【89460】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -13-

飯田線④   F地点  飯島~伊那本郷

五万分の一の地形図を眺めていると、先述の田切~伊那福岡とウリふたつの地形が、3キロ南の飯島~伊那本郷にも存在することが分かります。地図上で等高線を赤線でなぞると、同じ田切地形と分かり、飯田線は急カーブで上流へ回り、与田切川を渡り、またもとに戻ります。前後のカーブは、こちらの方が開けていて、撮りやすい感じがします。鉄橋の長さは74m、長さも様式も田切~伊那福岡と同じですが、下路ガーダーが逆台形であること、橋台が一部煉瓦積みであることが違っています。
本掲示板の前項で“どですかでん”さんが、地図から推測して撮影区間を特定されていますが、私もよく似た田切~伊那福岡、飯島~伊那本郷は、手帳を見返しても、どちらで撮ったのかよく分かりません。地図と見比べて、ようやく判明しました。快晴のもと、与田切川を渡って行く1251レ、ED193が牽く

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【89420】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -12-

飯田線③   E地点 伊那福岡~田切

飯田線、しばらく続けます。一昨日行われた三条京阪イベントに参加すると、1900生さんや、どですかでんさんから、飯田線への思いをたっぷり聞かせてもらいました。車両だけでなく、飯田線独特の車窓風景や線形が魅力を持った線区であることを改めて思いました。
今回は5万分の1地形図「赤穂」の最南端、伊那福岡~田切の撮影地を見て行きます。この区間は、例のオメガカーブの線形で、飯田線北部では、いちばん有名な撮影地でした。鉄道ファンの撮影地ガイドにも初期の号に紹介済みで、私も初めて訪問の時は、ファン掲載の地図を自分で書き写して持参しました。
オメガカーブの頂点、中田切川を渡るED195の牽く貨物列車。建設費が安い短い鉄橋で済むよう、上流にさかのぼって川を渡り、また元に戻る。

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【89156】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -11-

飯田線②   B・C地点:宮田~大田切  D地点:駒ケ根駅
五万分の一の地形図「赤穂」を見直して興味深いのは、三州街道(伊那街道)と飯田線がほぼ完全に並行していることです。旧街道沿いに鉄道が敷設されることはよくありますが、たとえば例のΩカーブでも、旧街道がちゃんと寄り添っていて、ここまで完全並行は珍しいことです。あくまで地形に忠実に敷設された、明治期の私鉄らしいところです。そもそも開通当時の伊那電気軌道の辰野~伊那松島は、三州街道上にレールを敷いてポール電車が走る、まるで路面電車だったとのことで、大正12年になって現在の専用軌道となったと言いいます。
先の沢渡から2つ目、宮田(みやだ)も三州街道沿いの宿場町でした。最初は宮田村で、町制施行で町となり、そのあと合併で駒ヶ根市となり、2年後には分離独立して村に戻るという珍しい変遷があります。読みも昭和31年に「みやた」から行政名と同じ「みやだ」に変更されています。
  宮田駅は、大正2年の開業当時のままの駅舎、駒ケ根の近くで乗降は多い。

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【89142】 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑦ 速報 ED38発見 

△ 送られてきた、ED38の旧称号1002号時代の写真、阪和電鉄時代のナンバーを付けたまま国鉄で使われている写真は大変珍しい(昭和27年撮影)。

つい先ほど、“た~ちゃん”から一通のスマートレターが届きました。開けると、またL判の写真の入ったアルバムが‥。表紙には「取り急ぎ河さんにED38の姿を頼みます」と書かれています。本シリーズの前回に、コメント回答としてED38は撮っていないと言っておられましたが、探してみると写真が出て来たとして、ED38の写真を所望された河さんに見せてほしいとのことでした。ED38については、米手さんからも救助の手が入り、鷹取工場で写された珍しい写真が掲載され、西村さんからは秩父鉄道時代のED38が報告されています。

アルバムを見てビックリです。なんとそれはED38ではなく、阪和旧番号の1002のままの姿です。ご承知のようにED38は、阪和電鉄のロコ1000形として昭和5年に製造された大型の箱型機関車です。1001~1004の4両が阪和電鉄内の貨物などを牽引していました。戦後、国鉄阪和線となりますが、称号は1001~1004のまま、阪和線内で活躍します。そして、昭和27年になって、国鉄称号のED38が与えられます。撮られた写真は、その直前の姿であり、区名板もよく見ますと「鳳」のようです。撮影場所は不明ですが、昭和27年と言えば、た~ちゃんが急電乗りたさに和歌山まで行ったと述懐されている年と符合します。この写真はその時に撮られたものでしょうか。いずれにしろ貴重な写真です。


【89117】 地図を携えて線路端を歩いた日々 -10-

飯田線(1)   A地点:沢渡駅

地図シリーズ、今回は趣向を変えて、蒸機区間をやめて、電車・電機の走っていた飯田線に移ります。飯田線が前身の四つの私鉄をつないで全通してから80周年を迎えたとのこと、鉄道雑誌の記事特集を見て初めて知りました。飯田線はかつて旧型電機・国電の宝庫として注目されましたが、それが終わると、あまり顧みられない線区となりました。改めてチェックしてみると、私も過去4回、飯田線に行っていますが、“撮りっぱなし”の典型で、ほとんど振り返ることもなくネガは眠ったままでした。今回、80周年を迎えて、自分なりに過去の思い出を掘り返してみたいと思った次第です。辰野から乗って12番目の駅、沢渡で待望のED19の牽く貨物列車と交換した。キロポストは190を示すが、実際の営業距離は173.4キロ、たび重なる渓谷区間の路線改良・短縮に対応していないようだ。

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【89057】 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑥和歌山の国鉄瞥見

“た~ちゃん”の和歌山の電車めぐりは、前回で終わりましたが、渡されたアルバムには、最後に国鉄の写真が貼られていました。電車めぐりの際に、和歌山周辺で写されたものです。ご本人は、“行きがけの駄賃”の撮影のつもりでしょうが、国鉄車両に興味を示す私の立場からは、電車もさることながら、アルバムの最終ページに大きな価値を見出しました。おもに写されたのは東和歌山(昭和43年に「和歌山」に改称)で、戦前から電化済みの阪和線(阪和電鉄)の終点であり、そこから続く紀勢西線は、全くの非電化区間であり、電機と蒸機が出会う駅でもありました。△国産初の大型電気機関車として名高いEF52のトップナンバー機が東和歌山駅に顔を見せる。特徴あるデッキが白く塗られて、さらに大きく見える。

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