客車廃車体訪問記 北海道編13

【旭川市台場1条6丁目】

オエ61 301  2017年10月9日撮影
第12回【91714】のすぐ西、国道12号台場2条6丁目交差点近くの運輸会社の資材置場で倉庫として使用している。
敷地北側の道路から南を向いて1-3位側を撮影。永年の風雪で屋根が痛み、シートで保護されている。バックの山の塔は、旭川サンタプレゼントパークスキー場山頂の<恋人の聖地 旭川ニコラス展望タワー>である。全国「恋人の聖地」の一つに選定され、ここから見る昼景は勿論、夜景は函館にも負けないそうである。

1-2位妻と2-4位側を見る。
◆スロ30857(1934年田中)→オロ35 8(1941年改番)→1945年末から1946年にかけて駐留軍RTO、のち普通車に指定→1946年駐留軍に接収 軍番号23134 CROYDON 2等座席車→1949年接収解除→1950年大宮更新Ⅰ→1956年土崎更新Ⅱ→オハ53 8(1965年格下げ)→マニ36 2006(1966年多度津)→オエ61 301(1980年旭川)→1987年廃車。
この車歴でわかるように、オエ61 301は、「61」でありながら鋼体化客車ではない。【91093】オエ61 309と同じ丸屋根スハ32系グループである。オハ53であった期間も同様に短い。国鉄末期には、救援車の形式を増やさないようにしたので、マニ36から改造をオエ61 300番代、マニ37から改造をオエ61 600番代と、鋼体化客車ではないのに鋼体化客車の形式に押し込んでしまったことによる。

 

現車は現在、1-2位を西にして東西方向に置かれているが、1996年に初めて見た時は、同じ敷地の北側で南北方向に置かれていた。それが下の画像である。

▲1-3位側。1-2位が北。

▲2-4位側。狭い場所でいろんなものが置いてあり、窮屈な写真しか撮れなかった。1996年8月6日撮影。

 

オエ61 301は、旭川機関区の救援車で、2回訪問したが2回とも扇形庫の中で、下のとおり全体の写真が撮れなかった。1985年7月29日旭川機関区で撮影。

 

 

客車廃車体訪問記 北海道編13」への2件のフィードバック

    • 惜しい!年末ジャンボ宝くじなら1億5千万円でした。
      オハ53 7はオハ53のうちで最も早く登場しました。そして2年足らずでオヤ36 2001に改造されています。よくもまあそんな短期間中に地元でもないのに撮影されましたね。さすが客車の鬼!

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