熊延鉄道跡を訪ねて

久々に投稿します。昨日3月17日、熊本市内から阿蘇方面へ車で移動する際、ふと熊延鉄道のことを思い出し友人の案内で数か所の遺跡を訪ねました。熊延鉄道は戦前、熊本から宮崎県延岡を目指して建設、春竹(現JR南熊本駅)から熊本県砥用(現在の下益城郡美里町)まで開業しましたが1964年昭和39年に廃止となりました。

最初は佐俣(さほ)~釈迦院間の橋台。位置32.6214771,130.8287495

次は同じく佐俣~釈迦院間の通称八角トンネル。ご覧の通りトンネルではなく線路への落下物を防ぐ防護柵??とでも言うのでしょうか。訪問の際も訪ねる人がパラパラいらっしゃいました。今風に言うとインスタ映え・・でしょうか。位置32.6214771,130.8287495

順序が前後しますが、中ノ瀬~鯰間の加瀬川橋梁の橋台跡。現在の上益城郡嘉島町。一昨年の熊本地震では大きな被害を受けた地域ですが、その爪痕は表面上はわかりませんでした。位置32.7353727,130.7533716

熊延鉄道の路線はその後「熊本バス」に引き継がれ熊本市近郊、貸し切りバス事業とともに唯一の特急バスたかちほ号が毎日走っています。先人たちの遥かな夢は形は変わっても沿線住民の足として活躍しています!

最後におまけですが、そのあと阿蘇山を超えて黒川温泉に宿泊。国鉄宮原線の終着駅肥後小国駅跡を訪ねました。かっての駅は「ゆうステーション」として小国の観光情報発信基地として多くの人々で賑わっています。嬉しい限りです!

管理者注:位置情報に対してGoogleMapのリンクを埋め込みました。また、勝手ながらContactForm7の埋め込みスクリプトを削除しました。

熊延鉄道跡を訪ねて」への10件のフィードバック

  1. 熊延鉄道、昔に行ったことがあったなぁ~と思い出しました。
    確か1963年(昭和38年)春休みに「九州均一周遊券」で行ったはずです・
    その時は車両についてもそれなりに調べたので詳しく説明できたと思いますが、今はそのメモも無くし、なにもお話しできません。あしからず・・・。

    • 無印不良品先輩 コメントありがとうございます。私は昭和34年生まれ、生きていた熊延鉄道は残念ながら知りません。会社に入った最初の赴任地が熊本、熊本バスの路線バスには時々乗っていました。国鉄南熊本駅は熊本市電も走っていたようで、赴任した当初は大きな、趣のある駅だったと思います。そんな訳で熊本は大好きな街、シンボルの熊本城は数十年の時を経て元の姿に戻るようです。

    • 江若のDC251ですね。わずか5年の在籍で廃線後御坊臨港鉄道に行ったそうですがその後どうなったでしょうか。

    • 準特急先輩 ご投稿ありがとうございます。電車については生きた姿を見ていませんが、立派な堂々とした駅舎は記憶の中にあります。新幹線開通前は博多からの在来線特急をDLが引っ張って水前寺・光の森まで運行していたと思います。懐かしい風景、ありがとうございました。

  2. おとりん様
    私は気動車、軽便はまるで駄目ですが、熊延はデジ青のどこかに出ていたなと探してみました。ありました。2009年9月7日付けで湯口徹先輩が車両を中心に詳細に報告されています。私もコメントをしておりました。また、おまけの宮原線はDRFCの大狂化合宿の場として選定され1967年夏に阿蘇釣という所でテントを張りました。終点肥後小国まで乗車しましたが、撮影した車両は阿蘇釣でのC11、キハ07などがあります。ご希望があれば拙写を用意します。なお、添付写真の熊延鉄道の蒸機5号機は1932年(昭和7年)日本車輛製ということで特に有名な機関車ではありませんが、蒸機ということで1963年(昭和38年)3月29日に1枚だけカメラに収めました。気動車は1両も撮っておらず惜しいことをしたなと今頃悔やんでいます。南熊本駅前の元大阪市電は阿蘇釣合宿後9月3日に撮影したものです。

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