夏の思い出 2017-2  江若の水泳列車を撮る

前掲の朗読劇へ行くため湖西線の電車に乗ると、目は自然と窓外の江若の跡地を見ていました。廃止されて48年目の夏、思い出すのは水泳列車を撮りに行った時のことに行き着きます。撮影地は、決まって京阪石坂線南滋賀駅から湖岸へ5分ほど歩いた、江若の滋賀駅の南側でした。日影の全くない、カンカン照りのなか、田んぼのど真ん中で数時間、通過する水泳列車を写したものでした。自宅から1時間少々で行けるところで、水泳列車は、この場所以外では撮ったことがなく、私にとっては定番の撮影地でした。またまたの江若ネタですが、今まで発表したことも無い写真も含めて、昭和43・44年に滋賀駅付近で撮った水泳列車を総ざらえします。

滋賀駅の南、田んぼの中を行くDD1351+1900系客車4両の水泳列車。1900系客車は以前快速列車にも使用されていたが、快速はDCに置き換えられたため、活躍の場は年に数日の水泳列車のみだった(昭和43年8月4日)

5120+5123+5120+12 昭和43年8月4日(以下撮影日同じ)8時50分
江若鉄道が湖西線の建設でまもなく廃止されるというニュースを聞いて、昭和43年8月4日、初めて江若鉄道の撮影に訪れた。江若はその前にも水泳に行く時に乗ったことがあるが、この季節、大混雑のうえ、運賃も高い。平行する石坂線で行く方が良いと判断、地図をにらんで南滋賀下車を選択した。江若は、一直線で田んぼのなかを走り抜いている。周囲に邪魔物のない絶好の撮影地だった。もっとも、この時代の江若沿線は、人家も少なく、別にどこで降りても撮れたものだ。ただ水泳列車は、水質汚染などによる琵琶湖離れもあって、年々、本数は減少していて、ピークの昭和40年前後には、国鉄から客車を借り入れて運転していたが、このようなシーンには出会わなかった。
DD1351+1900系客車列車の後部を見る。右手に滋賀駅の場内信号が見える
右から8+13+ハフ3 (9時37分)
滋賀駅でタブレットを受け取り発車する、15+ハフ3、これは上り列車だから、それほどの混雑は見られない

 

 

5121+ハ5010+5122+9 望遠レンズで見るとハ5010の車体の歪みが分かる
上りの回送列車、後部に16がブラ下がっている21+23?+ハフ3 車内の混雑の様子が伺い知れる5120+5124+5123 総括3両編成は大活躍だった

滋賀駅の場内信号を見て進む 左手にびわこ競輪場のスタンドが見える(以下昭和44年8月6日)滋賀駅を出る51+ハフ 田んぼの中の駅だったが、新築中の家も見られた江若から見た京阪石坂線、遮るものはなく、ポール電車の走る姿がよく見えた反対側の湖岸を見ると、向こうに三上山の姿がよく望めた帰ろうとすると急に現れた客車列車、国鉄から借り入れの20m客車を見たのは、これ一回だけだった

 

 

 夏の思い出 2017-2  江若の水泳列車を撮る」への2件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    あのうだるような暑さの中で撮影した日のことを思い出します。今なら熱中症で倒れているかもしれません。若かったのでしょうね。それにしても初めて拝見するコマも多く、何度も足を運ばれていたことに改めて敬意を表します。今回ご紹介頂いたいろいろな編成を 幸いなことに 我が家の机の上で再現できるのがちょっとした自慢でもあります。(DD1352や5121+5010+5122はびわ湖大津館に長期出張中ですが)

  2. 西村雅幸さま
    炎天下によく撮りに行ったと思います。水泳列車を撮りに行ったのは、この2回だけですが、家から1時間余りで、こんな愉快な列車が走っていたこと自体が今となっては信じられません。これだけバラエティに富んだ車両を、ほぼすべて模型で復元された西村さんの熱意には敬服いたします。つぎは、びわこ大津館へ行ってみたいです。

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