北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part2 札幌から稚内へ撮り鉄旅

今日はメンバー5名でレンタカーを借りて札幌から稚内まで宗谷本線を撮りながら向かいます。運転手はいつも安全運転のクモハ7310東ウラさんですが、今日は特急宗谷がノースレインボーエクスプレス183系へと運用が替わったのを朝ネットで見られました。特急宗谷の札幌発は7:30で、我々と一緒の出発です。札幌市内・市街地までは一般道を走りますので追いつくことは無理ですが高速道路に入れば、途中駅で停車する特急宗谷を無停車の我々が追い越せるかも・・。これを撮りたいと高速道路を目一杯の安全速度で走って、特急宗谷と競争です。

第2日目 7月10日

▲ 6:27 R&Bホテルの無料朝食はパンと飲み物だけの簡素なものです。朝から重いのは年寄りには不要ですがスーパーホテルのような美味しい朝食が欲しいところです。

▲ 今日の天気の確認です。雷に注意ですが日中の雨の心配はなさそうです。
▲ 7:28 ホテルから歩いて約15分、日本レンタカーに着いて手続き完了、出発です。
約20分、一般道を走り、札幌JCTから道央自動車道に乗って、まずは旭川を目指しました。

9時頃、旭川付近で先行していた特急宗谷に追いつき抜きました。これで撮影地は和寒付近に決定しました。

[googlemap lat=”44.036735357112605″ lng=”142.40919378586113″ align=”left” width=”550px” height=”350px” zoom=”14″ type=”G_HYBRID_MAP”]44.036735,142.409194[/googlemap]

▲ 9:38 撮影地① 和寒~東六線 Google座標;44.036645, 142.409197
9:25、モハ7310東ウラさんご推薦の名寄国道R40が宗谷本線と立体交差する道路橋に到着。特急宗谷は3分後に和寒発車なのですが中々来ません。約10分延で発車してきました。期待通りのノースレインボーエクスプレス183系です。乗って見たい車両です。

今日の本命は撮れましたので、後は宗谷本線と並行する名寄国道をR40を北上、時刻表とにらめっこしながら撮影地をその都度相談しながら決めていきました。

▲ 9:59 撮影地 和寒~東六線  Google座標;44.045466, 142.407712
稚内発旭川行きの特急サロベツ2号です。撮影地①で撮った後、少し北上した北海道らしい光景の中で撮りました。

▲ 10:40 撮影地② 北剣淵~士別  Google座標;44.156935, 142.387001
快速なよろ4号 
3322D 士別手前の剣淵川鉄橋で撮れるかもと皆さん初めての撮影地を探してみました。橋梁は3両分程度はあってそこそこ長いのですが、途中の木々が邪魔をしています。1両だから撮れる場所です。

▲ 11:07 次に参りましたのは風連駅です。自由通路連絡橋が設置された駅ですので上から入線光景が撮れるかと行ってみましたが、上下2面ホーム間の跨線橋もあって被ってしまい上からは撮れません。かつては木造駅舎でしたが1989年(平成元年)に改築されています。

▲ 11:09 入線して来たのは名寄発旭川行きの普通324D、キハ40-730です。ホームや線路両側に咲く白い花が印象的でした。

風連駅は、1986年(昭和61年)11月1日から無人駅となっています。324Dでは乗降客はありませんでしたが、快速も停車しますのでそこそこ利用客はあるようです。待合室も椅子がたくさん設置されていました。時刻表を見てみると列車交換もあるようです。
「快得?きっぷ」なるJR北海道独自の日本語作成のお得なきっぷを販売しているとペラペラ紙で
広告が掲出されていました。風連駅は無人駅ですので名寄駅にわざわざ行かないと買えません。折角のお得なきっぷです、車内では売れないのでしょうかね。

名寄は通過、東風連手前からは高速仕様のバイパス名寄美深道路に乗って美深までショートカット、美深からは再び国道R40に乗り換えて北上します。

▲ 12:11 昼食には12月に食べ損ねた音威子府のくろそばを食べたいと参りましたが、今回は臨時休業です。他にも食べに来られた方がおられましたが残念がっておられました。それではどこかに同じそばを出すそば屋はないかと道の駅や周辺の食堂を探しましたがありません。

仕方なくこの先は稚内までコンビニはここしかないとクモハ73106東ウラさんが言われますのでコンビニでおにぎりやサンドイッチを買い込みました。

音威子府駅の駅舎内には1989年(平成元年)5月1日に廃止された天北線の資料室が併設されています。音威子府から稚内まで開通したのは日本海側の今の宗谷本線ではなくオポーツク側の天北線が最初でした。当時は機関区もある分岐駅で、交通の要衝として栄えましたが、1989年(平成元年)5月1日に天北線が廃線となり一気に寂れていきました。
1990年(平成2年)5月1日にはバスも発着する交通ターミナルとして駅舎も改築されています。学生時代に下車したことはありませんが天北線には2回乗車しました。

▲ 13:11 撮影地③ 筬島~音威子府 Google座標;44.732933, 142.252807
天塩川支流に架かる鉄橋で稚内発名寄行きの普通4326D、キハ54-527を待ちました。かつての天北線が分岐していたのは撮っています後方辺りです。
▲ 14:17 撮影地④ 問寒別~糠南 Google座標;44.917711, 142.016514
問寒別川に架かる鉄橋を渡って行くノースレインボーエクスプレス183系です。
本当は昨年12月に渡った天塩川沿いに架かる錦川橋梁で撮りたかったのですが、先に行っていただいたクモハ73106東ウラさんから一帯はクマザサで覆われて足場が見つけられない。安全に撮影は不可能と報告を受けて諦めました。

写真は私のNikonD800Eがシャッターロックを起こして撮れませんでしたので、千住のヤスベイさん提供に替えさせていただきます。

▲ 15:12 撮影地⑤ 駅を見たいと豊富駅に到着。右側には名物の豊富牛乳から作ったアイスクリームを販売しています観光案内所が隣接されていました。

▲ 駅前に展示されていたのは、オエ6167
「1923年(大正12年)に木造17m車両 ナハ34631として鉢鐵工所にて製造 ⇒昭和3年にナハ22795へ改番⇒昭和29年1月に鋼体20m車両の荷物車へ、日本車両にて改造 マニ6021へ改番⇒電気暖房を追加 マニ602021へ改番⇒昭和53年に救援車へ国鉄旭川車セにて改造 オエ6167へ改番⇒北見から稚内へ配置転換⇒1990年(平成2年)6月7日廃車⇒豊富町の土木会社社長が買取、駅前に展示」と、複雑な経歴を持ちます。

▲ かつてはC55型機が牽引する長編成客車列車の急行宗谷が発着したホーム。駅舎側の北寄りには日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道のヤードもありましたが何も痕跡はありませんでした。

▲ 豊富温泉の玄関口として1966年(昭和41年)に改築された駅舎。喫茶店もある広い待合室です。

▲ 16:03 豊富から抜海へとすれ違う車も走ってはこないR40を走ります。北の果てに向かっているといった寂しさが見て感じ取れます。

南稚内手前で特急サロベツ1号を撮る予定でしたが、時間に余裕が出来ましたので先に稚内副港市場内に復元された稚内港驛の見学に行くことにしました。
場所はこちらです。
▲ 実際の稚内港驛の写真ですが、こちらをモチーフにされています。

▲ 最初にできた稚内港駅と北ドーム完成後にできた稚内桟橋駅です。

▲ よく分からなかった稚内桟橋駅の見取り図です。待合室は1・2等用や婦人専用もあったのですね。食堂は小さなスペースですのでうどんとか簡単なものが提供されていたのでしょうか。メニューが知りたいところです。

▲ 稚泊鉄道連絡船については、「凍える大地への旅2016年 Part20 青春18きっぷの旅 稚内、北防波堤ドーム、稚泊鉄道連絡船」に記載しておりますので詳しくはこちらをご覧ください。

▲ 17:34 撮影地⑥ 抜海~南稚内 Google座標;5.386454, 141.691572
約15分遅れで特急サロベツ1号が通過していきました。
【DATA】Nikon D800E  28~300ズーム f3.5-5.6 90㎜ 1/500 F5.3 ISO5600 -0.3段

▲ 17:52 稚内で折り返しの札幌行きの特急宗谷となって出発していきました。

 

 

▲ 17:55 ドームに行ったことがない方もおられました。最近は濃霧が続いていましたので明日乗船する船が戻っているかも心配です。港とドームに行くことになりました。前回撮っていなかった記念碑です。C5549は静態保存されていましたが潮風にさらされてはやはり難しく解体処分され銘板と動輪が残るのみです。

▲ 18:46 今夜の泊りは稚内にいながらホテルサハリンです。食事で注文したのは稚内名物のタコしゃぶです。明日からのサハリン上陸を期待しての話で盛り上がりました。 Part3へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください