京成電鉄モハ300型

今年のホームカミングデーの講演が関三平先生に決定して嬉しい限りです。この掲載がご縁になって、いろいろと交流ができて一層楽しくなっております。先日の飲み会で先生から「このホームページで画の批評を見るのが楽しみです。知らないことが多々指摘されて大変参考になりますから、できるだけ皆さんが知っている知識を開陳して下さい」とのお話を頂きました。
会員の皆様、今回の「京成電鉄モハ300型」も知識を絞り出して“線香花火”を光らせて下さい。

京成電鉄モハ300型」への5件のフィードバック

  1. 京成時代の300が新京成へ移る前、専ら金町ー押上間を4両編成で往復していたときに何回か乗ったことがあります。立石から四つ木にかけて、最後に荒川の土手の高さまで上り勾配があるので勢いを付けるため飛ばすのが楽しみでした。特記すべきは電動車なのに、ブリル台車がふわふわとバネが良く効いたことです。この乗り心地は300が去った後、同じ台車のクハ27(これも車長が短かったが3扉)も同様でした。

  2. 村樫四郎様、
    貴重な証言をありがとうございます。ご体験になったお話は、何にもまして貴重な記録となります。お手数でしょうがこれからもお聞かせ頂きますようお願い申し上げます。

  3. 老人が京成電鉄を訪れたのは1958年4月5日の記録が残っております。この日は日暮里から高砂へ、ホームでカメラを向けかけたところ雨となり、ならば全線走破をしてやれとなり、先ず金町往復、次いで成田往復、仕上げは津田沼ー千葉往復、その後は寄宿先の武蔵境の知人宅に直行となりました。残念ながら新京成線に寄らずで、高砂駅ホームで撮った「モノクロ.・35ミリのフィルム」が現像した姿のまま、62.5年あくびをしております。ご要望あればプリントしてみますがどんな姿か創造も出来ません。

  4. 米手昨市さん、承知いたしました。南海電鉄和歌山市内線他の写真をプリントをしてくれた豊中のテッチャン・カメラマンに所用あり、22日リハビリ済み次第うかがいますので古いフィルムを持参、相談します。何とかして頂戴!と、頭を絞って頂きます。     乙訓の老人

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