◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑦ 速報 ED38発見 

△ 送られてきた、ED38の旧称号1002号時代の写真、阪和電鉄時代のナンバーを付けたまま国鉄で使われている写真は大変珍しい(昭和27年撮影)。

つい先ほど、“た~ちゃん”から一通のスマートレターが届きました。開けると、またL判の写真の入ったアルバムが‥。表紙には「取り急ぎ河さんにED38の姿を頼みます」と書かれています。本シリーズの前回に、コメント回答としてED38は撮っていないと言っておられましたが、探してみると写真が出て来たとして、ED38の写真を所望された河さんに見せてほしいとのことでした。ED38については、米手さんからも救助の手が入り、鷹取工場で写された珍しい写真が掲載され、西村さんからは秩父鉄道時代のED38が報告されています。

アルバムを見てビックリです。なんとそれはED38ではなく、阪和旧番号の1002のままの姿です。ご承知のようにED38は、阪和電鉄のロコ1000形として昭和5年に製造された大型の箱型機関車です。1001~1004の4両が阪和電鉄内の貨物などを牽引していました。戦後、国鉄阪和線となりますが、称号は1001~1004のまま、阪和線内で活躍します。そして、昭和27年になって、国鉄称号のED38が与えられます。撮られた写真は、その直前の姿であり、区名板もよく見ますと「鳳」のようです。撮影場所は不明ですが、昭和27年と言えば、た~ちゃんが急電乗りたさに和歌山まで行ったと述懐されている年と符合します。この写真はその時に撮られたものでしょうか。いずれにしろ貴重な写真です。

 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑦ 速報 ED38発見 」への5件のフィードバック

  1. またしても訂正です。阪和線ED38こと1002号を撮影したのは昭和25年9月23日で、老人の実兄です。この日は秋の彼岸で、兄は快く大阪へ電車見物に連れて行ってくれました。小学校6年生でした。一人で和歌山に行ったのは2年後で、この時モハ52が55分運転の特急を始めたとTMS誌で知り、単独見物行をしたのです。

  2. 乙訓の老人様

    出ましたっ! ED38。 それも1002を付けた姿。 更に雪。(ヘッドライトの側には少量の積雪が・・・) 珍し物づくし。
    窓下に付いた尾灯が如何にも『私鉄、私鉄』していて・・・。

    因みに、小生は此の時小学校2年生で、自宅が『目の前が東海道線』になる前ですので、ED38に遭遇前の未知の世界でした。

    TMS。 これは又懐かしい。 と言っても同誌は未だ生き長らえてますね。
    当時は鉄の本がピクとTMSしか無くて、模型記事に混じって時々『本物』を取り扱った記事が出て、ムサボルように『立ち読み』したものです。(ピクと両方を買う金が無かった。)

  3. 撮影日が特定できたのは9月23日なのです。兄はクリスチャンで同志社教会小児部の担当者であり、23日は休日礼拝がなかったので9歳下の弟の要望を叶えてくれたのです。朝一番の京阪急行で京橋へ、近鉄を見てから天王寺に移動しました。着いて見ると雨が降り始めており、天神橋に向かい新京阪で帰宅しました。小学校6年でした。この年の夏休みには京阪守口車庫へも2人で見学に行っております。電車の事を調べるには紹介状を貰って車庫訪問と言う手口は、京都市電烏丸車庫で車庫のえらいさんから壬生車庫への課長さんへの紹介状を書いてもらったのが小学校5年生の時で、これに味を締めました。

  4. “た~ちゃん”の記憶を振り絞っていただいたお蔭で、撮影が昭和25年9月23日と、日にちまで特定できました。昭和25年と言えば、私の生まれた翌年ではないですか。お兄様が写されたとは言え、よくぞ貴重な写真を残しておられたものと思います。
    河さまが雪に見えたのは、雨でした。そのうち、何割かはキズと思われますが、修整が困難なため、そのままにしました。証言から、撮影場所も天王寺と特定できましたが、現在で言えば、阪和線の高架ホームでしょうか。

  5. 聡本家青信号特派員様

    ありゃ。 雨でしたか。 てっきり雪だとばっかり。

    慌てん坊では負け知らずの後期高齢者は、乙訓の老人が最初のコメントで9月23日だと仰ってるのをスル―して『雪』と騒ぎ、次のコメントでも9月23日を強調なさってるのに、それにも気付かずスッ飛ばしていました。

    さぞ『コイツ、アホちゃうか!』と思われていた事でしょう。(笑) 大変失礼致しました。

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