで有名です。前年昭和12年には江若鉄道 白鬚神社の水中鳥居も寄進されています。多賀と白鬚との小西つながりにひとり苦笑しながら彦根に戻りました。途中の高宮駅には西武から来た3000型 3007と3009の6両編成2本が留置されていました。すでに2年ほど留置されたままのようですが、物持ちの良い近江鉄道です。彦根車庫に大量に留置されているED14、ED31や電車たちをしっかり撮影して帰途につきました。伊勢から名松線、塩浜、あすなろう、三岐、北勢、養老、西濃、近江と駆け足欲張り旅でしたが、多くの発見や出会いがありました。今回は下見ということにして 今度はじっくりと回りたいものです。

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