【87768】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part13 

▲ 豊原から樺太西線の真岡まで、山脈を横断した豊真線(76.2㌔)ですが、1994年になって途中の宝台ループ線のトンネル内崩落があり、復旧費用が多額に及ぶ事から1995年以降は運休(廃線)になってしまいました。ただ、豊原から16.2㌔先の奥鈴谷、ロシア語ではノヴォデレヴェンスカヤ(Ново-Деревенская)まではД2 系気動車による運行が行われています。

第6日目 7月14日 その4

14:55 ユジノサハリンスク鉄道歴史博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長さんから次は駅横の屋外展示館も見ましょうと案内いただきました。
通訳がいれば詳細を投稿できるのですが、懸命に話していただけましたのに少しを理解できただけでした。

▲ 15:34 丁重にお礼を申し上げてユジノサハリンスク駅へと向かいました。ヤードの向こうのD51-4は駅員からの目がいかない駅舎横からの撮影です。

▲ 駅のきっぷ売り場で買っていただいた奥鈴谷、ロシア語ではノヴォデレヴェンスカヤ行きのきっぷです。レシートではないまともなきっぷは初めて受け取りました。

▲ かつての日本時代には豊原~北真岡に3往復の客車列車が走っていました。しかし、山越えの山間路線だけあって所要時間は約4時間と長時間を要しました。

▲  時刻表です。3往復の列車が運行されています。

▲ 17:04 出発前のД2 系気動車2両編成です。辺りを見渡してからカメラを取り出しての撮影です。

① 豊原 17:15(6003)⇒17:45 奥鈴谷

▲ まだ明るいこの時間ですが最終列車です。

▲ 17:45 撮影地 奥鈴谷駅 Google座標; 47.070805, 142.630049
ちょっきり30分の乗車で奥鈴谷に到着です。列車から降りた皆さんは森の中に消えていかれました。
ここは郊外のダーチャ村で、ユジノサハリンスクから通う人々のために開業された路線です。ダーチャは「別荘」という意味で町以外に家と畑を持ち、栽培した野菜を食べる、売るをやっておられるそうです。
線路はこの先の車止めで終わり、その向こうはレールは剥がされて廃線跡になっていました。

② 奥鈴谷 18:25(6004)⇒18:55 豊原

 今日は大泊から豊原に着く列車を撮ります。先に食事を済ませる時間がありましたのでサッポロホテルから撮影地に近い南側のレストランを探しました。
ヴェランダというロシア料理屋を探しましたが店名は変わっていました。
注文したのはいつもの定番料理です。

▲ 20:53 撮影地 ユジノサハリンスク駅南寄り踏切付近、Google座標; 46.949596, 142.727380
大泊から豊原へ戻って来た6015列車です。明日は豊原から大泊へこの列車に乗って行きます。

▲ 大泊~豊原には土日には2往復の列車が運行していますが、これは最終の夕方便です。

▲ 21:05 帰路にあった大型スーパーをのぞいてみたら日本食品は驚くほど並んでいました。駐在している日本人はそれほど多くはいないと思いますので現地のロシア人が食べるのでしょうか。値段は日本の2~3倍ですが、我々が生活しても困らない取り揃えです。 Part14へ続く

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