流線形車両-4-

総本家青信号特派員さんの京都市電600形云々についてコメントに書き込んでいたら思い出した車両があった。総本家さんが写真集や鉄道ピクトリアルに数多く出された金魚鉢の愛称で親しまれた阪神電車71形でこれぞ路面電車の流線形である。本来流線形車両-3-に入れるべきを忘れていたので追加させていただく。製造はやはり流線形流行時代の1937年(昭和12年)で汽車東京71~75、川崎76~80の計10両あった。

1969.02.18 甲子園  72号 ▼

流線形車両-4-」への9件のフィードバック

  1. 河 昭一郎様
    国電のオーソリティ河 昭一郎さんから私鉄200形のコメントをいただき最初は新京阪の200形のことかなと勘違いしたくらいです。調べてみましたら国道線に71形に近い姿の200形がありました。当時の趣味の対象は国鉄、阪急、阪神の順でして撮影枚数も
    それに比例したものでした。路面電車は対象外でしたので自転車こいで遠くまで出かけた武庫大橋の国道電車も阪神電鉄の一路線という概念もなく全く撮ったことがありませんでした。即返(クイックレスポンス)できず失礼しました。

  2. 準特急 様

    実は小生、小学校~中学校時代に立花に居た事から甲子園方面も行動範囲に入っていて、当時の夏のイベントが甲子園海水浴場での海水浴でした。

    東大島又は西大島の電停まで歩いて、国道電車で上甲子園乗り換えの浜甲子園着がルートでしたが、夏は200(201?)形の金魚鉢が重連で天六(大阪)方面から甲子園線に直通乗入れしていました。

    その時『アレ!』と、家族に置いてけボリにされながらも、ポイントを渡って来るのを観察したもので、2両が小型の密連で繋がっていたのが『衝撃』でした。
    で、200(201?)形の事は頭に焼き付いてまして・・・。

  3. 河 昭一郎様
    懐かしい話を有難うございます。200形のこと、道理でお詳しいと思いました。私は須磨の前は香櫨園で泳ぎました。高校生の頃は自転車で武庫川沿いを阪急神戸線、国鉄東海道本線、阪神本線を越えて大阪湾の見える海まで行ったことがあります。しかし、もう一つ途中の武庫大橋を行き来する国道電車は頭にありませんでした。また、自慢ではありませんが、阪急今津線に阪神国道という駅がありますが、この駅だけは未だに降りたことがありません。ただ、阪神電車の車掌のアナウンスで「次は甲子園、甲子園でございます。浜甲子園、上甲子園方面は甲子園線にお乗換え願います」というところはよく覚えています。日曜日のおくつろぎの時間にデジ青をよく見ていただき有難うございます。

  4. 甲子園線での河さまと準特急さんとの意外な結びつきを読ませてもらいました。準特急さんからは、車内アナウンスで「甲子園、甲子園って、何回言うねん」のジョークは、よく聞かせてもらいました。私も、縁あって国道線の本を出しましたが、京都で生まれ育った人間にとっては国道線は縁の無い地域でしたが、唯一、甲子園付近だけは、馴染みのある地域で、絵になる写材も多くあり、廃止直前はよく通いました。今回の準特急さんの写真のように、むかし、この付近が川であった名残である松の木をバックに、流線型の金魚鉢が停車しているのは、いかにも甲子園らしいシーンですね。河さまがお書きの重連運転は、甲子園線の乗客が多い時期に運転されていたとは聞いていますが、国道線からの乗り入れ重連もあったのですね。貴重な証言、ありがとうございます。

  5. 総本家青信号特派員様
    関西人と言っても京都生まれ、京都育ちで京都市電、京阪、阪急、江若、山科、保津峡、神足等々でご活躍された総本家さんですが、阪神国道線でも有名になっております。鉄ピク「阪神」特集ではその国道線で大暴れし私など出る幕がなくなりました。あれ以来不調でして153系特集など不参加を表明しました。極寒の地を旅行されていたようですが、また、デジ青で素晴らしい50年前の写真を期待しております。河さんはお会いしたことがありませんが1日に何回もデジ青をご覧になっておられるのか即反応していただき嬉しい限りです。

  6. 準特急 様

    ピク誌への写真投稿の件、昔からなかなかの難関で、『特集号』についてはピク編集部とは繋がりが深い『有名人』がこぞって参加したり、編集部から依頼されたりも有るようで、『一般枠』は厳しいですね。
    特に『〇〇特集』などとなると、沢山出しても歩留まりが極端に下落しますね。
    更に、『一般人』が困るのは『後部車』欄で写真募集を知ってから締切までの時間が少なく、結局間に合わない事が多い事です。
    そんなこんなで、小生も153系特集はパスしました。

    小生は、デジ青中毒(笑)かも、と自分でも思う位、毎日複数回閲覧させていただいており、勉強になっております。
    と言うより、『行く所もないボケ直前の老人』と言うのが正しいかと。
    今後とも愛想尽かさず、どうぞホドホドのお付き合いで結構ですので、よろしくお願いします。

  7. 準特急 様  総本家青信号特派員様

    先の私のコメントではピク誌への写真投稿の話で終始し、他の懐かしい話へのリアクションが不足しました。

    海水浴場は甲子園だけじゃなく仰せの香櫨園も有名でしたね。 しかし、どう言う訳か行った記憶がないのが残念です。
    それに続く御影の浜も海水浴には持って来いの砂浜で、当時通っていた六甲山麓の小学校では臨海学校に使っていました。
    時代がユッタリしていて人口も過密では無かったので、商業ベースに乗った海水浴場には成っていませんでした。 思えば古き良き?時代でした。
    その続き?は須磨、舞子でしたっけ?

    金魚鉢201形の件、総本家さんのコメントでハッとしました。
    思えば重連で国道線から甲子園線へ渡り線を乗入れしていたのは確かですが、方向板や直通乗客の有無については記憶が定かでは無く、ひょっとして回送車が甲子園線に入る場面に遭遇したのかも知れません。

    自転車で武庫川沿いを海まで漕ぐ(自転車を『コグ』って言いましたよね?)のは大遠征でしたね。
    特にこの頃は自転車も一般車の他には後タイヤが少し太く、スタンドが2重?で頑丈な『荷物自転車?』の2種類しかなく、電動アシストは勿論の事ギアチェンジ車も無かったですし。
    そう言えば武庫大橋は凝ったデザインで、重厚なのに洒落た感じが有って、数年前に立花から国道を迂回して甲子園口駅まで歩きましたが、ヤッパリ懐かしかったですね。

    自転車と言えば、私も立花から宝塚まで、今の県道?129号を北上した事があります。
    今、地図を見ると10キロ前後のようですが、結構辛かった記憶が残っています。

    『何回言うねん』ジョーク。
    甲子園、甲子園、浜甲子園、上甲子園方面、甲子園線と5回連続ですか。 序にチョット違うけど甲子園口も仲間に入れてやりたいような。

    以上、ディープなローカル話で、失礼しました。

  8. 準特急 様  総本家青信号特派員様  土曜日甲子園球場に野球観戦の折阪神電車下車の際見た処、駅西側の松はすべて切り倒されてました(72号車の後ろの木々がそうでは?)。駅前広場整備のためとのことで、バスプール横の桜も一部除去されたようです。

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