昭和46年 46年前の飯田線合宿(3)

翌7月28日は温田発6:35の電車で七久保へ向かいました。七久保でED19牽く貨物を撮ったあと伊那本郷まで歩いたようです。

昭和46年7月28日 伊那本郷・飯島間 上り急行伊那

同じ鉄橋でED26牽く下り貨物。当時のレール輸送は一般的なチキ。

上り電車  クモハ42+クハ?

このあとの行動記録がなく、写真だけをご紹介します。

駒ヶ根駅で出会ったマヤ342002

駒ヶ根駅にてクモニ13025

クモニ13の相棒 クモニ81002

木下・北殿間 ED2612牽く下り貨物

辰野駅?にて EF6417

このあと小海線清里へ向かいました。

場所不明 入換え用のC1266 まだ蒸気機関車が生きていました。

46年前に乗り通した飯田線ですが、その後一度も足を踏み入れたこともなく、これからも行く機会はなさそうな気がします。私の中では今もED17,18,19,26が元気なモーター音を響かせてくれています。(オシマイ)

昭和46年 46年前の飯田線合宿(3)」への3件のフィードバック

  1. 西村雅幸さま
    C1266を撮られたのは上諏訪だと思います。今手許に当時の配置表が見当たらないのでうろ覚えですが、上諏訪に松本か塩尻の機関支区があり、C1266の配置があったはずです。あのC56160も一時上諏訪に居たことがあります。
    ところで合宿後に清里へ行かれたのですね。小生には記憶がなく、西村さまとは別行動だったようですね。記憶にあるのは既述のΩカーブでの発破アクシデントと木下付近でのED19撮影です。ちょっとダイヤが乱れてED19が物凄いスピードで飛ばしてきたことと、あんなに飛ばして故障せんかなと話し合ったことを覚えています。この辺りまでご一緒したのかもしれませんね。因みに小生と今出川浄福寺さんは清里ユースホステルに泊まりました。

    • 1900生様
      コメントありがとうございます。貴兄や浄福寺氏と一緒だったことや発破騒ぎ、ED19のスピードのことなど全く記憶から飛んでしまっています。清里には確かに泊まっていますが、小海線の写真が殆ど無いのが不思議です。飯田線はまた行ってみたいと思いますが、観光地化した清里や野辺山には行く気がしないのは私だけでしょうか。

  2. 西村様
    私たちが昭和48年に飯田線に行った時も、同じようなルートで行っていたようです。ただ今となってはその行程を全く思い出せず、ネガの中に飯田線の後に小淵沢(?)でC5694を撮ったのが続いていました。また伊那は165となっていました。清里には十数年前に家族で行ったことがありますが、都会が移って来た様な場所もありますね。

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