北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part3 稚泊航路に乗ってサハリン上陸

今日は、稚内から船に乗ってサハリンのコルサコフへ向かいます。この航路は戦前の1923年(大正12年)5月1日に稚内と樺太の大泊の167㌔を結ぶ鉄道連絡船として開業しました。Google地図をご覧のように宗谷岬からクリリオン岬までは約43㌔と近く晴れた日なら宗谷岬から見えています。砕氷船が運用にあたり所要時間は夏季8時間、冬季は9時間を要したそうです。しかし、敗戦により1945年(昭和20年)8月24日に航路は消滅しました。22年間余りの営業でした。

もう航路でつながることはないと思われていましたが1999年5月1日、東日本海フェリーが稚内~コルサコフに定期航路を開設しました。(但し、冬季は流氷のため運休)戦後初の稚泊航路には、総トン数2,267㌧、航海速力17.1ノット、旅客定員304名、乗用車なら48台を運べるフェリー船アインス宗谷号が運行に当たりましたが運航当初より赤字が続いていました。そのため稚内市の補助金・助成を受けての運航でしたが乗客は増えず、貨物取扱量は減少するばかりで、2015年9月18日をもって運航を終了、船体もフィリピンへ売却されてしまいました。


第3日目 7月11日 その1

▲ 6:30 朝起きて TVで見る天気予報はよくありません。既に外は霧が出て雨が降っています。サハリン航路のターミナルまでは2㌔少々はありますので、昨夕タクシーを頼んでおいて正解でした。
6:45 ホテルサハリンの食堂で純和風の定番朝食です。しばらく和食が食べられませんのでこれが良いですね。

▲ 7:20 ホテルを出発してターミナルへと向かいます。本当はかつてのドーム桟橋駅横から出たいのですが、南寄りに替わっています。

▲ 7:25 Google座標;45.414601, 141.682807
稚内港国際旅客ターミナルに到着。我々の乗船する1便にだけ建設されています海の駅であり、イミグレでもあります。

出航は9:00ですので早すぎる気がするのですが、7:30には来てくださいとの案内でした。

 

▲ 入口を入ると待合室ですが椅子はありません。コーヒー無料の売店が1軒入っていてお土産等を販売しています。ロシアでは日本のお菓子類が喜ばれるそうで私もいろいろなチョコレート入っているお菓子をプレゼント用に買いました。

▲ 屋上に上がるとこれから乗船する双胴船ペンギン33号が見えました。
アインス宗谷号が撤退したために2016年からロシアのサハリン海洋汽船(SASCO )が替わって運航。日本側の総代理店は稚内市の第3セクター「北海道サハリン航路」会社。2017年度の運航は6月2日~9月19日になっています。

稚泊鉄道連絡船で昭和3年から運航された亜庭丸は、総トン数3,298㌧、旅客定員754人、最高速力16.4ノットでした。200年に製造されたペンギン33号は、船籍はドミニカで総トン数270㌧、定員80名、最高速力23.8ノットと、スピードこそ勝っていますが、冒頭に記載しました戦後初のアインス宗谷号と比べても約1/10の大きさしかありません。以前に神戸と淡路島を結ぶ同じ双胴船がありましたがよく似ています。外海を走る船とは思えないほど小さな船です。荒れることの多い宗谷海峡です。船には弱い私としては心不足感じました。

▲ 8:10 出国審査が開始されました。

パスポートに「WAKKANAI]と、押された出国印です。
稚泊航路は存続が危ぶまれていますので押していただくのは最後になるかも・・。

▲ 乗船してみてびっくりです。前方に席が並んでいますが後方には分厚いエアーベットが並んでいたり積み上げられていたりで雑然としています。船酔いする人が多いようです。2階席もありましたので我々はこちらに座りました。

▲ 8:20 稚内市の職員が見送られる中、定刻より約40分も早くの出航です。乗船客の予約乗船が終わったので出航したとは思いますが、こんな経験は初めてです。このために7:30には来るように言われたのですね。
乗船した客は21名、内訳は友好都市へ訪問される稚内市長はじめ市幹部13名、国土交通省の2名、ロシア人女性1名と我々5名です。存続が不安視されるわけです。

▲ 山に霧が残る中を出航です。ドーム桟橋も見えます。94年前に初めて航路が開業した時もこんな風に見えたのでしょうね。

宗谷岬を右に身ながら外海の宗谷海峡に入ってきた辺りからうねりが強くなってきて予想通り船が揺れ出しました。これはたまりません、1階に下りてベットに横になりました。
1時間もすると揺れは止まりました。外を見ますと亜庭湾に入ったようでべた凪です。ペンギン33号は静かな海原を快走しています。右手にサハリンの半島も見えました。

▲ 14:13(現地時間)、日本時間なら12:13と、時差は2時間あります。
約4時間弱の船旅を終えて、コルサコフ(大泊)港に入りました。戦前は約8時間もかかっていますので、半分に縮まっています。到達時間は早着のために時間調整しているようでゆっくり進んでいます。
船員から出航時と同様に外へ出てもいいと促されてデッキの3階まで上がって港を見て撮ります。本当は撮ってはいけなかったようで、船内で係員から「撮った写真は全部消しました。」と言ってくださいと注意が入りました。

▲ かつて稚泊鉄道連絡船が入港した桟橋にあった駅舎は撤去されてクレーンが立ち並んでいました。亜庭湾は冬季には凍結したそうで60㎝もの氷に覆われたそうです。そのため荷物は沖合で犬ぞり馬ぞり等に載せられ、乗客も氷上を歩いての到着だったそうです。南極みたいだったのですね。

▲ 1番下は桟橋への鉄道橋です。豊原からの列車は桟橋まで行っていました。
鉄道橋にはまだレールが残されていました。貨物列車が通っているようです。▲ 14:55 14:20に停船してから約35分後、ようやく来た専用バスに乗ってイミグレまで移動です。ダイヤでは15:30着ですので随分と早い到着でした。

▲ 15:15 イミグレの正面です。入国審査は対象者が少ないのであっさりと終わりました。

16:15 宿泊するホテルまでは迎えのワンボックスカーが待っていました。ユジノサハリンスク(豊原)までは約40㌔の道のりです。高速でぶっ飛ばす地元の車と同じく走り約50分で到着です。

▲ 16:15 宿泊するのは駅に近いホテルサッポロです。ベットもダブルサイズが2台あるツイン部屋でバスタブもあって広くて快適そうです。
チェックイン後には直ぐに駅へ行きたいのですが、パスポート確認手続き処理に時間がかかるようでしばらく部屋で待機です。SIMカードを買いたい私だけ優先していただくことになりました。 Part 4へ続く

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