【87827】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part14 豊原から大泊(コルサコフ)への乗り鉄旅

▲ 今日の午前中の乗り鉄は、豊原(ユジノサハリンスク)から稚内への稚泊航路のある大泊(コルサコフ)までです。
日本時代は7往復もあった路線ですが今は1.5往復しか運行していません。今日は土曜日で土日しか運行しない朝の列車に乗って豊原から大泊へ向かいました。

▲ 1944年(昭和19年)10月の時刻表です。稚泊航路が発着する時間には大泊港までの列車が運行されていますが他の時間は大止まりです。所要時間にはバラツキがあります。

▲ こちらは現在のダイヤ、6011は平日、6013と6014は土日に運行されます。今日は土曜日ですので6013/6014と6015/6016の2往復の運行日です。

第7日目 7月15日 その1

昨夜泊ったのはサハリンに入っての初日の7月11日同様のホテルサッポロです。今回は連泊します。7時からの朝食メニューは前回とほぼ同じ、あっさりといただきました。

▲ 7:44 朝食後は豊原(ユジノサハリンスク)駅に向かってきっぷの購入です。待合室中にはコンビニと同様に売店の他ATMの他にガシャポンやコピー機が設置されています。しかし写真を撮っていましたら女性駅員から撮影禁止の注意を受けました。先日ホームでも注意されています、豊原駅は厳しいようです。

▲ いつもと同様に買っていただいた大泊へのきっぷです。

これからノグリキ方面から豊原に到着する列車が2本ありますので、北側踏切に行って撮影です。

▲ 8:05 西海岸の泊居(とまりおる)、ロシア語ではトマリ(Томари)からの6203/6204列車が前回12日撮影と同じくТГ1616-048号機牽引で2両の客車を牽引してきました。
トマリは何と午前3:32の発車です。西海岸線から東海岸線へは日本時代には未完成だった久春内(くしゅんない)から真縫(まぬい)がソ連の手で1975年に完成し、豊真線廃線後の東西間の貨客輸送を担っています。車窓が見える時間に乗車してみたい列車ですが、また来る機会はあるでしょうか。
▲ 8:47 続いては先日乗車しましたノグリキから0023列車です。今日も定刻運行です。牽引機はТГ1616-076号機です。

▲ 9:00 ユジノサハリンスク駅に戻って大泊への列車を待ちます。駅員の目に入らぬように瞬時の撮影です。共産国や旧共産国では今でも撮影していますと公安官から注意を受けることが時々ありますが、こんなに駅撮りで苦労をするのは初めてです。
右に止まっているのは9:23発の6303列車の、近幌(ちかぽろ)行きです。

▲ 9:10 6014列車はユジノサハリンスクを発車しました。ヤードの向こうにD51-4号機や廃車になったディーゼル機関車群が見えます。

▲ 乗客はボックス席に1~2名程度、60%程度の乗車率です。市街地を出ると荒野か牧場です。そして40分を過ぎると海岸沿いを行きます。
▲ 名も分らない花咲く海岸線に沿って列車は南下します。かつては北海道に向けて帰る乗客が見た車窓だったのですね。

▲ 10:02 大泊に近づいてくると貨物ヤードが広がっていきます。ここには真岡のようにロシア本土との鉄道連絡船がありませんので積み替えなんでしょうね。▲ 10:17 定刻に大泊(コルサコフ)に到着。駅名は2KM nKです。

 

▲ 駅銘板の下には一応時刻表が掲示されていました。

▲ 線路の先に軌道は続いて、桟橋の先まで行っているようです。コンクリート枕木は1520㎜広軌対応で、レールを外側に移せば可能な状態です。

▲ 10:38 折り返しの6013列車の乗車は見送って、1679年(江戸時代の延宝7年)に 松前藩の穴陣屋が久春古丹(大泊町楠渓)に設けられ、日本の漁場としての開拓が始まったと言われる大泊の町を散策することにしました。 Part15へ続く

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