【87995】北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part16 ユジノサハリンスク遊覧、サハリン鉄道最後の撮り鉄

▲ ユジノサハリンスク駅のヤードで静かに休む樺太最後の蒸気機関車、D51-4号機(日本車両製)です。
戦後の1949年(昭和24年)にソビエト連邦からの要望でD51形蒸気機関車30両が他の客車等と合わせて輸出されました。日本仕様と違っているのは防寒のための密閉構造と、形式と車両番号間にハイホンが入った表示をしてあることです。仲間たちが廃車されていく中、最後に残ったのはD51-4号機で観光列車に使用されていました。

第7日目 7月15日 その3

14:24 大泊から豊原に戻って向かったのは「山の空気」スキー場の展望台です。山に上がるリスト乗り場は栄光広場にありました。
▲ リフトは中腹までと山頂までに乗り換えて上がります。ちょっと霞んでいますが眼下に広がるのが人口 194,882人(2017年現在)の町、ユジノサハリンスクです。残念ですが今日はここから駅や線路は見えません。しかし冬場は町に近い素晴らしいスキー場です。来て滑ってみたいと思いました。

16:11 山を下りて訪れた旧北海道拓殖銀行豊原支店はサハリン州立美術館として利用されていました。

▲ 短い夏を楽しむかのように肌出しスレンダーのロシア美女のファッションです。その美しさに思わずシャッターを切りました。

ボチボチ、夕方の撮影ラッシュを迎えましたのでいつもの北側踏切に移動することにしました。

▲ いつもの踏切手前でビル2階(Shopping center “Kalinka”)に上がるとラーメン等の日本料理屋も入るフードコートになっていました。ちょっと食べるにはちょうどいいところです。

▲ 現在のサハリン鉄道の路線図と日本時代の1944年(昭和19年)時代路線図を写真と合わせてご覧いただければと思います。

▲ 16:58 夕方の撮影ラッシュを迎えましたのでいつもの北側踏切に移動して待っていますとタンク車2両だけですが初めて貨物列車が来ました。ТГM-7 044号機牽引です。

▲ 17:07 近幌からの6304列車です。ТГ16 形094号機の片方単機での運用牽引です。

▲ 17:15 警報機が鳴って遮断機が下りた後の踏切番の仕事は専用用具を使っての線路の隙間に入っている土砂の掻き出しです。列車が近づくまで続けておられました。

▲ 17:17 Д2系の気動車2連は14日に乗車した奥鈴谷行きの6003列車です。

▲ 17:23 西海岸線の泊居へと向かう6201/6202は2両編成の客車ながらТГ16 -048号機重連の牽引で発車して来ました。

▲ 17:37 先ほどタンク車2両を牽引して通過したТГM-7 044号機が戻ってきました。どこまで牽引していったのか?

▲ 17:51 内淵行きの6122列車はТГM-7 008号機牽引の客車1両だけできました。

 

▲ 18:23 先ほど往路を撮った奥鈴谷からの折り返し6004列車が戻ってきました。線路際におられるおば様は、犬走り歩きの方です。軌道上はすっかり生活道路となっていて皆さん普通に歩かれます。駅の厳しさとは正反対の状況です。

▲ 18:32 ノグリキへ向かう先発の普通列車です。今日の603列車の牽引機はТГ16 -069号機、客車は11066+107041+3013+10738+10605+10563+21024+10696+10627+10639の10両編成です。ノグリキ着は明日の8:52、14時間22分の長い旅路に出かけていきました。
これを見送って今日、そしてサハリン鉄道の撮影は切り上げとなりました。

▲ 昨夜から連泊中のホテルサッポロの部屋です。最初の日も入れて3泊しましたが1泊目よりも広い部屋で快適でした。

▲ 今夜の夕食は出かけずにホテルのレストランでサハリンの打ち上げとしました。
明日はロシア本土のウラジオストクへと向かいます。最初の予定ではオーロラ航空で成田までの直行フライトでしたが、行程を決めてから6月18日よりフライトを欠航すると発表されましたので直行便は選択できず、エロフロート航空でのウラジオストック経由になりました。そこで折角ウラジオストクまで行くのにもったいないと現地で2泊してトラムと鉄道撮影を急遽入れた訳です。ただNETさんは用事があって都合が取れずお一人で当日に成田に向かわれます。  Part 17へ続く

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