【91305】◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑨

 京の七口を結んだ京電
京の七口に思いを巡らせてみました。平安京時代からある言葉なのだそうですが、太閤さんが京の町を守るために造らせた御土居によって、その位置が今もはっきりし、史跡として10ヵ所指定され地名となって残っているところもあります。京都電気鉄道(京電)が伏見へ向け走り出た地が竹田口、伸びて行った南禅寺橋近くに粟田口、その途中の木屋町松原は伏見口(五条大橋口)となります。

さらに京都停車場(駅)は、西国街道沿いにやってきた官設鉄道が東寺口を、さらに丹波に通じる京都鉄道(現JR山陰本線)が丹波口(西七条口)を移動させたものとすると、鉄道と京電は、七口を結んだものと言えそうです。
京電開業年の9月、木屋町二条から西へ、寺町通、御所南側を経て、府庁前から堀川通へと電車の線路は伸びました。この時の終点は堀川中立売です。これで京の伝統産業“染めと織り”の中心地と駅が結ばれました。電車は、さらに転車台(先日の京都新聞で紹介されました)を使って西へ、北の下ノ森まで開通したのは明治33年5月でした。下ノ森は北野神社の門前町、当時の繁華街の一つです。そして北へ衣笠街道の行き着くところが長坂口です。そしてもうひとつ、御所の東べりを通って出町柳へ。大原口です。明治34年3月開通です。
その後、電車は堀川通を南下、四条西洞院を経て駅に至り、市内循環線を完成させています。ご年配の方に馴染み深い市電北野線は、明治期に京電が開通させた電車路線の一部が昭和36年7月まで残ったものです。京都駅前の北野線のりば 中立売で堀川を渡る。かつて転車台があった

循環線の開通は明治37年末で、四条大宮口は四条堀川の近くも通っています。さらに言えば大原口へ行く途中、荒神口の近くも通っています。京電は京の出入り口である“口”を結び、市内交通の近代化に大きな役割を果たしたことになります。この時が京電全盛期でありました。

「関西の鉄道」32号 沖中忠順著「京の七口と鉄道の開通」より転載

 

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